290話 戦慄
「大丈夫。任せろっ――」
悲鳴をあげるユミフィの頭を軽く撫で、俺は襲いかかるケルピー達に向けて手をかざした。
「ライトニングチェイン!」
俺の前に展開される緑色の魔方陣。
その中から、巨大な雷が一匹のケルピーに放たれる。
瞬時に跡形も無く消滅するケルピー。そして、その雷は付近にいるケルピーに連鎖して暴れ回っていく。
ライトニングチェインは連続でヒットする雷を単体に向けて放つ風属性の攻撃魔法。
対象の付近にも敵がいる場合、その敵にも雷が連鎖しダメージが上昇する効果がある。
ゲームでは一発の雷の威力はさほどでもなく、総合的なダメージの量は高いものの、雷が再び発生するまでの間に回復されたりすることもあったのだが……レベル2400の恩恵で、一発の雷が必殺の威力を誇っている。
出現した瞬間、退場を余儀なくされたケルピー達。
しかし、それを見てもカミーラは焦る様子を一切見せていない。
「瞬殺かっ! だと思ったよ。アクアマインブラスター!」
「なっ――」
――読み間違えたっ……!
カミーラが杖を前にかざした瞬間、土煙が周囲に舞う。
ほぼ同時のタイミングで、その中から大量の水が吹き出してきた。
一見して明らかに普通のものとは異なるその水は、竜巻のように渦巻きながら大地を切り裂き、俺達に向かって襲いかかる。
「ユミフィッ! 下がれっ!!」
「っ……」
反射的にそう叫ぶものの、あまりに不意をつかれたせいかユミフィは動けない。
「くそっ――ダメージディポートッ」
そう俺が叫ぶと、俺の手から光の糸がユミフィに向かって伸び始めた。
その光の糸は、ユミフィの体を繭のように包み込んでいく。
光の繭がユミフィの体を全て包み込んだ瞬間、水の竜巻が俺達を飲み込んだ。
ダメージディポートは対象とした者が受けるダメージを肩代わりする修道士のスキル。
スキルレベルを上げていくとさらにダメージを軽減する効果までつくため俺が受けるダメージは殆ど無いはずだ。
「さぁ、どうだいっ!」
土煙と逆巻く水が俺の視界を奪い、吹き荒れる風が外の音を遮っていく。
それでもカミーラの張り詰めたその声は聞こえてきた。
「なるほど。結構、良い戦略だな。……でも」
俺達を巻き込んだ水の竜巻が勢いを衰えさせた頃。
カミーラの姿がうっすらと視界に入ってくる。
「――っ!? 無傷、だと……」
そして向こうも俺達の姿を認識したのだろう。
眉をつり上げ、一歩引いた体勢でこちらを睨み付けている。
ダメージディポートはその効果時間中、他のスキルを使えないというデメリットがある。
水の竜巻がおさまったのと同時にこれを解除することを念じると、ユミフィを守る光の眉が消え去った。
何が起きたのか理解していないのだろう。ユミフィはただ周囲をきょろきょろと見渡している。
……アクアマインブラスターは水がある場所でのみ使うことができる魔法だ。
だが、彼女が使ったそれはルドフォア湖から発生したものではない。ケルピー達が発生させた水の柱――その跡として残った水たまりから発生したものだ。
おそらく最初のケルピー達は負ける事を前提に召還されたのだろう。俺はまんまとその狙いを読み間違え、カミーラの戦略に嵌まった訳だ。
――もっとも、だからといって勝敗には全く影響しないのだが。
「でも、そういうやり方は好きじゃない」
「っ――バカなっ……」
ユミフィを隠すように前に出て、俺はカミーラに向かってそう言い放つ。
呆気にとられた表情を見せながら一歩後ずさりするカミーラ。
カミーラのやり方は、いわば味方を捨て駒にするやり方だ。
それはそれとして立派な戦略だ。とても理にかなっているとも思う。
だが、召喚獣とはいえ、ゲームではないのに躊躇無くそういう戦略をとれてしまうカミーラのことはどうしても好きになれなかった。
そういうところも含め、カミーラにユミフィを渡すことは断じて許すことはできない。
「……クククク、アッハハハハハハハ! 何年……いや、何十年ぶりだ!?」
