19話 昔のスイ
「いいわ、そう……上手ね、そうよ。そこは弱いところだから優しくね……」
生い茂る緑。煌めく太陽。雲一つない鮮やかな青い空。
その場で息をするだけで癒される──ような場所なのだが。
「あんっ、だめよ。そこは傷つけちゃ、だ・めっ」
その声のせいで癒しなんてものは全く感じられなかった。
しかし、懸命にその声を振り払おうとしたおかげで逆に目の前の作業に集中することができた。
「ふふっ、そうよ……いいわ。花マルをあげましょう」
メイド服をきたその人物が、人差し指で空中に花マルマークを描きにこりと笑う。
──笑っているんだよな、これ?
目が異様に開き、少し荒くなった息遣いを見てそう疑ってしまう。
しかし、それでも分かることはある。『彼』には悪気があるわけではないのだ──
「結構重労働ですね。ちょっと腰が痛いです。肩もこってきましたよ」
俺は肩をぐるぐるとまわしながらそう言う。
スイが酔いつぶれた翌日も俺はギルドの仕事に就いていた。
今日の仕事は薬草の採取だ。戦闘要員の傷を治療するのには不可欠のため非常に重要度が高い仕事らしい。
トーラの近くには薬草が大量に生えるフィールドが存在する。
魔物が存在せず初心者が金策する場所としてゲームでは有名だったところだ。
自然を感じつつもかなり人の手がいきわたっているようで道もしっかりしているため歩きやすい。
そんな場所で俺はアーロンから薬草採取の仕事を教えてもらっていた。
ゲームでは草のオブジェクトをクリックするだけで薬草をドロップしていたがこっちではそうもいかない。
アーロンが言うには魔力が溜まっている部位があるらしくそこを傷つけないように採取しないと回復量が下がるらしい。
そのため俺はつきっきりで彼の指導を受けることになっていたのだ。
「すぐに慣れるわよ。もっと力抜いてやればそんなに疲れないわ、ほら」
と、アーロンが俺の肩に手をかけてくる。
一瞬、何をされるものかと身構えたがすぐにその緊張は解けた。
アーロンは俺の肩をもんでくれようとしているのだ。
──新入りがこんなことまでされていいのか?
少し恐縮に思うも、その考えはすぐに吹き飛んだ。
「うぉ……」
思わず、息を漏らす。
彼の巨体からはとても想像できない優しい力の入れ具合。
的確にこっている場所を探し出す能力。まるで自分の内心が読まれているかのようだった。
「凄い、気持ちいいです……うまいんですね……」
「ふふっ、こう見えても私、乙女だから」
後ろから聞こえてくる野太い声。
しかしあれだ。こうも丁寧に肩もみをされると……もう、そんなことはどうでよくなってくる。
──これからは丁重に女性として扱おう。それが礼儀というものだ、うん。
「……それにしても、昨日は災難だったわね」
ふと、彼──いや、彼女は少し声色を落としながらそう言ってきた。
スイの事を言っているのだとすぐに察する。アーロンは宴の時、厨房にいたときいている。
詮索していいものか分からないが話が続かないので、とりあえず俺はスイのことをきいてみることにした。
「スイさんって何かあったんですか?」
「最近のことは分からないわ。十五になったその日に旅に出ちゃっててね。そっから一年、スイちゃんはずっと旅に行ってたもの。まぁ、あの噂が流れてきたことはあるからなんとなく察しがつくけど……」
「そうですか……」
気になる言い方だったがスイのプライバシーにも関係しそうなので触れないでおく。
少なくとも最近のスイの様子を直接見て知っているわけではなさそうだ。
しかし、アーロンは饒舌に言葉を続けていく。
「スイちゃんはね、あることがきっかけで両親から離れて暮らさないといけなくなってね。剣の才能があったこともあって十年ぐらい前にアインベルが引き取ったのよ。それでも最初は寂しそうで、可哀そうだったわぁ」
何かを思い出しているのか、肩をもむ手がとまった。
