270話 やせ我慢
――え?
思わず、絶句した。
その場に居た誰もが、石化の状態異常をかけられたかの如く動きを停止していた。
「まさかアンタまで一緒にいるとはね……クククッ、なんて日だいっ! 今日はっ!!」
そんな俺達を嘲笑するかのごとく、背を反らして笑い始めるカミーラ。
「っ……ぁ……」
何か言おうと思っても、何も言葉が出てこない。
こんな時こそ、苦し紛れだとしても反論しなくてはならないのに。
その焦りは全く実ることなく、俺はただただ硬直してしまう。
だが――
「違う。私、シルヴィ。シルヴィ・ゴルバチョモ」
「はぁ?」
呆れた顔で首を傾げるカミーラを前にしても、シルヴィは怯まない。
先ほどまで怯えていた少女とは思えない程、強くカミーラを睨み、弓を構える。
「お兄ちゃん、つけてくれたっ! 私の名前、シルヴィ!」
再び放たれる彼女の矢。
だが、流石に二度も同じ攻撃を甘んじて受けてくれる程、カミーラは甘い相手ではない。
瞬時にサイドステップで反応し矢を避ける。
「はんっ――なんだその意味分からん名前は。そんなんでアタシを騙せると思ったら大間違いさ。アンタがエルフの姫君、ユミフィ・ユグドラシアなんだろう?」
「…………」
カミーラの問いかけにシルヴィは――ユミフィは答えない。
その沈黙はもはや肯定と同義といっていいだろう。
というか、ユミフィはさっきの言葉でカミーラの言葉を肯定してしまっている。
彼女は『つけてくれた』と言ってしまったのだから。
「さて、こうなっては話しが変わってくる。是が非でもアンタを捕えなけりゃならないね」
「っ――!?」
カミーラの目つきが変わる。
さっきまで浮かべていた、戦闘を楽しんでいるかのような不敵な笑みは完全に消え、代わりに寒気がするほどに鋭い視線を見せてきた。
それに反抗するようにスイが同じような目つきで言い返す。
「さっきから何を言っているのですか。彼女はシルヴィ。人違いですよ?」
「ハハハハハッ、白々しいよアンタッ! そいつを守っているつもりなのか? 身分を隠すための偽名だろうが……全くもって詰めが甘い」
「何か根拠でもあるのですか? いきなり私達の仲間を『捕えなければ』って、本当に意味が分からないです」
「あるさっ! この矢に込められた彼女のマナ……。これはアタシらが血眼になって探している特殊なマナでねっ! どうしてもなくてはならないものなのさ」
それを聞いてユミフィがくっと唇をかみしめる。
後悔、恐怖、怒り――普段、あまり感情を表に出さないユミフィが様々な感情を込めた複雑な表情をしている。
「悪いが世界のためだっ、大人しく捕まれっ! ユミフィ・ユグドラシアッ!!!」
カミーラの杖が黒い光を放ち始める。
バチバチと雷撃のような光を纏い、突進してくるカミーラ。
「エナジーブレイクッ!」
スイに向けたものよりも、さらに速く、カミーラが杖を振り下ろす。
それは完全にユミフィの方に向けられていて――
「……貴方にどんな事情があるか分からないですけど。それは看過できないですね」
「なにっ――」
ユミフィは死んでしまっていたのではないだろうか。
――俺が止めていなかったら。
「せあっ!」
「んぐっ!?」
カミーラの杖を左手で掴み、それを奪うのと同時にカミーラの腹部に拳を入れる。
魔術師の象徴とも言える杖をあっさりと手放して吹き飛ぶカミーラ。
その姿を見て、スイ達が息をのむ音がきこえた。
「ごっ……なっ、なんだお前、この攻撃力……本当に魔術師か……!? 召喚術師とのダブルクラスだとはきいていたが……ぐっ……」
「とりあえず俺達、帰りますね。もう物は届けたので」
タワーの頂上に来るまでに既にハナエに言われた仕事は済ませてある。
