15話 アイネの特技
「これがスイさんとアイネさんの……」
しばらくした後、アイネとスイが同時に厨房から出てきた。オムライスがのった一つの皿を、それぞれ丁寧に両手で持って。
そういえばスイのガントレットを外した姿は初めて気がする。
──結構細い腕だなぁ。
もともとそこまでシルエットラインが変わるようなものはつけていないのだが、やはり女の子ということなのだろう。
「見た目はあんまり変わらないですね」
ことん、と俺の目の前に置かれたその皿を見比べる。
どちらも見た目は変わらない。敢えて違う所を指摘するならばタマゴの色だ。左の方が少し色が薄い。
「ウチはそれが驚きっす。先輩は新入りさんより形崩してましたからねー。味も最悪っ。タマゴも黄緑色でライスもまっ黄色でこの世のものとは思えないようなオムライスだったっす……」
「れ、練習したんですっ!いつまでも下手なわけないでしょう」
否定はしないんだな、と苦笑する。
頬に汗が流れるのを感じた。本当に大丈夫なのだろうか。
りんごの皮をむくだけなら見た目だけの問題だが人の手を加えた調理となると味の保証は全くない。
「じゃ、新入りさん。食べてみるっす」
「どうぞ」
「え、俺が?」
せめて先に自分で味見してくれよ、と言いたくなるがぐっとこらえる。
一人は命の恩人、一人は職場の先輩だ。言えるはずがない。
だとすれば選択肢は一つ。俺は覚悟をきめスプーンをとる。
「じゃあ失礼して……うん、おいしいですね。これ」
先ずは右のオムライスを口に入れる。
なんてことはない、ふつうに美味いオムライスだ。
ということはこちらが、アイネが作ったものか、と予測してみる。
「っ!」
「へぇ……」
ちらりと二人の方を見る。
どちらも少し動揺しているようだ。今、食べたのは誰のものなのか。
表情だけで見ても正解は分からなかった。
「こっちも食べてみるっす」
左の皿を指さすアイネ。
さっきのオムライスが普通に口にあっていただけに不安が俺の胸を走る。
少なくともタマゴは黄緑色じゃないし米はまっ黄色ではない。大丈夫なはずだ。多分。
「……な、なんだこれは!」
と、俺は思わず声を裏返す。自分の予想は見事に裏切られた。
「う、うますぎる! うま! やわらかっ! あんあほれ……げほっ、げほげほげほ」
米が気道に入ってきて俺は盛大にむせた。
口の中のものを吐き出さないように上をむきながら涙目になって咳を続けると余計にむせた。
一度下を向いて口を手でふさぎながら咳を続ける。
それを見てアイネがとんとんと俺の背中を叩きながら笑い始めた。
「あはは、食べながら言うからそんなことになるんすよ。ほら、大丈夫っすか?」
「むう……」
その横で少し不機嫌そうに手の甲を腰に当てるスイ。
どうやら後に食べたものがアイネのものらしい。
「ウチの勝ちっすねー」
「はぁ、やっぱりアイネは凄いなぁ……」
とはいえその結果は予想がついていたのだろう。
たいして悔しそうな表情は見せていない。
それよりも、素直にアイネを尊敬しているようだった。
「これはアイネさんが?」
俺は左の皿を指さす。むせてはしまったがこのオムライスの味は極上のものだった。
ふわりととろける甘いタマゴにもちもちとした米の食感。絶妙な酸味の刺激が食欲を煽る。
素人でもはっきり分かる。これは絶品だと。
「そっす。ウチがオリジナルにアレンジした秘伝のオムライスっすー。企業秘密なんでギルドにレシピは公開してないんすけどね」
えへんと胸を張りながら鼻息をならすアイネ。
それを見て呆れたようにスイがため息をついた。
「企業秘密って……貴方、別に食堂開いてるわけじゃないでしょ……」
「んでも、秘密の料理ってもんはそうそう教えられないっす。これはウチのアイデンティティーっすからねー、あ」
ふと、アイネが俺の様子をみて言葉を詰まらせる。
──まずい、見つかった。
二人のことをそっちのけでアイネのオムライスを食い漁る俺の姿は彼女達にどう見えているのだろう。
「あ」
スイも俺を見てアイネと同じ態度をとる。
流石にこのままオムライスを食べ続ける程俺もバカではない。
漂う緊張感で無意識にごくりと喉をならす。悪戯が見つかった時のような気持ちだ。
──なんか気まずい。とりあえず、目線をそらしておくか……
だが、険悪な雰囲気になるのではという俺の考えは杞憂だったようだ。
アイネは口元に手をあげながら笑い声をあげる。
「あはははは。食べるの早いっすねー。さすが男の子!」
「ご、ごめんなさい。二人も食べますよね」
既に半分以上食べてしまっているが全部食べてしまうよりはマシだろう。
俺は恐縮しながらも新しいスプーンを二人に渡そうとする。
だがアイネは首を横に振ってそれを断った。
「ウチはいらないっすけど。先輩はどうぞ? 今後の勉強っす」
「くぅ……」
ちょっぴり悔しそうに一つのスプーンを手に取ると、スイはアイネのオムライスを口にいれる。
すると、とたんにスイの表情は一変した。
「うわぁ、おいし……凄いよアイネ! 凄いっ! おいしいっ! うわぁ~……す、すごいっ!」
「えっへへへ」
先ほどの表情はどこへいったのか。
大好きなパフェを食べた時のような幼女のごとく無邪気にはしゃぐスイ。
ボキャブラリーが貧相な気がするが思考力を奪う何かがあのオムライスにはあるのだと食べた俺には分かっている。
……しかし、こうもアイネのオムライスばかり褒めるのもどうなのだろう。
俺としてはスイのオムライスも口にあう。むしろこの普通さが、おふくろの味と言えるような温かさを感じて落ち着く。
ならば素直に感想を述べるべきではないだろうか。
そう思って俺はスイに話しかけてみた。
「でもスイさんのも美味いですよ。なんか落ち着く味です」
「いや、アイネのを食べたら私のなんて……」
「どれどれ」
お世辞と受け取ったのか苦々しく笑うスイ。
と、興味をもったのかアイネはさっき俺から受け取るのを拒んだスプーンを手に取りスイのオムライスを口にいれた。
もぐもぐと咀嚼しじっくりと味わうと、うん、と頷いてのどをならす。
「あ、ほんとだ。普通に美味しい。ほんと、普通だけど」
いやみったらしい程、完璧な笑顔でそう言うアイネ。
──フォローじゃないのかよ。
俺としては苦笑するしかできない。
スイも少し不機嫌そうに唇をとがらせる。
「ちょっと、アイネ! 調子にのってない?」
「うはは、申し訳ないっす。このぐらいしか先輩に誇れることないんで許してください」
「もぅ……」
スイはしょうがないなぁ、といった感じで眉を曲げる。
こんな冗談を日常的にいえるなら、この二人は随分と仲がいいのだろう。
……まぁ、今の俺にとってはそれよりオムライスの方に興味があるのだが。
「ちょっ、そんなに食べるっすか? 意外に大食いだったり?」
スイのオムライスに手を伸ばそうとするとアイネが目を丸くする。
──流石に欲張りすぎたか?