「……小さい頃から周りの視線を気にする子でねぇ。あまりはしゃいで遊ぶ子には見えなかったわ。起きたら修行して寝て、また修行してって感じでね……だから、昨日のスイちゃんの様子には私もちょっとびっくりしてるのよ。お酒が弱いのは知ってたのだけれどね」
「なるほど……」
「ここら辺の人は家庭を持つと、もっと人がいて稼げる場所に皆ひっこしちゃうのよ。だから住んでるのは、そこそこ年がいった人ばかりでねぇ。ギルドに集まる冒険者も殆どがアインベルの元弟子だったりするのよ。だからスイちゃんと同年代の子はアイネちゃんしかいなかったわ。そういうのもあってトーラの人たちは二人を娘みたいに扱っているのだけれど……そのせいで同年代の子とあまり仲良くできなかったのかしらねぇ。帰ってきたのも急だったし……大変だったのねぇ……」
まるで父──じゃなくて母が我が子を思うかのように目を細めるアーロン。
……言い方がなんかオバチャンくさかったが。
それはともかく、俺はリアルで女の子が泣いているところを見たのは生まれて初めてだった。
酒が入っていたせいもあるだろうが相当悩んでいるように見えたし──どうすればいいのやら。
「でも私、そこまで心配してないわよ? スイちゃんは強い子だし、それに──」
アーロンがにやりと笑みをうかべながらこちらを見る。
「貴方、ここに来てからずっとスイちゃんと話してない?」
そうかなぁ、と思い首をかしげる。
だが、確かにトーラに来てから毎日スイやアイネとは顔は合わせているかもしれない。
特にスイは最初の日はずっと一緒だったし──そう考えると少し気恥ずかしい。昨日のこともあるし。
俺はその感情を悟られないように少し俯いた。
「ずっと、って言ってもまだ三日かそこらですよ。仕事終わりに顔を合わせるだけだし……」
「照れ屋さんねぇ。はたから見てると楽しそうよ?」
「うっ……まぁ、楽しいですよ。あの二人と話すと明るくなります」
「そうなの、ふふっ……」
優しくほほ笑んで……いると思われるアーロン。
──もう少し表情を自然な感じにしてくれないかなぁ……
こう表現するのが失礼なのは重々承知だが、その顔はなんというか……禍々しい……
「スイちゃんはこの頃アイネちゃんと二人でクエストに行っているみたいだけど、そのクエストが終わると必ずといっていいほど貴方の場所を誰かにきいているみたいよ。貴方、本当にスイちゃんの彼氏じゃないの?」
「ち、違いますよっ……責任感ありそうだったし、自分が助けた人がちゃんとやれているか心配なだけだと思いますけどね……」
まだその話をひっぱるんですか、と苦笑する。
「ふぅん……でも貴方、自分で思っているより目立ってるわよ? アイネちゃんならまだわかるけど、スイちゃんがあんなにはしゃいでいるのって今まで誰も見たことなかったんだから。しかも男の子とでしょ? 彼氏とまではいかなくても結構気に入られてはいるんじゃない?」
「まぁ、昨日の絡みっぷりは目立ってたでしょうね」
正直、スイと出会ってから日が浅いのもあってアーロンの言っていることは実感がわかなかった。
しかしアーロンはそれがお気に召さないようで顔をしかめる。
──うわ、怖い……
「んもぅ、それだけじゃないわよ。全くにぶちんね。このイケメンッ!」
「うおっ……」
唐突に肩にチョップを受けた。
痛くはなかったが不意にこのでかい図体から攻撃がくると痛く感じる。
だが俺のこの感情はアーロンには分からないんだろう。
乙女なのだからしょうがないか……
「なんにせよ、昨日の貴方は恰好よかったわ。変なことは気にしちゃだめよ。後でちゃんと盛り上がりなおしたんだから」
「……はい」
と、アーロンの声が優しくなっ……た……ような気がしたような覚えがした感じがしないでもなかった。
昨日、俺が雰囲気をぶち壊したことを気にしているのを見透かしていたらしい。
──気遣ってくれているんだよな? やっぱり優しい人だよな……
前にハンドクリームをもらった時、少し疑ってしまったことを後悔する。
と、そんな時だった。
「おっ、やってる、やってる!」