230話 妄想家族
「あ」
「おっ、出てきた出てきた」
慌てて更衣室の外に出るとベッドに座っていたアイネとトワがニヤニヤと笑いかけてきた。
「あれ……どうした?」
まだ食堂を出てから一時間は経っていないはずなのだが。
若干呆けた感じで立ち尽くす俺に二人が近づいてくる。
「アハハッ、それってこっちの台詞だよ」
「先輩と仲良くやれたみたいっすね」
「っ……」
ここからでもスイがシャワーを浴びている音はきこえてくる。
そして更衣室から俺が出てきたのだ。この二つの符号が意味することは一つ……!
「……えと、ケンゾーさんの用事は終わったのか?」
と、苦し紛れに話題をそらしてみる。
「うん。意外に早かったっすよ。軽く味見してアレンジ案出しただけでケンゾーさんが張り切っちゃって」
「なんか色々試したいんだってさ。面白い人だよねっ」
「そ、そうなんだ」
それだけアイネのアドバイスが的確だったということなのだろうか。
ケンゾーも熟練の料理人の雰囲気をかもしだしていたが、そんな彼にあそこまで言わせるとは――アイネ、恐ろしい子……
「んで、どうだったっすか? 先輩は」
「うっ……」
と、アイネが改めてニヤニヤと笑いながら声をかけてきた。
どうやら俺の悪あがきは通用しなかったらしい。
トワが待っていたと言わんばかりに俺の顔の前を飛び回る。
「どうもこうも、二人でお風呂でしょ? これは怪しいよね~」
「ま、計算通りっすけどね」
くすりと笑うアイネ。
「計算通り?」
「うん。エイミーさんからウチのことかばってくれたし先輩には借りができちゃったから」
「という訳でスイちゃんにリーダー君を誘惑するチャンスをあげんだってさ!」
「誘惑って……」
なぜか自信満々のドヤ顔を決める二人を前に、苦笑する。
するとトワが怪訝な表情で話しかけてきた。
「ん? なんでそんな顔してるの?」
「え?」
「スイちゃんと二人でお風呂、楽しくなかったの?」
思いっきり真顔できいてくるトワ。
その視線を真っ向から受け止める事ができず顔をそらす。
「い、いや……その……うぅ、情けないな……」
「なんでっすか?」
アイネがきょとんとした顔で首を傾げる。
「え、いや……誘惑に負けて……?」
「それでいいじゃないっすか」
少しいたずらっぽく歯を見せて笑うと、アイネは俺に一歩近づいてくる。
そして俺に顔を寄せ、ささやくように言葉を続けた。
「そのまま誘惑に負け続けてよ……そしたらウチら、家族になれるし」
「か、家族っ!?」
色々と何かを通り越している気がして、俺は頓狂な声を出してしまった。
「うん。リーダーがウチらと結婚してくれればだけど」
「え? 妖精と人間って結婚できるの?」
「あれ? トワちゃんも?」
「え!? 今ボク、ナチュラルにハブられた? ひどくないっ!?」
「あははっ」
呆気にとられる俺をスルーしてアイネとトワが盛り上がっている。
――結婚か……
トーラを出る時にもアインベルがアイネの貰い手で悩んでいたなんて話しをしていた記憶がある。
俺にとって結婚なんて都市伝説みたいなものだった。特に日本にいた頃では。
ふと、アイネが自分の奥さんになった姿を夢想する。
エプロンを身に纏い、とびきりおいしい料理を俺に向けて差し出してくる笑顔のアイネ。
ちょっぴり照れながらそれを食べさせてくれて、俺の名前を呼びながら――
――全然アリだ……
「ちょっと……何変な事いってるの、アイネ」
「あ、先輩っ」
という、我ながら気持ちの悪い妄想はスイの声で断ち切られた。
水色のネグリジェに身を包み若干呆れた様子で更衣室のドアノブを握っている。
「すいませんリーダー。なんか中途半端しかできなくて……私終わりましたので、入りたかったらどうぞ」
「ん? また入るんすか?」
そう、アイネが怪訝な声をあげるとスイは恥ずかしそうに顔を伏せた。
「……私、うまくできなかったから」
「えーっ!? せっかくお膳立てしたのにっ!!」
「うー……」
こういう時、俺はどういう反応をしてあげればいいのだろうか。
彼女達の気持ちが凄く嬉しいが、どうしても気まずい。
「じゃあリーダー、今度はウチと一緒に入るっすよ!」
と、アイネがぐいっと俺の腕を引っ張ってきた。
そのまま一気に更衣室の方へと引き寄せられる。
「え、おいっ!?」
「ボクは? ねぇ、ボクは?」
後ろから聞こえてくるトワの声。
そんなごちゃごちゃした空気の中でも俺の羞恥心は消えていない。
……結局、なんだかんだで俺は一人でシャワーを浴びなおした。
†
月明かりが差し込む静穏な空気の中、俺は一人で体を起こした。
部屋の灯りは全て消し、隣にはスイとアイネが行儀よく並んで眠っている。
枕の傍ではトワがハンカチを使って自分で作った布団を纏い寝息をたてていた。
「アイネ……」
ふと、アイネの方に視線を移した。
思い返されるのはシュルージュでのアイネとの約束。
それを忘れた訳ではなかったが、どうにも二人きりになる時間もなく言いだす事ができなかった。
「ん、どしたっすか?」
「あっ……」
と思っていたら、ぱちり、とアイネが目を開ける。
「ごめん、起こしちゃったか」
「ううん。最初から起きてたっす」
「そ、そうか……」
なんとなくそんな気がしていた。
姿勢こそリラックスして寝ているが、アイネの表情はしっかりとしている。
「んで、どうしたんすか。リーダー」
そう言いながらアイネは上半身を起こす。
月に照らされた猫耳がひくひくと動く。
「いや、その……」
「んー?」
体を斜めに傾かせて、わざわざ俺を見上げてくるアイネ。
その表情から、俺が何を言いたいかはある程度察しているようだ。
うずうずと、何かを期待しているように俺を見つめてきている。
それが俺にとってはプレッシャーだったが――事、この期に及んでそんな事も言ってられないだろう。
「一緒に散歩しないか?」
「……うんっ!」
少し緊張した表情から満面の笑みに変化していく様を見て、俺はほっとため息をついた。