25話 しんみり
と、その場の空気が凍りついた。
鋭く、敵意をむき出しにした声が俺達の動きを止める。
声のする方に振り替えるとそこには二人の男がいた。
トーラギルドにはそれなりに年がいった人が多いなか、この人たちは若く見える。
おそらく二十後半といったところだろう。一人は獣人族だ。狐の耳が頭から生えていた。
そんな二人が俺を物凄く睨んできている。何か恨んでいるかのように。……しかし全く心当たりがない。
とりあえず俺は声をかけてみることにした。
「……貴方は?」
びっくりしすぎて間抜けな声色しか出てこない。
それが彼らの苛立ちを余計に増したようだった。
「ふんっ、師匠が新しく人を雇ったときいて様子を見ていたが……新入りならまずは挨拶ぐらいしたらどうだ?」
師匠とはおそらくアインベルのことだろう。
仕事の中でこの人たちをみた覚えはないが俺もどんな人がギルドに来ているか全て把握しているわけではない。
──まいったな……
こういう上下関係を持ち出して威圧してくるタイプの人間はかなり苦手だ。
いや、むしろ今まで優しく俺に接してくれる人がたまたま多かっただけで普通はこうなのかもしれない。実際、日本でもこんなふうに詰め寄られたことがある。
「す、すいません。俺は──」
喧嘩になって立場が悪くなるのは多分俺の方だ。
そばにスイやアイネがいるおかげもあって意外に俺は落ち着いていた。
とりあえず自分の名前を告げ自己紹介をしようとする。
「ちょっと! いきなり話に入ってきて失礼じゃないっすか! いくら父ちゃんの弟子っていったって許さないっすよ!」
だがアイネがそれを遮った。
俺の前に出て二人をきっと睨みつけている。
そんなアイネに男は呆れたような笑みをみせた。
「お言葉ですがアイネさん。貴方は少々世間知らずだ。魔術師がいかに歪んだ奴等か貴方は知らないでしょう」
アイネはギルドのエースときいている。
その実力に敬意を見せているのか男達の言葉づかいは丁寧だった。
しかし、アイネの人格に対しては敬意をまるで見せていない。
「は? どういう……」
「こいつらは差別主義者なんですよ。自分に特別な才能があるのをいいことに人を見下す、ろくでもない人間だ」
獣人の男はそう言いながら俺を改めて睨みつける。
──差別?
全く覚えがない。ゲームでそんな態度を自分がとった記憶もない。
「えっと、それはどういう──」
「聞き捨てなりません。貴方の方こそ魔術師の恰好をしているだけで彼を差別していませんか? 彼と話した事もないのに偏見がすぎるのでは」
俺が何かを聞く前に、スイが言葉を遮る。
いつもの穏やかな声の持ち主とは同じとは思えないぐらい、鋭い声色で。
「そっす! せっかくの休日なのに邪魔しないでほしいっす」
「くっ──、だがこいつは、こいつらはっ!」
もう一人の男が俺を指さす。やはり何か事情がありそうだ。
一応、きいてみたほうがいいのではないか。そう思い、俺は口を開く。
「……あの、魔術師が差別主義者ってどういうことですか? 詳しく教えていただきたいのですが」
「あぁ!? お前ナメてんのかっ!」
だがそれは逆効果だったようだ。男達は怒鳴り声を出しながら俺の方に歩み寄ってくる。
恐怖で顔の筋肉がこわばっていくのを感じた。このままだと殴られる──
「手を出そうというのなら、まず私がお相手しますが?」
と、スイが獣人族の男の腕を素早くつかむ。その瞬間、その男の顔が青ざめた。
……おそらく俺も青ざめていたことだろう。
スイの声色は怒気、というより殺気に近いものが感じられたからだ。
それに、どうやら相当強い力で腕をつかまれているらしい。男が振りほどこうとするが全くスイの手は離れない。
「ちょっと待ってくださいスイさん。俺は大丈夫ですから」
一触即発の空気の中、俺はスイの腕に手を添える。
このままだと本当に殴り合いになりそうな感じがしたのだ。
スイは俺の言葉をきくと、ふぅ、とため息をついて男の腕を離した。
