288話 奥の手
「っ……!? このっ――」
その迫力に、我を忘れていたのだろうか。
思い出したように足に力を込めなおすクレス。
だが――
「螺旋旋風脚!」
その前に、アイネのスキルが発動した。
地べたを這いつくばるアイネの体の下から強風が吹き始める。
二人の体が浮かび上がると、アイネは自分の体を高速で回転させた。
解けた髪を風で舞わせ、その足を突き刺すようにクレスの脳天めがけて蹴り上げる。
「このっ……無駄だって言ってんだろうがっ! 走破寸剄!!」
「ぐふっ……づっ……くっ!」
しかし、その攻撃は届かない。
アイネの足を打撃で払い、彼女の腹部に手の平をつきつけた。
だが――
「気功弾っ!」
「なっ……」
クレスが攻撃の動作に入る前に、アイネはクレスの顔に向けて人差し指を突き立てる。
そしてスキル名の詠唱がされた瞬間、アイネの腕を纏う青白い光がその形を変化させ、弾丸の如くクレスに襲い掛かった。
「うああああっ!?」
その攻撃は、さすがのクレスも読めていなかった。
気功弾を使うなら、もっと使うべきタイミングが前にあったのだから。
こんな捨て身の形で使うようなスキルではない。
あまりにも非効率な攻撃方法。
だからこそ、アイネの放った気はクレスの顔に直撃し、その体を大きく後ろに吹っ飛ばす。
「がっ! ハァ……ハァッ……! んくっ、づっ……う、うまくいった……?」
しかし、アイネの方もダメージは深刻だった。
受け身をとる力もなく、頭から地面に叩きつけられるアイネ。
ほどけた髪がぐしゃりと地面に広がっていく。
「この……どこに、そんな体力がっ……」
先に立ち上がったのはクレスだった。
しかし、両者の間には距離がある。
だからそれは、決定的なものにはならなかった。
「気功弾っ!!」
アイネは起き上る間に攻撃されないように、なんとかスキルを使い続ける。
しかし、よろよろの体で放たれたそれがクレスに当たることは一度たりとて無かった。
「はっ! この下手くそがっ! 狙いが甘す――」
だが、それはアイネも承知のこと。
ただ自分が起き上がるまでの時間が稼げればいい。
クレスが油断を見せたその瞬間を狙い、アイネが一気に距離を詰める。
「ラアアアアアアアッ!」
「っ!?」
それを見て、僅かに強張らせるクレス。
だが……
――ハッ、その体勢なら……
クレスは瞬時に見切った。
アイネは、クレスに向かって右拳を引いて攻撃の態勢をとっている。
力をこめるため大きく前倒しになりながら、体をひねって左手を前に出して。
ここまで明確に攻撃体勢に以降してしまうと、気功縛・当て身投げは使えない。
あれはダメージを受ける事を前提に相手に投げをかけるスキル。
即座に受けに移行できるような体勢でなければ使えないものだ。
クレスは確信する。
――今なら、気功縛は使えないっ!!
「詰めが甘いぜっ、野良猫ぉおおっ!」
満身創痍のアイネに対し、クレスが拳で真っ向勝負をしかけていく。
その瞬間、アイネは――
「いまだっ! 気功縛――」
「っ……!?」
煽るように、口角を上げた。
「浮き身崩しっ!!」
アイネの拳とクレスの拳がぶつかり合ったその瞬間、アイネの練気が吸い込まれるようにクレスの体に移っていく。
すると、その青白い光は縄のような形に変化してクレスの体を縛り上げた。
「なっ、ばかなっ――!」
気功縛は相手の攻撃を受け止めた後に使われるカウンタースキル。
自分から攻撃を仕掛けるような体勢で使うものではない。
……そう、クレスは思い込んでしまっていた。
何故なら、気功縛を使う――というよりも使える相手と戦ったことが無かったから。
漠然とした知識しか持たないクレスは、アイネのスキルを見て、そう予想することしかできなかったのだ。
だが、このスキルは違う。
浮き身崩しは相手が直接攻撃をしてきたのと同時に自分も攻撃をした瞬間のみ、使う事ができるスキル。
相手の攻撃を無力化させて――
「さぁ、いくっすよ!!」
「くそっ、しまっ――!」
相手の動きを封じ込める。
完全に不意を突かれ、クレスは大きく隙を見せた。
その間に背後に回り込み、アイネは地面に拳を突きつける。
「ラアアアアアアアアアアアアッ!」
怒号のような雄叫びをあげて、アイネは拳を振り上げた。
アイネの腕を纏うのは、虎の頭のように変化した金色の光。
それをクレスの背中めがけて、抉りこませるように拳を叩き込む。
「地襲崩獣拳っ!!」
同じ獣人族ということもあるだろう。
そのスキル名を聞いた瞬間、クレスの表情が一変した。
――このスキルを受けたら、まずいっ……!
