165話 アイドルのお礼
あるいはそれが当初の狙いだったのかもしれない。
孤児の女の子を娼婦にして不良債権を回収させ、愛情に飢えた子どもの気持ちと才能を利用して借金を負わせる。
どうすればそんな邪悪な発想ができるようになるのか。
少なくともたった一回の思いつきでそんなことができるとは思えない。
──もしかして、ミハ以外にも……
頭の中で膨らんでいく想像。
それが憶測である事を願いながら俺はミハの言葉を聞き続ける。
「最初に見せた愛情は全部後からお金をむさぼり尽くすためだった。妹達は娼婦になるのを嫌がったから……私も嫌だし……だから私の、いろんなことができるっていう才能を使ってあらゆる職場でお金を稼ぐことになって……でも、エイドルフの傘下にいる以上、ピンハネされちゃうから…………」
「……許せない」
「ふふっ、ありがとう。でね、もうちょっと続くんだけど……」
思わず出てきた呟きにミハが力なく微笑んだ。
「私ね、そろそろ16歳になるんだけど……成人してからは自分で契約が結べるから独立してシャルル亭の経営を始めたんだ。そっちの方がエイドルフの下で働くよりお金が稼げるからね。それが気に食わなかったのかな……エイドルフの指示なんだろうけど、あの店主がヤクザみたいな人を送り込んで営業妨害するようになってきて」
遠くの方へ視線を移すミハ。
苦虫を噛み潰したかのようなその顔が、彼女の胸に刻まれた記憶がロクでもない事を物語っている。
「……私、怖くならないとダメだと思ったの。ナメられると自分のお店を守れないって。ただでさえ、私はオーナーとしては若いから最初のうちはお客さんにもナメられて宿泊料払ってくれなかったり……」
──なるほど、だからあの口調か。
ミハは可愛い。声も甘く、第一印象から強いとか怖いとかそういう印象を抱くことは難しい。
その自分のイメージを破るために足掻いた結果が、ミハのあの口調なのだろう。
「そんな時、スイちゃんに出会ってね。シャルル亭の経営が営業妨害で傾きかけた時、一緒に怖い人達を追い払ってくれたの」
「スイが……」
ここでスイの名前があがるとは思っていなかったので、ハッとする。
「スイちゃんに詳しい事情は伝えてないけれど……なんとなく察してくれたんだと思う。シュルージュに来たときには、噂が流れる前にも不自然なぐらい私の宿屋を利用してくれたしね。だからスイちゃんは私の恩人で……」
そこまできいて俺はようやく理解した。
シュルージュの嫌われ者であるスイをかばった理由が。
「だからスイちゃんにぼったくりしかけたってきいて……カーッてなって……もともと、あの店主のもとで技術を学んでたこともあって……アイツは、私に借金を負わせた一人だし…………憎いってことも爆発して…………さっきの所に殴りこんだ…………」
ぐっと、拳を握りしめるミハ。
「……バ、バカなことしちゃった……きゃはは……ごめんね? 迷惑かけて……」
言葉を絞り出すような震えた声。
おそらく──彼女は何度もそういう感情を味わってきたのだろう。
そんな彼女の苦しさが痛い程伝わってきて──
「……その、借金のことについて俺が力になれることは思いつかないんですけど……」
俺まで悔しくなってきた。
ミハの置かれている状況の理不尽さ。そしてなにより、そんな状況に居る人間に対し自分があまりに無力であるということが。
それでも今の話を聞いて、ミハに伝えたい言葉ができた。
「……ただ。俺、ミハさんの事を尊敬していますから」
「えっ?」
ミハがきょとんとした顔で首を傾げる。
「正直、俺シュルージュが好きじゃないです。スイに対してあんな態度をとるし、寄ってたかって罵声浴びせたりするし」
「そうだね。ボクもシュルージュはあんまり好きじゃないなぁ。早くこの街から出たいよ」
「はは……そうだね……私だって……」
しゅん、と落としたその肩をつかむ。
ビクッと一回体を震わせ、俺の事を見上げるミハ。
「でも、貴方はしっかりスイと向き合っていた。……もしかしたらスイが泊まることで経営が苦しくなるかもしれないのに」
「そ、そんなことは……」
「思い過ごしならいいんです。でも、店員さんがイメージ低下になるとか言ってたから」
「…………」