──しばらくの沈黙の後、男は一歩下がり舌打ちをする。
「あの、挨拶が遅れて申し訳ありませんでした。まだギルドにどういう人がいるのか把握しきれてなくて……ただ僕はこのコートぐらいしか服を持ち合わせていません……その、どうかこの恰好でいることは許していただきたいのですが……」
このまま男達を無視するわけにもいかないだろう。
俺は彼らの気に障らないように言葉を慎重に選びながらそう言った。
と、俺の気持ちが通じたのか彼らの表情から敵意が消えていく。
「……なんだお前」
「くそっ、もういいよ、行こうぜ……ちっ、英雄様の影に隠れやがって……」
そのまま呆れたように俺に背を向けて歩き出す二人。
どうやら、解放されたらしい──
「…………はぁ」
思わずため息が口から出る。やはり、こういう人間関係のトラブルはどこにでもあるのかという失望が胸を占めていく。
今まである程度、順調に仕事は続けられていただけに不安を感じてきた。
「謝ることはなかったのですよ? いきなりけんか腰になるなんて、どうかしてます……あんな人達を弟子にするなんて……師匠は何を考えているのやら」
「そっすよ! なんかムカムカしてきたっす!」
顔に出ていたのだろうか。
俺を元気づけるようにスイとアイネは俺を挟んで彼らに文句を言う。
しかし逆に、二人を俺のことで巻き込んだようで少し恐縮してしまった。
「あの、俺のために怒ってくれてありがとうございます。でも、何の事情もなくあんな事を言うはずないですし……忘れましょう、せっかくの休日なんですから……」
「そ、そうでしたね。気が回らなくて申し訳ありません……」
先ほどまでの威圧感はどこへいったのやら。
急に弱々しくなったスイの声をきくのが心苦しい。
一方、アイネはかなり不満げに口をとがらせていた。
「むぅ……新入りさんは気が弱すぎるっす……」
「そう言わないの。私がトーラから離れても彼をちゃんとみてあげるんだよ? ……あっ」
口元に手をあて、はっと息をのむスイ。
──ちょっとまて、今なんていった?
「え、スイさん……いなくなっちゃうんですか……?」
この世界に来てから最初に出会い毎日顔をあわせていた彼女がいなくなるなんて思っていなかった。……いや、思いたくなかっただけかもしれない。
彼女は一人旅を続けていたときいている。冷静に考えてみれば再びこのトーラから離れるなんて容易に想像できることだった。
そんな俺の様子を見て、アイネは眉をひそめた。
「先輩、言ってなかったんすか?」
「う、うん……」
スイはそう言いながら気まずそうに俯く。
だが、すぐに顔をあげると俺の顔を見上げてきた。
「あの、実はある魔物を討伐する依頼を受けていまして。その依頼の期限が迫っているので、そろそろここを離れないといけないんですよ……」
そういえば最初にギルドに入った時、アインベルとそんな話をしていた記憶がある。
「ま、まぁ。先輩ならさっさと終わらせてすぐ戻ってくるっす! 英雄っすからね! 先輩は」
「うん、そうだね……」
どこか悲しげに笑うスイを見て、俺は宴のことを思い出した。
──何か、失敗して彼女は戻ってきたのだろう。だからあの時……
そんな俺の思考を断ち切るように、スイがパンッと手を叩いた。
「えっと、しんみりしたくはないので……今日は楽しく、ってことで! まずは貴方の言葉づかいをなおすところからはじめましょうかっ!」
「え? その話生きてたんですか?」
思わず一歩後ずさりをする俺に、逃げようとしてたっすね、とにじり寄ってくるアイネ。
……どこか、二人がいじめっ子のような笑みを浮かべている気がした。
「当たり前ですっ、てことで、はいっ!」
スイは両方の手のひらを前にだし、俺の言葉を待つ。
──これはもう逃げられないな。
「え、えっと……これからも、よろしく……」
少し震えた変な声になってしまったが。
彼女達がそれをきいて明るく笑うのを見ると、そんなことはどうでもよく感じてしまった。
今はただ、トーラギルドの日常を楽しむことにしよう。