16話 密着・挑発・開幕
翌日。
仕事を終えた俺は受付エリアのテーブルの前でノートを開く。
この世界にきて四日目、俺はある重要な点に気が付いた。
──文字が読めない。
食堂の仕事をあらかた覚えるためにレシピを渡されたのだが、それが全く読めなかったのだ。
文字を読む機会がこの世界にきてからなかった俺は、そこでその点に気づいてしまう。
これには食堂の先輩もかなり驚きだったらしく一瞬、解雇を覚悟した。
だが、予想に反し丁寧に口頭で作り方を教えてもらったのでそれをメモする形で仕事を覚えることになったのだ。
その他にも食器の位置、掃除の器具の扱い方、時間帯など覚えることがかなりある。
そういうこともあってノートと羽ペンを支給され、今へと至る。
「あれ? なんすかその文字」
ふと、きこえてくるアイネの声。
またこのパターンか、と思い俺はふふっと笑みをこぼした。
振り向く前からなんとなく予想がつく。
「お疲れ様です。仕事の復習ですか? 熱心ですね」
やはり、というべきか。振り返るとそこにはスイの姿があった。
この二人はトーラでは行動をずっと共にしているようだ。
おそらく何かしらの討伐クエスト何かを受けていたのだろう。
アイネの服はかなり汚れている。傷は無いようだが相当動き回っていたようだ。
相変わらずスイの方は傷も汚れもなかったが。
「えぇ。俺、こっちの文字が読めなくて。俺が読める文字に書き直していたところです」
「へぇ……遠くからきたんすか? でも、喋る言葉が同じなのに文字が違うなんて……」
「意外……っていうか不思議ですね。こんな文字は見た事がないです……」
俺の両側から覗き込むようにノートの文字を見つめる二人。
そこに書かれている日本語は彼女達には古代文字か何かにでも見えているのか。
二人とも顔にハテナマークを乗せている。
「でも少し焦ってるんですよね……そのうち書類整理とかも任されるみたいで。文字が読めなかったらできそうにないし……」
はぁ、と俺は思わずため息をつく。その直後気づく。
──まずい、何いきなり弱音はいてるんだ俺は。
しかし、二人が気を悪くしたことはないようだった。むしろ──
「なるほど、つまり……」
スイはそういいながらアイネをちらりと見る。
それに気づいたアイネはニカッと笑うと俺の肩をぽんと叩いた。
「勉強会っすね! ウチらが教えてあげるっす!」
「えぇっ?」
意外な言葉に声が裏返ってしまった。
だがそんな事はお構いなしに二人は俺の隣へと座りこんだ。二人に挟まれる形になる。
「そのノートの紙、ちょっともらうっす。なーに、話せるんすからすぐ覚えられるっすよ」
「言葉と文字を対応させるだけですから。アイネ、一緒に表作る?」
「おー、面白そう。どれどれ……」
俺のもっていたノートから一枚のページを切り取ろうとアイネが身を乗り出してきた。
少し屈んだ状態になった姿勢のせいでアイネの猫耳が頬に当たってくる。
思わず、のけぞりながら俺は首をよこにふった。
「いやっ、そんな、わる……」
「わるくないわるくない。なんか面白そうっすから、やってみるっす」
俺がそう言う事は予想通りだったのだろう。
アイネは俺の言葉を遮ると爪でノートのページを強く折り曲げジーッときりはなしていく。
……俺の右腕に彼女の顔があたるような体勢で。
集中しているのかだんだんと前かがみになってくる。
同時に俺の腕によりかかるような姿勢になっていくアイネ。
──ちょっと、くっつきすぎじゃありませんかね。
恥ずかしくなって、俺はぐぐぐっと背をのばし距離をとろうとする。
「なんか先生になった気持ちですね……ちょっとわくわくします」
だが他方で、左の方からスイが乗り出してきた。まるで逃げ場を奪うかのように。
──近くね?
というか、これでは二人の邪魔になってしまうのではないだろうか。
そう考え、俺は席をどくため腰をあげようとする。
「いやっ、じゃあせめて俺どきますよ。やりにく……」
「大丈夫です。すぐに終わります。ほら……って、ちょっとアイネ、線をひくなら定規を使おうよ」
そう言いながら俺の肩を押さえて座るように促すスイ。
一方、アイネは表を作ろうとしていたのかペンで線をひいていた。
しかしそれは不格好に歪んでいる。
「だってそんなの無いじゃないっすか」
スイにそれを指摘されるとアイネはキョロキョロと辺りを見回す。
確かにアイネの言うとおりそれらしきものは見つからない。
すると、スイは自分の腰にある剣の柄を握る。
「えーっ、じゃあ私の剣使う?」
「で、でかすぎっしょ! それに危ないっす」
「あっ、そっか……ご、ごめんなさいねっ。気がきかなくて……」
そう言いながら俺の顔へと目を移す。
「いやっ……全然……」
──そんなことよりその近さについては、いいんでしょうか?
