231話 アイネとの約束
「うーっ! いい風っすねぇ」
荒野の街、カーデリーは夜になると一気に気温が下がる。
それでも寒さで凍えるという程ではない。シャルル亭に置いてあるローブを着こめば、アイネの言う通り俺達を撫でる風に心地よさを感じることは十分にできる。
それだけでも外を歩いてみた価値はあるというものだが――やはり、アイネと一緒に来てよかった。
ローブから溢れた長いアイネの黒髪が、幻想的に月に照らされてゆらゆらと舞う。
リラックスしきったアイネの表情は見ているだけで心が落ち着いてくるものだった。
「リーダー? なんで黙ってるんすか?」
と、不意にアイネが声をかけてきた。
「いやっ、なんでも……」
「ははっ、もしかして、ウチに見惚れてました~?」
「っ……」
図星を突かれて絶句する。
するとアイネはこの暗さでも分かるぐらいに顔を赤くさせた。
「ちょっ……そこは否定しないんすかっ……」
「う、うるさいな。アイネこそ自分で言って照れんなよ」
「うぅ……」
少しの間、アイネはきょろきょろと視線を泳がす。
一度咳払いして仕切り直すアイネ。
「でも、一体どうしたんすか? 急に真顔で散歩に行こうとか言われてびっくりしたっすよ」
少し体を前に傾け、俺のことを見上げながら歩くアイネ。
風になでられた彼女の髪の毛がふわふわと腕に当たってくる。
「……約束したろ」
「ん?」
わずかに上がった口角と、緊張したように開いた瞳。
耳と尾をひくひくと動かしながら、意地悪そうに笑っている。
そんな表情を見て察した。アイネはわざと俺に言わせようとしている。
「約束? ねぇ、約束ってなんすか?」
「うっ、アイネッ! 調子にのってるだろっ!」
「のってないっ! のってないんで、なんすか? 約束って?」
ぐいぐいと俺の腕をひっぱってくるアイネ。
「なんの事っすか? ねー、ねーっ!」
「ちょっ、落ち着け……おいっ、うわっ!?」
最後に一回、強く腕を引っ張られる。
それで俺は一気にバランスを崩してしまった。
「うにゃっ!?」
急に片足をすくわれたように、俺はアイネに向かって倒れ込む。
不意にきたそれを支えきれずアイネは俺の体ごと後ろに倒れ込んでしまった。
「だ、大丈夫かっ!」
体を走った衝撃の後、急いで俺は地面に手をついて体を起こす。
俺の体ごと転んでしまったのだ。どこか怪我をしてなければいいのだが――
「…………」
のだが。
アイネの顔があまりに近くにあったせいで思考が止まってしまった。
それはアイネも同じだったのだろう。呆気にとられながらじっと俺の事を見つめ続けている。
「だ……大丈夫じゃないんで、少しこのままでいっすか……?」
アイネが、おそるおそるといった感じで声をかけてくる。
気のせいだろうか。少しずつアイネの顔がさらに近づいてきているような――
「いや……人が……」
「いないじゃないっすか。ここら辺……」
「っ!?」
アイネの目がわずかに垂れる。
と、俺はその時初めて気づいた。
俺の首の後ろにはアイネの手が添えられている。
アイネの顔が近づいてきているんじゃない。自分の顔がアイネに近づけられているのだ。
「んー……」
すっと、アイネの顔が視界からずれた。
俺の肩に顎をのせ首の後ろに回った手が背中に下がる。
「やっぱりリーダー、いいにおい……」
思わず息が止まった。
あのまま顔が近づいて――キスされるかと思ったのだ。
だがこれはこれで相当に恥ずかしい。首筋にぞわりと鳥肌が走る。
「アイネ、くすぐったい……」
「んふふ」
「お、おいっ……」
俺がそう言うやいなや、露骨にアイネは俺の首筋に鼻息を当てる。
しびれるような奇妙な快感。それにこらえているとアイネはしてやったりと言った顔で顔を離した。
「ねぇ、リーダー……これ、そういうことっすよね?」
「え?」
「約束」
ささやくようなアイネの声。
……言うまでも無い。シュルージュで交わしたデートの約束。
「……あぁ。ごめん。忘れてた訳じゃないんだけどさ……」
「分かってる。全然二人きりなんてなれなかったし……ねぇ、リーダー」
と、アイネの腕が再び首の後ろに回ってきた。
ぐいぐいと俺の顔がアイネの顔の近くまでひっぱられる。
「デートしてる時……相手がこんな近くにいたら……普通、なにすると思う……?」
「え……」
「…………」
さらに近づいてくるアイネの顔。
途中でアイネの顔が肩の方向にずれることもなく、そのまままっすぐに近づいてくる。
それを見て察した。
――このままいけば、今度こそ……
「アイネッ! と、とりあえず立とう」
極まった羞恥心が俺の理性を取り戻させる。
俺は近づいてくるアイネの肩に手を置いて距離をとろうとした。
「いや」
だがアイネはすぐに俺の手を払った。
アイネに押し倒されたような格好になる。
「いやって、ちょっ――」
「次の機会がいつになるか分からないし。いや」
「っ……」
俺の手首を押さえつけて顔を寄せるアイネ。
アイネの長い髪が垂れかかってきてくすぐったい。
そして俺の顔に当たる髪は少しずつ増えていって――
「ば、場所を移すだけだって! ここじゃ本当にまずいだろっ!!」
アイネの鼻が数センチ前にまで来た辺りが俺の限界だった。
俺はアイネの肩を押し上げて無理矢理距離をとる。
……我ながらヘタレだとは思う。
だが一応、ここは思いっきり人が歩く道だ。
今は人気が全く無いが、誰が通るか分からないこの場所で抱きしめるように寝転んでいるのはとてつもなく心臓に悪い。
「……そういう事は早く言ってほしいっす」
恥ずかしそうに笑ってアイネは俺から離れる。
そのままパンパン、と軽く体を叩いてゆっくりと体を起こした。
「ほら。じゃあその場所に連れて行ってほしいっす……」