「ん? あぁ……すいません、食べます?」
「いえ、かまわないんですけど。でも、どうせ食べるならアイネのが……」
少し悲しそうにほほ笑みながらスイはもう片方の皿を指さす。
だが俺はすぐにその言葉を遮った。
ここまで美味しく作れたのだ。自信を持ってほしいと思う。
「美味いですよ。本当に。尊敬します」
「…………」
スイは目を丸くする。何か変なことを言ったか、と少し焦る。
だが、そのまま五秒ぐらいたった後に、そうですか、と言いながら口元をちょっとゆるめたスイを見て、俺は胸をなでおろした。
そんな彼女にアイネは半目になりながら言い放つ。
「ちょっと先輩。気持ち悪い顔してるっす」
「き、気持ち悪いって何!わ、私、そんな顔してないっ」
まさかそんな言葉で自分を形容されるとは思わなかったのだろう。
スイは心底驚いた表情で言い返す。
「してるっすよぉ。ニヤニヤニヤニヤ。まぁ気持ちは分かるっすけどね。美味しいって言われるとくすぐったくなるっす」
「……なんか今日のアイネは意地悪」
「えぇ? いつもの先輩に比べたら全然」
「うぅ……私、そんな意地悪じゃないと思うんだけどなあ……」
がっくりと肩を落とすスイを前にきしし、と笑うアイネ。
なんだか今日のスイはサンドバッグ状態だ。
「とにかく、食べるならどうぞ。ウチも新入りさんのいただくっす。形は変だけど普通に食べられるし、これ」
「あ、私も……食べてみたい……」
「え、マジすか」
俺は思わず手に持ったスプーンを落とす。
失敗作を渡して自分はうまいオムライスを食べる。
……すごく悪いことをしている気がする。
しかし彼女たちの顔はかなり明るく真摯にそう思っているようだ。ならばここで敢えて自分を卑下する発言をしてその空気を壊すのはどうなのだろうか。
そんな言い訳を思いつくと、俺の手は止まることが無かった。
「ごちそうさま。なんかすいませんね。俺だけたくさん食べちゃって」
アイネとスイのオムライスを完食した後。俺は満足してお腹をなでる。
そんなに大きなオムライスではなかったが二人のそれを一気に食べると流石に満腹感が凄い。
「いえ、そんな……うれしかったです。食べてくれて有難う……」
両手を前で握りながらすこし恥ずかしそうに頭を下げるスイ。
そんなスイをみてアイネは意地悪く口角をあげた。
「……ニヤニヤ」
「アイネッ、いい加減にしないと怒るよっ」
「ひぃっ、ごめんなさいっ」
ぽか、と頭に手刀を入れられるとアイネはぺこぺこと頭を下げる。
スイは呆れた表情でため息をつくと改めて俺に視線を移し手に持った試験管のようなガラスの入れ物を差し出した。
「こ、これ……念のために渡しておきます。リカバーポーションです。万が一食べ過ぎで気持ち悪くなったと思ったら飲んでください」
リカバーポーションは回復アイテムの一種で状態異常を回復する。
食べ過ぎ、なんていう状態異常はゲームには無かったため効果があるのか俺には分からなかったが全く効果が無いものをスイが渡すわけがない。
この世界では胃薬のようにも使われているのだろう。
「有難うございます。じゃあ俺、もうちょっと練習してからあがりますね。練習用の材料がまだ残っているので」
俺はお皿を重ね片付ける用意をする。
だがアイネはまだまだ俺と別れるつもりはなかったようだった。
「お、熱心っすねぇ。じゃあウチが教えてあげるっす。先輩もついてきましょうよ」
「え、私も?」
「結構面白そうじゃないっすか。ほらほら」
くいくい、とスイの腕をひっぱるアイネ。
スイはどうしたものかと俺の表情をうかがっている。
その表情からスイも興味がある、と俺は受け取った。せっかくだし誘ってみよう──
「じゃあ、お願いできますか」
「……う、うん。あ、はい……」
一瞬、崩れた丁寧語をきいて、俺はスイと少しだけ仲良くなれた気がした。