134話 軽蔑と嫉妬
振り上げた拳をライルに向けて放とうとした瞬間――
「リーダー」
手首をつかまれた感覚で、俺は動きを止める。
聞こえてきたのは冷め切ったスイの声。
「もう、いいです」
「スイ……?」
スイが小さくため息をつきながら俺の手を下におろす。
「これだけで、もう十分。――というか、もう関わりたくないです。この人と」
「ッ!?」
その言葉にライルが息をのむ音がきこえてきた。
だがスイはライルの方を見ていない。見ようとしていない。
敢えてライルから視線を外しながら淡々と言い放つ。
「あの。金輪際。……もう、金輪際、私の前に現れないでください」
「なにっ……?」
「その姿も、そして声も。見たくないし、聞きたくないです」
「──ッ!?」
──これはきつい……
自業自得とは分かってはいるが思わずライルに同情してしまう。
それほどまでにスイの声色は冷気を放っていた。
追い打ちをかけるようにスイが一言だけ付け加える。
「私は貴方に会いたくない。――もう、二度と」
そう言いながらスイがライルに近寄る。
そしてライルが手に持っているクリスタルとライルのベルトにかかっていた袋を奪う。
「…………」
ライルは抵抗しなかった。
中に入っているものと含めて合計三個の灰色に変化した召喚クリスタルを手に取るとスイは袋をライルに放り投げる。
いつものスイからは考えられない程、適当な返し方だった。
「このクリスタルは預からせていただきます。今回の事は報告させていただきますよ」
「…………」
恐ろしいほどの無表情。
その威圧感は今までライルが見せてきたそれを遥かに上回っている。
ライル自身もそれを感じ取っているのか何も声を上げていない。ただ俯いて肩を震わせているだけだった。
そんなライルに呆れたようにため息をつくとスイは踵を返す。
「トワ。私達を馬車にまで送ってくれますか。……ちょっと疲れました」
「アハハッ、そりゃそうだよね。お疲れ様」
「二人ともお疲れ様っす。帰りましょっ!」
気をつかってくれているのか、明るく俺達を迎えてくれるトワとアイネ。
「いきましょう……リーダー……」
早くここから離れたい。
そう感じさせるようなニュアンスで、スイが俺の腕をひっぱった。
一回だけライルの方を振り返る。
「……じゃあな」
嫌われた英雄に、投げ捨てるような挨拶を残して。
俺達はその場から転移した。
†
彼らが立ち去って数分後。
立ち呆ける二人の周りを支配する沈黙を最初に破ったのはライルの方だった。
「なんだ、これは……」
トワの使った転移魔法。普通ならばそれに対して驚きを示すのだろう。
だが、彼の意識はそんなものには全く向いていなかった。
「どういうことだ?」
手をわなわなと震わせながら絞り出すようにライルが声を放つ。
「ライル様……」
そんなライルの肩に手を差し伸べる女性。
それを見た瞬間、ライルの表情が一変する。
「メアッ! 貴様の──貴様のせいだっ!」
「ぐっ!?」
ライルの拳が女性の腹部にねじ込まれる。
メア・ストレーヌ。
それが先ほどまで「ストラ」と呼ばれていた女性の本名だった。
ライルの代わりに汚い仕事をこなす。それが変装を得意とする彼女の役割だった。
「僕の言う通りにしていれば……スイは僕の物になるはずだったんだ!」
「ぐっ、かはっ……!」
メアの首を絞めながらライルが怒号を浴びせる。
「お前のミスだっ! お前が僕を貶めたっ!!」
「も、申し訳ございませんっ! 申し訳──」
自分の指を挟みこんでなんとか隙間をつくり、声をあげるメア。
そんな彼女にライルはさらに苛立ちの表情を見せながら殴りかかる。
「騒ぐなっ、耳が腐るっ」
「がっ──!」
顔を殴りつけられたメアはそのまま後ろに倒れる。
「愚図っ! 貴様の価値など、顔と胸と穴しかない!!」
「ぐっ、うぐっ……あぐっ!」
後頭部を右手で押さえながらメアが立ち上がろうとする。
そんな彼女の肩をライルは足で蹴り飛ばす。
痛みを必死にこらえながらうずくまるメア。
「何をしている!」
「ぐっ、う……?」
「僕をこんなにイライラさせたんだっ! せめて体を使って償おうという発想すらできないのか?」
「も、申し訳ございません! すぐにっ──」
その場で一度、土下座をするとメアはライルの腰に自分の頭を近づける。
「ハッ、どこまでも使えない女だ。すぐにでも娼館に送り返してもいいのだぞ? 貴様のような盗賊あがり……いつでも捨てることはできるんだ。分かっているのか?」
「づっ……うぐっ、申し訳ございませんっ! い、今すぐに──」
髪をわしづかみにされながらライルのベルトに手をかける。
手際よくそのベルトを外すメアは自分の表情を隠すように俯いた。
──あぁ、憎い……妬ましい……
顔の筋肉をこれでもかというほどを歪ませて、彼女はその感情を押し殺す。
──私は……私は、こんなことまでしているのに……!
あふれ出ようとする涙を、歯を食いしばって押し戻す。
ベルトを地面に置いた彼女は、そのついでに自分の爪を地面に突きたてた。
──なぜ、スイという小娘の方がライル様に愛されるっ!!
その行為に及ぶ直前。
メアがしていた表情は、とても男が魅力を感じるようなものではなかった。