ミハは目を見開いて絶句する。
すかさず、トワがミハに話しかける。
「そうなんだ?」
「はは、なんか嘘つけそうにないなぁ。でもそんなに影響はないし、たいしたこと──」
「ありますよ。今の話を聞いて余計にそう思いました」
実際に経営がどうなっているか俺が知る由もない。
しかし、そんなことは大した問題ではない。
「自分がお金に困っていて、苦しんでいる状況なら少しでもお金を稼ぐようにしたいはず。それなのに貴方はスイと向き合うことを止めなかった。保身よりも義を通した」
いかなる事情があったとはいえ、今回のことはミハにも非がある事は否めないだろう。
だが、それ以上の事をミハはされ続けていた。それを堪えていられたのは自分だけの問題だったからだ。
ミハはスイを──人を大事にしていたからこそ、行動を起こしてしまった。
善悪とか責任とか法律とか。そんな物差しが例えミハを認めなかったとしても、俺はそんな人間の方が好きだった。
だから──
「……俺はそれを尊敬します」
はっきりとそれを言葉に伝える。
「だから迷惑だなんて思ってません。尊敬する人の窮地を救えたなら、それは誇らしいことだと思うから」
俺という人間の言葉に、どれほどの価値があるかは分からない。
だがこの世界に来て、分かったことがある。
──人から認めてもらうということは、存外嬉しいものだ。
だから俺はミハの事を認めてあげたかった。
俺に認められたという事がそれほど価値のある事とは思えない。
だが、それだけが俺が思いついた彼女のためにできることだった。
「う……」
一瞬だけ、ミハの瞳が大きく潤む。
でも彼女は浮かび上がった涙をこぼすことはしなかった。
「な、なんかさっ、そ、そんな……近くで見られたら……は、恥ずかしいな! きゃはっ♪」
少しだけ泣き声で、でもいつも通りの甘い声で。ミハは手をくねっとまげて猫のようなポーズをとる。
言われて気づく。
俺とミハの顔は数十センチまで近づいていた。
客観的に見れば、これからキスをする恋人のような体勢になっていて──
「あっ、すいません……」
「謝ることじゃないよ。うん……」
急いで顔を離す。
コホンと一回咳払いする俺達にトワが若干呆れた笑顔を浮かべる。
「とにかくよかったよ。あの男達には何もされてないんでしょ?」
「んー、まぁ銃撃たれたり首に毒もらったりやられたけどね。エッチなことはされずにすんだよ♪」
「よかったっ! 不幸中の幸いだね!」
「うん! アイドルの純潔は守りとおさないとね♪」
──反応に困るんですが。
ただただ、苦笑いするしかなかった。
「さて……そろそろ俺はスイ達のいる場所に戻ります。ミハさんはどうします?」
ふと、スイとアイネのことが気になった。
訓練中とはいえ、俺が戻らなければ彼女達も帰れないだろう。
気づけば周囲もかなり暗くなってきている。
「ん、私は……どうしようかな。このまま宿に戻るよ」
「そうですか。じゃあまた後で」
ミハと一緒にベンチから立ち上がる。
と、腰をあげたその瞬間。
「……あっ、そうそう!」
「えっ?」
頬に柔らかな感触が走った。
うっすらと鼻をくすぐる、甘い匂い。
それが何によるものか、俺の顔から離れていくミハを見てようやく気づく。
「お礼♪ アイドルのファーストキスだぞっ♪ 喜びたまえ~♪」
ちろり、と舌をだし小悪魔のように笑うミハ。
……言葉が出ない。
というか、体も動かせない。
「またねっ♪」
そんな俺を少しだけあざ笑うように。
ひらり、と踵を返してミハは走り出した。
その後ろ姿を、数秒程固まって見つめていると──
「ひゅぅ、やるねぇリーダー君。モッテモテじゃん」
トワが短く口笛を吹いて話しかけてきた。
あまりの唐突な出来事に思考が上手く回らない。
だから真っ先に浮かんだ疑問は、自分でも妙だと思うようなものだった。
「……なぁ、キスをしても純潔って守ったことになるのか?」
「さぁ。ほっぺたならセーフなんじゃない?」
「分からないもんだな……」
一度ため息をついて空を見上げる。
照れ臭くて、恥ずかしくて、ちょっとだけ嬉しくて。
でもそれ以上にミハの力になれない自分が悔しくて。
そんな俺を落ち着かせてくれるぐらい、この世界の空はいつ見ても綺麗だった。