俺の悩みなどつゆ知らず、二人はうーんとうなりだす。
「うーん、基本文字どう並べたらいいんだろ……教科書にかいてあったこととか覚えてたりとか……ないっすか?」
「そんな子供の頃の事覚えてないよ……うーん……」
俺は二人の間で逃げる隙間をなんとか見つけようとする。
しかし二人にほぼ密着されていてよく動けない。
結局、目線を泳がすことしか俺にはできなかった。
と、その状態からさらに二人が俺の方に身を寄せてくる。
「あ、こうやって作ったらみやすくない?」
「おぉー、流石先輩」
「あの、ちかっ……」
近いというか、もう完全にくっついてる。
腕に何か柔らかい感触があるが気のせいだろう。
──気のせいだ。意識しすぎだ。俺はそこまで自意識過剰じゃない。
「んで、ここに順番にいれてくの。どう?」
「やるぅ。じゃあこんな感じで線ひいていくっす。まっすぐひけるかなぁ」
「えーっと……あ、そうだ。ノート使えばいいんじゃない?」
「そっかそっか。じゃちょっとこっちで練習するっす。いよっ……」
「うわっ?」
俺の頬に頭をぐいっと押し付けてアイネが手を伸ばしノートをとる。
──もうだめだ。この人、俺が見えてない……
「あっ、言ってくれたら私がとったのに。えっとペンは……あ、あれですね。よっ……」
「うっ……」
同じ行動をするスイに貴方もか、と心の中でつっこむ。
自分は置物か何かと思われているのではないだろうか。空気なのだろうか。
緩んでしまいそうな口元を理性で必死に抑え俺は二人を交互に見る。
「えっと、こっちの……ここら辺っすかね?ここかな、いや大きすぎるかな……」
「あの、アイネさん……?」
「最初に点をつけてから線を結ぼうよ。そこから……このへんとか」
「スイさん……あの、気づいて……」
「おぉいい感じ。じゃあひくっすよー……えーっと……」
これは新手のいじめなのだろうか。
俺は完全にスルーされていた。
美少女二人にくっつかれ喜ぶべきか、美少女二人に無視され悲しむべきか。
複雑な感情が心の中で広がっていく。そんな時、豪快な笑い声が辺りに響いた。
「ナッハハハハ!なんだお前ら。随分堂々といちゃついとるではないか」
声の主はアインベルだった。
どこかで戦闘でもしてきたのか、その髪は崩れ服も破れている。
しかし、その表情から察するに彼のダメージはそう心配するようなものではないことが分かった。
薬草を使った後なのか傷跡も見つからない。
「は?」
「え?」
ふと、アインベルの声に対し頓狂な声をあげる二人。
しかしすぐに今の俺達の状況に気づいたようだった。
「……あ、あー……まぁ、その……あー……」
「…………えと、えっと……」
気づいたようだったが。
それはそれで思考が停止してしまったのだろう。
俺を見つめながら口をパクパクさせる二人。
「おう少年、肩とかだいてやれ! 肩!」
そんな中、背中から渋い男の声が響く。
振り返るとそこにはテーブルに座る三十歳ぐらいの二人の男の姿があった。
声をかけてきた男は酒を飲んでいるようで顔が赤い。
「おいおい、子供相手にからかうなよ……」
もう一人の男が呆れた顔で酒を飲んだ男の肩を叩く。
だが、それはアイネには逆効果だったようだった。
「こ、子供じゃないっすよ。いいっすか、ウチはこれでも……」
顔を赤くしながらぐいっと体をひねり男に反論する。
「エースだもんなー! かわいこアイネちゃ~ん」
「んなっ!」
少し前傾姿勢になりながら耳と尾をピンと立てるアイネ。猫が威嚇する姿を連想させる。
なんか、可愛いな……アイネには悪いが、からかう男の気持ちが良くわかる。
「お、出た出た! 威嚇のポーズ」
「ナッハハハ。できない事は無理するな。やはり二人ともまだ子供だのう。酒も飲めんわけだ」
それを見ておっさん達の悪ノリが始まった。
と、スイが即座に不服を申し立てる。
「む、無理って……お、同じにしないでください! の、飲めますよ。私はっ!」
「うぇ~? ほんとっすか? ふざけて飲んだらここでぶったおれたことあるじゃないですか」
「なっ、それは二年前……あ! ち、違うよっ! あ、違います。違いますからね。私そんなはしたないことしてないですっ、未成年なのにお酒のむなんてっ!」
──この二人って煽り耐性無いなぁ。
俺は内心でそんな事を考える。呆れているわけではない。
むしろ見ていて面白いと感じてしまう。だからいい年したおっさんも、ついこうやってからかいたくなるのだろう。
ふと、二十歳未満の少女が酒を飲むという発言が普通に出るのを疑問に感じる。日本だったら騒ぎが起こるのだが。
だがすぐにここは十五歳が成人だったのを思い出した。酒もその年から飲めるようになるということだろう。
と、そんな思考を男の声が断ち切る。
「おう、じゃあ俺らとのもうぜ! 今日はギルド長がゴールデンセンチピードを倒した日だ! 宴がはじまるぜぇ」
「えっ、そうなんですか?」
目を丸くしながらアインベルに視線を移すスイ。
ゴールデンセンチピードはファルルドの森の奥で出現するボスモンスターだ。
ドロップするアイテムはNPCに高値で売れるが、それぐらいの用途しかないため需要はそこまで高くない。
索敵時間と得られる対価があまり割にあわないボスだったはずだ。
積極的に狩りにでかけたことは無かったので正確なデータが分からないがレベルは70ぐらいだと記憶している。
──この世界では攻略サイトなんてあるわけないしなぁ。
「うむ。一人でやったわけではないがな。負傷した仲間は奥でアーロンの手当てを受けておる。重傷のやつもおったから全員でとはいかんが……やれるやつで宴でもはじめようかと思ってな。さて、スイ。お前本当に酒が飲めるようになったのか? さっきも言ったができないことは無理するな」
アインベルが疑わしい目でスイを見る。それを見てスイはぐっと拳を握りしめた。
「できない……無理……」
一回、唇を小さくかむ。
よく見えなかったがその表情が一瞬だけ物凄く暗くなったように見えた。
だがすぐにその色を消してスイがくらいつくように言い放つ。
「の、飲めますっ! 私だってあれから大人になりましたっ。本当ですっ」
「ナッハハハ。それならお前も来るがいい。皆で宴をはじめるぞ!」
そう言いながら踵を返して歩き出すアインベル。
さて、今日の夜は騒がしくなりそうだ──