169話 朝
翌日の早朝。
やや船をこいでいるアイネの肩を支え、俺達は食堂の扉を開けた。
「あっ、おはよ♪ 食事はもうできてるよ♪」
先ず目に入ってきたのは丁寧にお辞儀をするミハだった。
どうやら俺達は一番乗りだったらしい。食堂には他の冒険者達の姿は無い。
と、食事が用意されているのを見てアイネがピンと耳を張った。
「おーっ、うまそうっすね! さっそくいただくっす!」
「はい、召し上がれ♪」
先ほどまで眠そうにしていた人間とは思えない程、機敏にテーブルに移動するアイネ。
思わず苦笑するも、その香りは確かに食欲を誘うものだった。
用意されているのはスクランブルエッグに丸くスライスされたハム、そして野菜とチーズを挟んだパン。
これは──パニーニというやつだろうか。あまり料理の知識には明るくないため正確な名称は分からないが縞々についた焦げ模様とチーズの香りは見ているだけで唾液が出てきてしまう。
「いただきまーっす!」
「いただきます」
それは彼女達も同じだったのか、スイとアイネは早々と手をあわせ目の前の料理に手をつけていく。
──さて、どこから食べ始めていこうか。
どれも魅力的に見える分、迷ってしまう。
すると──
「はい。どーぞ」
ミハがスプーンの上にスクランブルエッグを乗せ俺の前に突き出してきた。
──ん?
ミハの意図が分からず首を傾げる。
と、スイがひきつった笑みを浮かべながら話しかけてきた。
「……あの、どうしたんですか? 一体」
「え? あーんしてあげようかなって♪」
「「な、なんでっ!?」」
満面の笑みで返すミハに、スイとアイネが身を乗り出してきた。
「冗談だよ♪ そんなムキにならないで。きゃはは♪」
「……冗談? 本当に冗談っすか?」
「本当だって♪」
ジト目を送るアイネを前にしてもミハの笑顔は崩れない。
──え、修羅場ってる? 朝から?
若干空気がピリピリとしている感じがするのは気のせいなのだろうか。
硬直する俺を肩の辺りでトワがニヤニヤと見つめている。
どうも助け舟を期待するのは無理そうだ。
──ここは無理にでも話題を反らすしかない!
そう思ってミハの手からスプーンをとり、自分でそれを口にする。
「……あ、美味しい」
だが、無理するまでもなく、自然とそんな言葉がこぼれてきた。
湯葉を黄色で染めたように綺麗にまとめられた卵が、口にいれた瞬間にふわりと溶けて全体に広がっていく。
飲み込むのが惜しいと思える程に舌を包み込む甘さ。お世辞抜きで本当に美味い。
「ほんと? アイネちゃん程じゃないとは思うけどね、そう言ってくれると嬉しいな♪」
頬に手を当てながら甘々な声を出すミハ。
ふと、思い浮かんだ疑問をぶつけてみる。
「これはミハさんが?」
「うん、そうだよ♪」
そう言いながらミハは少し自慢げに胸を張る。
……それを見て、ふと考えた。
シャルル亭にはミハ以外に殆ど人がいない。
前にミハに『教育』されていた受付嬢ぐらいしかシャルル亭で働いている人を見たことが無かった。
位置の問題なのかもしれないが厨房からも人の気配が全くしないし相当な人手不足なのだろうか。
その原因はミハにあるのか、あるいは──
「まぁ、ここの料理はおいしいですよね……どうやって勉強してるのやら……」
と、俺が無駄に考え込んでいる間にもテーブルの料理は少なくなっていた。
軽く頬をつねって気持ちを切り替える。
ミハの事情を知ってしまったとはいえ、今は別にやるべきことがあるのだ。
またアイネに心配をかける訳にはいかない。
「でも先輩もまともな料理作れるようになったじゃないっすか」
「まともな料理って……そりゃあ、結構勉強したし……」
「そういえば……最初に会った頃はよくお腹くだしてたっけ。自分で作った料理食べて……」
「ちょっ!?」
スイが目を丸くしている姿が視界にうつる。
意地悪く口角をあげるアイネ。
「アハハッ、そりゃ意地でも料理の勉強する訳だね」
「トワッ……! もう……」
いじけたように、ちびちびとパニーニをかじるスイ。
そんな彼女達の様子に気持ちが和んでいくのを感じていると──
「ねぇ。もうシュルージュには来ないの?」
ふと、ミハが少し真面目なトーンで声をあげてきた。
全員の視線がミハに集中する。
「この街は嫌いかもしれないけど……スイちゃんに……君達に会えないのは寂しいなって」
その言葉に、食器のぶつかる音が消えた。
だがその沈黙も、ミハがすぐに破る。
「あっ、お金目的じゃないぞ♪ ほんとだぞっ♪」
「分かってますよ」
小さく鼻でため息をするとスイが一度食器をテーブルに置いた。
そしてミハに改めて視線を移すと、穏やかに言葉を紡いでいく。
「正直、先の事は分かりません。とりあえずカーデリーに行って……その後の事は目的を達成した後で考えようかと」
「そっか」
スイの言葉に俺もアイネも頷く。
そして彼女の言葉を補足するように、俺は自分の気持ちを声にした。
「でも、必ずまた来ますよ。俺、シュルージュはそんなに好きじゃないけど、シャルル亭は好きですから」
「えっ……」
きょとん、と目を丸くするミハ。
と、俺の言わんとしていることを察したのだろう。
「そうだねっ。ボクもミハちゃんと色々お話ししてみたいし。またこようよ」
「もちろん。だって私、ここのお得意様ですからね?」
「今度は一緒に料理作るっすよ!」
三人の言葉に、パチパチと瞬きをするミハ。
「……ありがと♪」
だが、すぐにほっこりとミハはほほ笑んでくれた。
いつもより少しだけ甘さ控えめの声。
と、ミハは思い出したように手を合わせる。
「あ、そうだ。これ、君にあげるよ」