282話 したこと、ありますか? ★
「……どうかしましたか?」
各自、風呂等の寝る準備を済ませてから約一時間。
すっかり静かになったアイネの部屋の中で、スイが俺のすぐ近くで囁いてきた。
「えっ……」
「落ち着きなさそうだったので」
今、俺達が使っている寝袋は、もともとアインベルのものだったらしい。
アインベルの体が大きいせいだろうか。この寝袋は、やや窮屈だがスイと一緒に入ることも出来ていた。
それはさておき、スイの顔が文字通り、俺の顔の目と鼻の先にあるこの状況。
寝袋だけでは説明できない、中の柔らかな感触のせいもあり、俺は思わずスイに背中を向けてしまった。
「いや、なんでもないよ……ごめん……」
ユミフィの時ですら最初は結構緊張したのだ。
スイもまだまだあどけない少女であることに違いはないが、それでもユミフィよりかは成熟している。
そんな彼女の体の感触が、俺の鼓動を早くさせていた。
「……なんでもないって……本当ですか?」
ふと、少しだけスイの声が寂しそうなものに変化した気がした。
「えっ……」
「私は」
背中にスイの手が当たる感触がする。
そしてその手は俺の服をぎゅっと握りしめてきて――
「私は……不思議な気持ちです。落ち着くけど、落ち着かない……でも、すごく心地いい……」
「そうか……」
「はい」
その手が気持ち、前に来る。
ややおそるおそるといった様子で、俺の脇に伸びてくるスイの手。
「あの、リーダーは……どうでしょうか……?」
震えた声で話しかけてくるスイ。
スイにバレないように深呼吸して、ゆっくりと口を開く。
「えっと……多分、同じような気持ちかな……」
「ははっ、うまく逃げられちゃいましたね」
「そっ、そういうつもりじゃないんだけど……」
「ふふっ、分かってますよ」
首の後ろ辺りにスイの籠もった声と吐息がかかる。
そのくすぐったさに身を震わせていると、スイが俺の背中を軽くつついてきた。
「ねぇ、リーダー。まだ眠くないなら、ちょっときいてもいいですか?」
「ん……どうした?」
背中越しに伝わる神妙な雰囲気。
それに引っ張られるように、俺は後ろの方を振りむいた。
「リーダーって……恋、したこと、ありますか?」
「はぁっ!?」
その質問はあまりに俺の予想を外れていて、気づけば俺の上半身は電撃を受けたかのように起き上がっていた。
そんな俺に対し、スイは慌てた様子で唇の前に人差し指を立てる。
「あ、あのっ! アイネ達が起きちゃいます……」
「ご、ごめん……」
スイに言われてベッドの方を見る。
……暗くてアイネ達の様子はよく見えないが、その分、すぅすぅという寝息がきこえてきた。
どうやら誰も起こしてはいないらしい。ほっとため息をついて、再び寝袋の中に寝転がる。
「えっと、なんでそんな急に?」
「いえ……その……どういう感情なのかなって思って」
スイと向かい合うと、彼女は表情を隠すように寝袋の奥に体を入れる。
俺の鼻の辺りにスイの頭のてっぺんがぶつかるぐらいになると、スイは答えを求めるようにじっと動かなくなった。
「……恋、が?」
「恋が、です」
念のため、そう聞いてい見るがすぐさまオウム返しにされる。
どうやら俺が聞き間違えたという可能性は無いらしい。
「……ごめん。俺もそういうのはちょっと……えっと……」
「あはは……ですよね……」
囁きだけでも分かる、苦々しくて恥ずかしそうなスイの声。
なんでそんなことを聞いてきたのだろう。
その真意を少しでも探ろうとスイをじっと見つめるが、彼女はそれを拒絶するように顔を俺の胸にうずめたまま動かない。
「……なんか私、最近思います。アイネに色々先行かれちゃってるなって……」
だがしばらくすると、スイは顔を俺の胸から離し、俺のことを見上げてきた。
暗くて、かすかにしか見えないが……ぎこちない感じの笑顔をしているのは分かる。
「先行かれてるって……スイが?」
「だって……アイネはちゃんと、貴方に好きって伝えてる……」
一度、スイは唇をぎゅっと結ぶ。
そして俺の胸に手を押し当て、少しだけ俺の体から自分の体を離した。
「だからちょっと気が引けます。こうしているのも……だって私、アイネとは違うから……」
「スイ……」
「でもっ……少なくとも貴方が、アイネや……ユミフィの方ばっか向いているのを想像したら……やだし……そのっ……!」
すぅーっとスイが大きく息を吸い込む音が聞こえる。
その直後、スイは一気に俺の脇の下に自分の腕を通してきた。
急に背中に回るスイの腕。寝袋全体がスイの体と錯覚しそうなほどに、柔らかなスイの体の感触が、俺の前身に押し当てられる。
「こ、こうしているのが、すごく気持ちいいから……!」
吐息混じりのスイの声が、彼女の体ごとわずかに震えている。
そんな彼女にどう対応したらいいのか分からなくて――情けないとは分かっていたが、俺はただただ呆然としていた。
「……だからその……た、多分私……貴方のこと、ただの男の人とは思ってない……みたい……うん……」
「…………」
自分を納得させているように、何度も小さく頷いているスイ。
それを無言で眺めることしかできずにいると、スイは眉をひそめながら俺のことを見上げてきた。
「で、でもっ……自信なくて……だって私、何も分からないから……そういうの、むしろ嫌だと思ってたから……気持ち悪いとかまで、思ってたこともあったから……だからアイネみたいに……あんなふうには言えなくて……」
「そうか……」
なんとなく察する。
ライルに限ったことではなく、スイのことを軽くナンパしてくる奴らが多かったのだろう。
スイが酔いつぶれていた時にもぽろりと話していたが――彼女に接してきた男を想像すれば、スイが男という存在に対してどういうイメージを抱いていたか、それぐらいは俺だって分かった。
「あはは……ごめんなさい。なに言ってるんだろ、私……」
あまりに俺が無言でいるせいだろうか。
スイはやや自虐的な笑みを浮かべながら、俺の背中に回した手を離そうとする。
だけど――
「……でも、分かるよ」
「えっ?」
俺も、スイと同じことをしてそれを拒んだ。
囁き声の中に、スイの裏返った――それでいて、どこか甘い声が混じる。
「なんとなく分かる。今こうやってスイと近くにいて……落ち着かなくて、でも落ち着く感じ。んで、はっきり……その、好きかどうかなんて分からないのに、こうしてる時のもやもや……」
妙に吹っ切れないこの感じ。
スイが感じているその感情は、多分――
「俺も同じなんだ……今スイが話したこと……俺も、ずっとひっかかってた。好きとか、そういうの分からないし……自分には関係ないものだと思ってたから……」
「リーダー……」
「だから……えっと……」
言葉に詰まる。
そもそも俺は何を言いたいのか、伝えたいのか。
それすらもよく分からなくなってきた。
それでも、スイは――
「……なら、それでいいです。明日もありますし……今は、それで……」
どこか満足げに笑っていた。
見ていて俺の方も嬉しくなってしまうような綺麗な笑顔。
ドキッとさせるスイのそんな顔から視線を外せずにいると、彼女は照れくさそうに笑いながら囁いた。
「おやすみなさい。リーダー。もう……寝ましょう?」
彼女の言葉に頷いて返すと、スイはよりいっそう、抱きしめる力を強くした。
落ち着くけど、落ち着かない――そんな不思議な感覚の中。
俺の意識は静かに、ゆっくりと沈んでいった。