「?」
ふと、カミーラが声を裏返しながら笑い始めた。
「アッハハハハハハハハハ」
怪訝に首を傾げる俺達など目に入っていないかのように、カミーラは無防備に笑い続ける。
それはどこか、見続けていると哀れに感じるようなもので――
「……昨日の夜。大地震がルベルーンで起きた。その原因は、もはや調べるまでもない。あれだな?」
だが、しばらくするとカミーラの表情は凍り付くようなものに一変した。
「一晩で起きたこの巨大な地割れ。これはアンタの仕業かい?」
「…………」
俺の背後にある巨大な地割れを指さすカミーラ。
不意にそれをきかれたことで――というか、恐ろしい程に変化したカミーラの放つ威圧感に、思わず俺は言葉を失ってしまった。
ここでの無言は肯定の意思表示だととらえられても無理は無い。そう、察した時にはカミーラは確信を得ていたようで、小さくため息をつく。
「アタシはね、こうみえて反省しているんだよ。本当にね」
手に持った巨大な杖を、叩きつけるように両手で地面に突き刺す。
言葉の意味が分からず黙って彼女を見つめていると、カミーラが言葉を続けていく。
「今まで――今まで、ずっと! 周りにはアタシより弱いヤツしかいなかった。いつの間にか、アタシは、自分より強いヤツが世界にいる可能性を思いつかなくなっていた……」
額に手を当てながら、自嘲気味にため息をつくカミーラ。
しかし、しばらくするとカミーラはその表情を笑みに変えて叫んでくる。
「アンタは強い。アタシが思っていたより何倍も……いや、何十、何百倍も。全く笑っちまうよっ! 体が震えて仕方ないっ!! なんでアタシは忘れていたんだ? 自分より強い相手と戦うということが――こんなに恐ろしいものだったということをっ!!」
突き刺した杖を再び掲げカミーラが詠唱を始める。
そして――
「エナジーブレイクッ!!」
昨日スイに使った時よりも遥かに大きな黒い光がその杖を包み込んだ。
メイスのような形となったそのオーラは、スイに見せたものとは比べものにならない程に力強い。
それを両手で振り上げると、カミーラは一直線に俺に向かって詰め寄ってきた。
真っ直ぐ一文字に結ばれた唇と、これでもかと言う程に吊り上った眉、そして殺気を溢れさせる瞳。
そんな彼女の表情から伝わってくる、悲壮感すら漂わせる決死の覚悟。
「それなら――」
だが、そんな彼女の攻撃も、全くの無意味に終わってしまった。
ただ手を添えるだけで、カミーラが振り下ろす杖はいとも簡単にその動きを止める。
「なっ……バカなっ!?」
息をのむカミーラ。
思いっきり目を丸くする彼女の顔は、驚きというより、もはや絶望に近いものだった。
「それなら、なんで、挑んでくるんだよ」
「っ……」
自分より強いと分かっているのに。
体が恐怖で震えていると分かっているのに。
それでもなお、本気で俺に挑んでくるカミーラに対し、俺の方が怯えていたのかもしれない。
気づいたら俺は、カミーラに向かって拳を振り上げていた。
「うぐおおおおおおおおおっ!?」
カミーラの腹部に拳を当てる直前、バチン、と火花が舞い散った。
その火花ごと、カミーラの体を『通常攻撃』で押し出す。
するとカミーラは、まるで塵のようにいとも簡単に吹っ飛んで行った。
「ぐはっ! かっ……」
当然、カミーラの命を奪わないように手加減はしているが、カミーラの体は数回地面にバウンドし大げさと言えるぐらいに吹っ飛んでいる。
しかし、それでもカミーラは杖を手から離さなかった。
「参ったな……オートリフレクターがあるのに、このダメージかっ……ははは……」
ボロボロにこすれたマント、土の汚れがこびりついたドレス。
三角帽子は脱げ落ち、擦り傷でにじんだ血がカミーラの顔にこびりついている。
「ただの……ただの通常攻撃でっ……こんなっ……うぐっ!!」
口に手を当てて咳き込むカミーラ。
その手からこぼれ落ちる赤い滴は、彼女の受けたダメージを鮮明に表していた。
「もう、いいだろ……」