144話 二人きり
……風呂を出て数分後。
俺は、頭を冷やすために宿屋の外に出て風を浴びていた。
流石にスイとアイネが体を洗うところまで一緒にいるわけにもいかず、俺は一人でその場から立ち去ったのだ。
魔術師が一人で歩くのはまずいというミハのアドバイスから服は部屋に置かれていたものを着ている。
今着ている服は寝巻として使われるものだろうから散歩まではしていない。
俺はただ、ボーっと日の落ちた空を眺め続けていた。
──なんか、やっと落ち着いた感じかな……
ライルの事が完全に解決したかどうかは怪しいが、ひとまずトーラを出た目的は達したと言っていいだろう。
結局、皆に嫌われ続けているところは変わってないし、スイにとってベストの結果が出せたかと言われれば疑問だ。
今後俺達がどう行動していくのかも分からず不安は確かにある。
それでもさっきの風呂場での彼女達の行動から感謝されているのは確かだと実感はできた。
──やれることはできたかな……
誰かに感謝されるなんていつ以来だっただろう。
少なくとも自分の記憶の中には残っていない。
それだけに、彼女達から向けられた気持ちが誇らしかった。
「あっ。いたいた!」
と、背後からかかってきた声で我に返る。
ふり返ると、宿屋のローブで身を包んだスイの姿が目に入ってきた。
「出てきたら部屋にいないんですもん。驚きましたよ」
「あぁ、ごめんごめん」
「いえ。別に謝ってもらうことじゃないですよ」
そう言いながらくすりと笑うとスイは俺の横に並んできた。
そのまま、ぐーっと背伸びをして深呼吸するスイ。
「ふふっ、気持ちいいですね。お風呂あがりの風は最高です」
「そうだな……」
「空もいい感じに晴れてますし。今日はいい日でしたね」
「あぁ……」
──なんか妙に緊張するな……
スイが振ってくれる話題にそっけない対応しかできない自分が情けない。
「……なんか久しぶりですね」
「え?」
ふと、スイが軽く上半身を傾けて俺の顔を覗き込んできた。
その言葉の意味が分からず俺は首を傾ける。
「こうして二人でお話しするの。いつもアイネが一緒にいたから」
「あ、あぁ……確かに……」
彼女の言葉を受けて俺は自分が緊張している理由をなんとなく理解した。
たしかにスイと二人きりで話すのは初めて出会った時以来かもしれない。
と、そんなふうにスイと過ごした時間の事を思い出しているとスイは不安げに眉をひそめた。
「えっと……ごめんなさい。退屈させちゃってますか?」
「え? い、いやっ、そんなことないよ」
「そうですか?」
薄暗いこの場所でもスイがじっと俺の目を見つめているのがよく分かる。
「ごめん……退屈とかじゃないけど、ちょっと緊張してるみたい……」
「ふふっ、そうみたいですね。実は私もです」
わざとらしく舌を出して悪戯っぽく笑うスイ。
言葉ではそう言っているが彼女の表情からは余裕が感じられた。
もしかしたら俺の緊張をほぐそうとしてくれているのかもしれない。
現に、スイの声をきいていると少しずつ緊張が解けているのを感じる。
「……あの。今日は本当にありがとうございました」
そんな俺の様子を察したのか、スイはタイミングをはかったように表情を真摯なものへ変える。
「ははっ、何回目だよ。もういいって」
「あ、あれ? そんなにお礼言ってました?」
──自覚が無いのか……?
きょとんとした顔を見せるスイに俺は思わず苦笑する。
「さっきもお礼貰ったばかりじゃないか」
「そ、そうですね……あははっ」
照れ臭そうに後頭部に手を当てるスイ。
だがすぐにスイの表情は元通りになる。
「でも、何回言っても足りないぐらいですよ。貴方がサラマンダーを私に任せてくれた時、本当に嬉しかったから……」
「そうなのか?」
「はい」
あまりお礼を言われ続けるというのもくすぐったくて居心地が悪い。照れ隠しで少しそっけない返事をしてしまう。
だがおそらく、スイはそんな俺の気持ちを見透かしていたのだろう。
にっこりと笑うだけでそれ以上お礼を重ねるような事はしなかった。
「多分、アイネも同じような気持ちだったんでしょうね」
「え?」
少しだけ変わったスイの声のトーン。
スイは僅かに目を伏せて複雑そうな顔で笑っている。
「なんか……私、反省しました。私の方がずっと長くアイネと一緒にいるのに、貴方の方がずっとアイネの事をよくみていたなんて……」
「別にそんなことはないだろ? アイネはスイの事、凄く慕っているじゃないか」
「ふふっ。アイネに慕われているのは貴方の方でしょう? あんな露骨に」
「っ……」
一本とられた、と言葉を失う俺に対してスイはからかうように微笑んだ。
「貴方は自分なりに懸命に相手の気持ちを尊重しようとしていた……多分、そういう所にアイネは惹かれたんでしょうね。それに、もしかしたら……私も……」
徐々に弱くなっていくスイの声。途切れた言葉の後に続く沈黙。
その間、スイはずっと俺の目から視線をそらさなかった。
彼女のその言葉の後にどんな台詞が続くのか……
それを全く予想できない程、俺は鈍感じゃない。
かといって、それを確信できるほど自分に自信があるわけでもないし、この場で大胆な行動にでるような甲斐性も無い。
「……あの。差支えなければ答えていただきたいのですが」
耐え切れなくなってスイから目をそらしてから数秒後。
真面目な雰囲気の声色でスイが話しかけてきた。
「えっ……?」
「貴方は一体……何者なんですか?」