「っ……このおおおおおっ!!」
アイネに負けじと強く叫ぶ。
そして――
「くっ……かっ……あ……」
数秒後。
小さな悲鳴とともに地面に屈したのは――アイネだった。
「まさか、こいつを使わされるとはな……」
虚ろな目つきで倒れこむアイネを前にして、クレスが手甲で口を拭う。
――ど、どういうこと……?
完全に虚をついた気功縛。
クレスの方がレベルが高いのは確かだが、それでも地襲崩獣拳を決めるだけの時間的猶予はあったはずだ。
――なんで、ウチが先に攻撃を受けた……!?
そうアイネが疑問に感じているのを察したのだろう。
クレスは安堵と――そして屈辱の色をこめたため息をつくと、這いつくばるアイネに向けて話し始める。
「フォースリカバリーで状態異常を回復させた。オレにかかった気功縛は既に消えている」
「う、うそ……なら、なんで最初に……ってか、そんな回復ができるなんて……魔法じゃないとっ……拳闘士が使えるスキルじゃ……」
途切れ途切れに声を絞り出すアイネに、クレスは複雑そうに顔を歪めた。
「オレの装備は、カミーラ様から頂いたものだ。この『魔道具』は、気力を魔力に転換する機能がある。あらかじめ気力を込めておけば、今みたいな発動の仕方もできるってことだ……」
「気力を魔力に……!? そ、そんな装備がっ……」
「まぁ、今みたいな純粋な回復スキルは転換効率が悪く――今ので込めた気力が枯渇しちまった……これは本当に奥の手だったんだけどな……」
そう言いながらクレスは自分の手甲を突き合わせ、舌打ちをする。
「しかし……クソッ、まさかお前相手にここまで追い詰められるとはな……もう、なりふりかまってられん……確実にトドメを刺してやる」
「うっ……」
その言葉をきいて手を動かそうとするアイネ。
しかし、もう彼女のダメージは気合いでどうこうできるようなものではなかった。
クレスが足を一歩前に踏み出した時、アイネの顔の近くでトワが姿を現した。
「もう限界、ボクに任せてっ!」
「ト……ワ……」
あまり焦点の合ってない目でアイネが声を絞り出す。
そんな彼女を安心させるように優しく微笑みながら、手を出すトワ。
――その瞬間
「っ!?」
クレスが足を止めた。
すぐに振り返り、湖の方に視線を移す。
「えっ……?」
引きつった声を出すトワとアイネ。
その原因は――湖の方にあった。
「これは……まさか……」
クレスが湖の方に足を進める。
その視線の先には、巨大な光の柱が一つ、湖の奥から空に向かって一直線に伸びていた。
「え……?」
それを見たトワは、アイネを転移させる事も忘れて唖然としてしまう。
そして、それ以上にクレスも呆然としながらその光の柱を見つめていた。
「カミーラ様……本当に……」
「――!?」
その光が分裂するように消え去ると、中から巨大な青いものが現れる。
すると湖全体に巨大な渦潮が発生しはじめた。
瞬時にトワは――そして、アイネも察した。
――アレが、リヴァイアサン……!
「あいつらがオレより早く任務を遂行できるはずがない……ってことは……クソッ! 野良猫なんぞにかまってられるかっ! おいっ、ケルピー!!」
湖に向かって走り出しながら、クレスが大声を張り上げる。
ケルピーは自分に出される指示が分かっているのだろう。
クレスに背を向けて自分に乗るように促している。
「急げっ。カミーラ様のところに行くぞっ!!」
「うっ……ぁ……」
その異様な光景を見て、アイネは立ち上がろうと地面に手をつく。
しかしうまく体が動かない。
「野良猫! 今回に限りその命、拾わせてやる! あばよっ!!」
お前など相手するに値しない。
そんなニュアンスを強く含んだ声色でそう叫ぶと、クレスはケルピーに乗って走り去っていった。