225話 一口看破 後編
スイが言う『あのオカリナ』とは、アイネが俺にくれたオカリナの事だ。
猛き勇者の応援歌はパーティメンバーの攻撃力を、清き聖者の子守歌はパーティメンバーを若干回復させ、かつ自然回復力を大幅に高める吟遊詩人のスキル。
スイとアイネが居た場所にたどり着くまでの間、俺はそのスキルを使って彼女達を支援していたのだ。
「……えっと、どういうことです?」
とはいえ、今の言葉だけで状況が全て伝わるはずもない。
少し恥ずかしそうにしながらシラハが首を傾げる。
「ミハさんから貰ったこのロザリオはディフュージョンエンチャントっていう補助スキルが発動するように作られてたんですよ。そのおかげで離れ離れになっても支援をすることができたんです」
「へぇ……?」
あまりピンときた様子の無いシラハの表情で俺は自分が言葉足らずだった事を察する。
ゲームでは吟遊詩人のスキルの効果範囲はプレイヤーキャラクターを中心とした画面内に限られている。
単純に言うとプレイヤーが視認できないパーティメンバーには支援効果が発生しないという仕様だった。
この世界での吟遊詩人のスキルがどのような仕様かは分からない。だが、流石に視認できないだけでなくフロアも違うところにいるパーティメンバーに支援効果が発生するとは思えない。
そこでディフュージョンエンチャントの出番という訳だ。
ディフュージョンエンチャントの発動下では吟遊詩人のスキルは同じマップに存在する全てのパーティメンバーに効果が及ぶ。
おそらく俺達がフルト遺跡の地下三階にたどり着いた時には、俺が使った支援スキルの効果がスイとアイネにも及んでいたはずだ。
――でも、これだけの事をどうやってシラハ達に伝える……?
「つまり、このロザリオはただのロザリオじゃなくて特別なロザリオだってことだよっ! それを作ったミハちゃんは凄い人なんだねってこと!」
「そうですっ! お姉ちゃんは凄いのです。はいっ!」
「えへへ……」
なんて俺の葛藤もバカらしくなるほどにトワがあっさりとその場をまとめる。
少し恥ずかしくなる。まだ中学にもいかなそうな女の子相手に何をガチに説明しようとしているのか。
「ご談笑中、失礼します」
そんな時、ふとケンゾーの声がかかった。
皆の視線が声の方向に集中する。
「わぁ。すっごく美味しそう!」
「光栄です」
ケンゾーは軽く一礼しながら手際よく四人分の食器を並べていく。
出されるのはふわりと盛られたシチューとサラダ。そしてカットされた宝石を連想させるような彫刻がなされているコップに入った水。
昨日の宴ではこんな食器は目につかなかったのだが――今居る客が俺達だけだからだろうか。かなり気合が入っているように見える。
「……しかし驚きましたね。ミハとお知り合いだったとは」
ふと、あらかた食事を並び終えたケンゾーが俺に向かって視線を移してきた。
不意に声をかけられた事で少し驚いていると、ケンゾーは苦笑しながら頭を下げる。
「申し訳ありません。立ち聞きするつもりはなかったのですが」
「いえいえ。シュルージュではお世話になったので」
「そうですか。それで……それはミハのロザリオなのですか?」
俺の胸元に視線を移しながらケンゾーがそう問いかける。
するとシラハがテーブルに身を乗り出しながら口を挟んできた。
「そうですっ! おにーさんは王子様なんですよ。はい!」
「いっ!?」
色々と誤解を呼びそうな言葉に若干背中が冷えるような感覚を覚える。
「はっはははは。そうですか。王子様ときましたか」
豪快に笑うケンゾー。だがそれも束の間――
「……では、貴方達はミハの事をよくしっているという訳ですか」
ケンゾーは見定めるような目で俺のことをじっと見つめてきた。
その視線に少しの間気圧されてしまったが――相手の狙いは俺を威圧することではない事ぐらいはすぐに分かる。
「……詳しいかどうかは分かりませんが、シュルージュでは親しくさせてもらいました」
「そうですか。それは安心しました」
ふっと頬を緩めて姿勢を正す。
そのまま軽くお辞儀をしてケンゾーは立ち去ろうとした。
「ではお食事をお楽しみくだ――」
「お。このシチュー、いい感じに白ワインがきいてていいっすねー」
そんな時、アイネの声が耳に届く。
少し慌てた様子でアイネに声をかけるスイ。
「ちょっ、アイネ……いきなり口にするなんて行儀悪いよ……」
「あー、すいません。結構いい感じの匂いがしたんで」
軽く舌を出しながら苦笑するアイネ。
