155話 宿泊料
「えっと、どうしたんですか……?」
先に自分達がいた建物からある程度距離が離れたことを確認すると、スイがそう話しかけてきた。
当然、彼女の表情は困惑に満ちている。
「やっぱりあの店で買い物をするのは止めた方がいいかもしれない」
「えと……なぜですか?」
俺の言葉はある程度予想していたのだろう。
戸惑った様子は見せているがスイはそこまで驚いてはいない。
「トワが悪意を感じたらしい」
「悪意ですか? まぁ、それは……でも……」
眉を八の字に曲げて、スイはしゅんと俯いた。
言外に含んだ言葉の意味を察したのだろう。トワが少し慌てた様子で首を横に振る。
「あぁ違う違う。シュルージュの人達が向けてるようなものじゃなくて、もっと個人的な強い悪意かな」
「個人的な?」
「うん。個人的な」
「……?」
苦笑いをしながら首を傾げるスイ。
あまりうまく伝えられないことにもどかしさを感じているのだろう。
トワも同じような表情をしていた。
「もしかして、トワちゃん……その、においっていう……?」
と、アイネが話しかける。
「まぁウチもそこまであの店主を信用していた訳じゃないっすけど。でも、トワちゃん。疑いたくはないけどそれ本当なんすか? ストラって人、先輩に悪意があるって言ってたけど……」
「うん、でもスイちゃんに心当たりは無いんだよね?」
「えぇ。まぁ……あの女の人とは初対面のはずですが……」
顎に手をあてて考え込む仕草をするスイ。
その表情は嘘をついているようなものには見えなかった。
「でもストラの正体を見破ったのはトワだろ。その能力は信用できるんじゃないか」
「まぁたしかに……」
俺の言葉にアイネが頷く。するとスイがやや不安げな顔で話しかけてきた。
「あの……いったい……?」
「ボクは人の悪意が分かるんだよ」
「え?」
返ってきたトワの言葉にスイが頓狂な声を出す。
そしてそのまま無言で俺達の方に視線を移してきた。
「まぁ……そうらしい」
「らしいっす」
とはいえ俺もアイネもどういうことか説明がしづらく曖昧な言葉を返すことしかできない。
「ボクはにおいで分かるんだよ。人の悪意が」
「…………」
トワがそう繰り返すもスイは眉をひそめるだけだった。
──まぁ、そういう反応になるよな……
トワが嘘をつく理由は無いが内容があまりに突拍子が無さすぎる。
とはいえトワが使う魔法を見せつけられている者としては最初からそれを信じないわけにもいかない。
そういった混乱がスイの顔からは見て取れた。
「何もこの街で用意しなければいけない理由なんてないんだ。今回は馬車で移動してもいいんじゃないかな」
と、話題を変える意味もこめて俺はそう提案してみた。
トワの能力の真否はさておき、移動に召喚獣を使わなければならない理由もない。
馬車を借りることでスイに面倒はかけるかもしれないがここで買い物をするのはリスクしかないように思えた。
「うーん……まぁ、そうですね。あまり急ぐ必要もないですし戻りましょうか」
スイも俺と同じような思考をしたのだろう。
少し腑に落ちないといった様子は見せていたものの、特に反対することもなかった。
†
「いらっしゃいま──あれれ、どうしたの? 忘れ物?」
扉を開けると、ミハが意外そうに首を傾げる姿が目に入ってきた。
それに対しスイが苦笑いを浮かべながら答える。
「いえ。今日も泊まりたいと思いまして」
「えぇ!? 別にいいんだけどスイちゃんが三日連続なんて珍しいね。しかもこんな時間からなんて……何かまずいことでもあったの?」
少し眉をひそめるミハ。どうもスイの事を心配してくれているようだ。
だがそれは杞憂だった。俺達は馬車を借りようとギルドへ再び戻ったのだが、伝達ミスがあったらしく、今日は馬車を出すことができないとの返答が返ってきたのだ。
そこで俺達は一日シュルージュに宿泊するためにシャルル亭に戻ってきた訳だ。
トラブルといえばトラブルだが、そこまでまずいという程でもない。
「少々手違いがあって足止めを受けることになりました。ですから今日もここに泊まりたいです。あ、部屋は通常通りで」
そのことを端的に伝えるスイ。
するとアイネが横から口を挟んできた。
「え? 一緒じゃないんすか」
「いや、だって今日は別に特別な日でもないし……」
若干顔を赤らめて頬をかくスイ。
そんな彼女を見てミハはニヤリと笑みを浮かべた。
「でも個別の部屋とるより皆で泊まった方が部屋代はお得だよ♪」
「それは……」
「きゃははっ♪ 何今更恥ずかしがってんの? 存分に──」
「か、からかわないでくださいってっ!」
「分かった分かった。じゃあ三人部屋一つね♪」
「…………ぅ」
ぎりり、と音が聞こえてきそうな程に歯をかみしめるスイ。
だがその表情とは裏腹にスイは素直にギルドカードをミハに渡した。
「はい♪ 昼食は出したほうがいいのかな?」
「そうですね。一応──」
「うん。時間の指定とかあるかな?」
「特に無いです。食堂を利用するので」
「ルームサービスは無しっと……一泊でいいの?」
「はい」
──随分スムーズだな……
もちろん俺が嫌だという訳ではない。
だがスイがあまりに早々と態度を変えて手続きを進めていく姿に少し驚いていた。
そしてなにより──
「ん、どうしたのリーダー君。難しそうな顔して」
ふと、トワの声で俺が考え込む仕草をとっていたことに気づいた。
実際そうだっただけに少し照れくさくなって俺は苦笑いをする。
「いや。なんかこう何度もお金を払ってもらうと流石にな……」
今更ながらやはり罪悪感がぬぐいきれない。
少なくともこの世界ではやろうと思えばいくらでも金を稼げるような能力が自分にはあるはずだ。それにも拘わらずずっとスイにお金を出させ続けるというのはどうなのだろう。
と、スイが俺の方にふり返り声をかけてきた。
「そこは全然気にすることないんですよ? 貴方がトーラで働いた時のお給料も私が管理していますし。今回のクエストの報酬だって……」
「あ、あぁ……」
スイには聞こえないように言ったつもりだっただけに、きょどった反応しかできない。
すると、そんな俺をみかねたようにミハがパチンと手を合わせて話しかけてくれた。
「なら、お仕事のお手伝いとかしてみる? お給料出すよ♪」
「えっ、いいんですか?」
意外な提案に思わず目を見開く。
するとミハは当然だと言わんばかりに何度も首を縦に振ってきた。
「うんうん♪ 今の時間帯って冒険者さん達は外に行ってるからね。そんなに忙しくないと思うしお仕事自体は簡単だよ♪」
「へー、何やるんすか?」
興味を持ったのかアイネも口を挟んでくる。
そんな彼女の言葉を受けてミハは一瞬上に視線をずらして考え込むと、わざとらしく人差し指を立てながら提案してきた。
「んー、広間の掃除とかやってもらおうかな♪ こういうことってやったことある?」
あざとく上目使いをしながら俺のことをみてくるミハ。
正直、自信は無かったがトーラでも掃除ぐらいなら雑用係としてやったことはある。
そしてなにより、そういう表情をされた時は反射的にYESと言ってしまうのが男の性なのだろう。
「はい、一応……」
「ならお願いしようかな♪ お代は今日一日分の宿泊料ってことで♪」
我ながら頼りがいのない弱々しい声だったが、ミハはそれを受けてにっこりと笑ってくれた。