こんな扱いをされて俺達がここに留まる理由などあるはずがない。
「ふ、ふざけるなあああっ!」
と、カミーラがそう叫びながら拳を地面に叩きつけた。
そのまま腹部を抑えながら立ち上がり俺の事を睨みつける。
「貴様らのその無知――看過できぬのはこちらの方だっ! 愚か者っ!!」
カミーラは小刻みに震える唇を抑えるように軽く噛む。
「■■……■■■……」
その直後、手を前にかざして詠唱を始めるカミーラ。
杖を失ったことで詠唱能力が低くなったのかもしれないが……詠唱中に彼女の体を纏う風を見れば分かる。
次に彼女が使おうとしているのは今までの魔法より格が違うものである事が。
「もう相手にしてる場合じゃない。トワ」
とはいえ、それをわざわざ受けてやることもないだろう。
トワに視線を向けて黙示に転移魔法を使う事を指示する。
「え、使うの? ここで?」
「徒歩で逃げたらやばいことになるぞ」
「まぁそうだけど……」
トワの言いたいことは分かる。
転移魔法の存在を迂闊にカミーラに見せるのはどうかという事だろう。
ならば――
「ぐっ!?」
詠唱中のカミーラに向けて一気に距離をつめ、もう一回拳を放つ。
「……悪いけど、その魔法は使わせない」
「がっ――ぎぃっいいい!!」
俺の通常攻撃はカミーラの体を闘技場の外へ吹き飛ばす。
相当手加減したのは確かだが――どうやらまだ意識があるようだ。
むしろ、さらに敵意を激しく向けながら体を起こしてくる。
「リーダー君っ、ボクの準備はできてるよ!」
「分かった。行こうか」
「ま、待てっ!」
トワの声にふり返り足を進めようとした俺の後ろから、カミーラが叫ぶ。
「ジャークロットが……森がどうなってもいいのかっ!!」
「っ――!?」
そのカミーラの言葉に、ユミフィがビクリと体を震わせる。
その姿を見て、僅かに余裕を取り戻したのか。
口角をあげながら、ゆっくりと立ち上がり、カミーラは言葉を続ける。
「ク、ククク……ユミフィ。貴様、森が焼かれるのが嫌なんだろう? だったら……こっちにこい」
「えっ……」
「ここで逃げたら……焼き払ってやるっ。あのジャークロット森林をなっ! ハハハハハハッ!」
その高笑いはユミフィに対する威圧というより、自分を鼓舞するためのものなのだろう。
苦しそうに歪められたその顔が、その事を語っている。
「本来、貴様をあぶりだすためにやるつもりだったが――ククッ、エルフは森と調和する種族だったな? 森に対しての思い入れ……アタシには理解できんが、相当なものだろう?」
「う……」
「来いっ! ユミフィイイッ!! アンタは世界にとって、必要な犠牲なんだああああっ!!」
そう叫びながら手を前に突きだすカミーラ。
あまりに必死なその姿に圧倒されたのだろう。
皆は声を出さぬままじっとカミーラの事を見つめている。
だが――
「させない」
ここで。
さすがに、ここで俺が怯むわけにはいかなかった。
「そんな取引で脅しても無駄だ。俺達が――俺が、そんな事、させない」
レベルもスキルも、何もかも揃っているこの俺が。
こうまで露骨なやせ我慢をしている相手にビビり、俺を信頼してくれている女の子を裏切る訳にはいかなかった。
「なにっ――」
「やれるものならやってみろ。その時は俺も、容赦しないからな」
「貴様っ……」
「トワ。頼む」
「う、うんっ」
もとより、カミーラの反論などきくつもりはない。
俺は自分の言いたい事だけを言って、カミーラに背を向ける。
「面白いっ! ならば明日、ジャークロット森林を焼き払ってやるっ!!」
そんな俺に対抗したつもりなのだろう。
カミーラの高らかな宣言が、光の中で聞こえてきた。