それに対しトワが首を傾げる。
「ワイン? これシチューでしょ」
「多分隠し味だと思うんすけど、割と辛口のものが大さじ一杯ぐらい入ってるっすよ」
「……へ?」
その言葉につられるように皆がシチューにスプーンを伸ばす。
――甘い。白ワインが隠し味によくつかわれるというのはきいたことがあるが、アイネの言う辛口のものが使われている気配などまるでない。
皆も同じように考えたのか、怪訝な顔でアイネを見る。
だがアイネはそんな視線など気にする様子も無く、サラダを口にしていた。
「あと、このドレッシングもいい感じっすね。この感じだとアステラの実とリルフィー草のだしを2対1って感じっすか。うん、これは勉強になるっすね。あ、もしかしてリルフィーの草は最初にあぶってる感じっすか? この香り、いい感じに――」
「ちょっ、ちょっと!」
と、ケンゾーが今までの雰囲気からは想像もできない程、狼狽した様子でアイネの声を遮ってきた。
アイネがきょとんとした顔でケンゾーを見る。
「何故? 何故、そのことをご存じなのですか?」
「え? 食べたからっすけど……」
「そ、それだけでこのドレッシングの配合を!? 秘伝なのにっ!」
「秘伝!? え、ウチ……そ、そんなつもりじゃ……」
慌てて周囲を確認するアイネ。
人がいない事を確認できただろうか。ほっと安堵のため息をつく。
「いえ、そんなことはどうでもいい。貴方は、えっと……」
「あ、アイネっす……」
「アイネ君!」
バン、と机に手を突きながらアイネに詰め寄るケンゾー。
今までの温厚な雰囲気を出していた人物とは別人のようだ。
「本当に……本当に、食べただけで分かったのかね」
「え、そっすね……ウチ、これに似た味のドレッシングつくったことあったから……」
「な……なんですと……!」
ケンゾーの体を支える腕が、衰えきった老人を思わせるように震えていく。
その尋常ならざる様子にシラハが顔をしかめた。
「ケンゾーさん? ど、どうしたのですか?」
「先祖から、代々受け継いだ秘伝のドレッシングの配合を……一口で……? いや、作ったことがある……ですと……?」
しかしシラハの声かけもケンゾーの耳には届いていない。
やや青ざめた表情で震えるだけ。そんな姿のケンゾーを眺める事十数秒。
「……シラハ、クレハ。申し訳ないが食事がすんだら片付けを頼んでもいいかね」
「あ……」
絞り出すように出されたケンゾーの声に対しシラハは固まったように動かない。
「別にそれはいいんですけど……」
その鬼気迫った表情の理由は何なのか言外に問いかけるクレハ。
しかし、ケンゾーはそれに答えずアイネに視線を戻す。
「頼む! その君の舌……私の新作開発のため、少し貸してくれないだろうか! 一時間だけでいいっ!」
「う、うええ~!?」
顔の前に手を合わせ低頭するケンゾー。
そんな彼を前にアイネは恐縮しきってしまっていた。
体をのけぞらせたままでうまく言葉を出せていない。
「どうだろう!」
「う、うーん……あっ」
ふと、アイネの上にピカリと光る電球を幻視した気がした。
ニッと笑いながらアイネはスイに対して耳打ちを始める。
それを見るや否やトワが興味津々といった表情でその場所に飛んでいった。
「先輩、先輩……」
「えっ……」
会話の内容は俺の方には殆ど聞こえてこない。
だが、その表情を見ていれば分かる。
――なんか、悪巧みしてるな、アイネ……
しばらくするとスイは顔を真っ赤にしながらアイネから体を離した。
「ちょっ、ちょっと! 別に私はそんな事――」
「いいから、いいから」
「アハハッ、アイネちゃんも気が利くねー」
「にへへ」
スイ達が何を考えているのか、その会話の内容をきいていない俺達には全く予想がつかない。
ただただ怪訝な表情で彼女達を見つめる俺達の様子に気づいたのか、スイはハッとした表情で姿勢を正す。
そしてアイネは改めてケンゾーに向き合うとにこりと笑った。
「ケンゾーさん、協力するのは別にいいっすけど、トワちゃんも一緒でいいっすか? あ、企業秘密は漏らさないように当然約束するんで」
「も、もちろん! 食べ終わったら厨房に来ていただきたい。頼むっ!」
そう言いながら興奮した様子で厨房に入っていくケンゾー。
最初に出会ったときの温厚な雰囲気はどこへやら。これが職人というものなのか。
「んじゃ、これ食べたらちょっとだけ行ってくるっすね」
にこりと笑うアイネ。
その笑みに小悪魔のような蠱惑の色が含まれている事に、俺は後から気が付いた。