121話 気配
一時間程歩いただろうか。
俺達は殆ど口をきかないまま歩き続けている。
索敵というのは思ったよりも緊張する行為のようだ。
いつ、命をかけた戦闘が開始されるのかが分からないという事は俺の思っている以上に苛酷な状況だった。
周囲には岩の森と表現できる程に多くの岩盤が突出していて視界が悪い。
それに加えて地面の質がかなり変化している。
歩きやすい土ではなく凹凸の激しい岩のような硬い地面だ。
辛くはないがバランスをとるのに気をとられる事が結構多い。
この世界での肉体は歩くことによる疲労はそこまで感知しないが精神的な疲労は重なっていく。
「うぅ……いないっすね……」
それはアイネも同じだったようだ。緊張に耐えかねたように声をあげる。
「結構歩いたはずなんだけどね。疲れちゃうよねー」
パタパタと足を動かしながらトワが笑う。
「いや、お前は歩いてないだろ……」
「アハハッ、それはそれ。結構この場所、リーダー君の肩が動くからバランスとるの大変なんだよ?」
「なら飛んだらどうだ?」
「そんなことしたらリーダー君、寂しくない?」
「そうだな」
「まーたそんなこと言っちゃ……えっ、寂しいの? ほんと? ねぇ?」
沈黙が続いた反動だろうか。トワがたたみかけるように話しかけてくる。
そんなトワに苦笑しつつ前を歩くスイに視線を移す。
「うわーん、リーダー君が無視するーっ! そんなことしたらボク飛んじゃうぞーっ!!」
トワが何か言っているが聞き流しておいた。
アイネやトワはともかく、命綱を握っている俺が緊張を解き続けるのは流石にまずい。
「…………」
先ほどの変な雰囲気はどこへいったのやら、ピリピリとした空気で歩き続けるスイ。
後ろ姿からでも威圧感というか殺気のようなものを十分に感じることができる。
目を見張る程ピンと張られた背筋に、いつまでも見ていたくなるような凛々しい歩き方。
その切り替えの早さというか見事さには脱帽せざるを得ない。
「いつもスイはあんな感じなのか?」
ふと、気になってそんなことを聞いてみた。
スイは日ごろから、かなり姿勢が正しいのは見ていて分かる。
だが戦闘に向かう時の彼女はそれよりもさらに一段凛々しく見えるのだ。
自分と戦ったときもそうだったのを思い出す。
「そっすよ。トーラでもクエスト中はいつもあんな感じっす。良くあんなに集中力が持続するなぁって……ついていけないっすよ。はぁ……」
自嘲気味に笑うアイネ。
「なるほどな」
精神的な部分はレベルをあげても身に着ける事ができないのだろう。
こういった命がけの戦闘を経験してきた彼女だからこそできるのかもしれない。
サラマンダーに二度負けたということは裏を返せば二度も死にかけ、それでもなお生き残ってきたということだ。
──もしかしなくても、スイってかなり修羅場くぐってるんじゃ……
「大丈夫? いったん休んだ方がいいんじゃない?」
トワが心配そうにアイネに話しかける。
するとアイネは自分を奮い立たせるように歯を見せて笑顔をつくった。
「そうかもしれないけど、絶対に嫌っす。こんなところで足引っ張りたくな──ッ!?」
それもつかの間、アイネの顔が凍りつく。
「っ……」
ぴくんっと、痙攣したように動く黒の猫耳。
少し腰を下げてスイがいる前方を睨みつける。
「どうした?」
きくまでもない。
彼女の放つ緊張感が全てを物語っている。
だが、俺には何の変化も感じ取れなかった。
「気温が……」
「……ん?」
視線を動かさず、アイネが一言だけそう返してくる。
意味が分からず首を傾げていると──
「先輩っ!」
「うん。分かってる」
多くは語らず。視線すら合わせず。
だが二人の間ではそれだけで伝わっている。
「近くにいるってこと?」
蚊帳の外にいるのは俺だけじゃなかったらしい。
怪訝そうに首を傾げるトワ。
それに対して振り返らずにスイが答える。
「はい。少し気温が上がった感じがします」
「……マジかよ」
言われて、周囲を見渡すが敵の姿は見えない。
それもそのはず。いくつもの岩が俺の視界を遮っている。
この状態で敵を感知するのはエスパーでもない限り無理だと思うのだが……この世界ではそうでもないらしい。
スイだけではなくアイネも練気・脚を使い戦闘に備えている。
「でも、おかしいっすね……」
ふと、アイネが眉をひそめながら呟いた。
それが気になってアイネに話しかける。
「ん、何がだ?」
「何か気配の感じ方が急っていうか、なんていうか……ウチ、油断し過ぎたのかな……いや、でも……」
口元に手の甲をあててアイネが頬を強張らせる。
「んー、ボクも変な感じがするなぁ……なんか……うーん……?」
トワも腑に落ちないといった感じで首を傾げる。
良くわからないが、あまり通常のシチュエーションではないらしい。
心配になった俺はスイに声をかけてみることにした。
「スイ、大丈夫なのか?」
「はい。リーダーはこっちへ来てくれますか?」
頷いて近づこうとする俺の方向を見てスイが言葉を続ける。
「一応、アイネは私から距離をとって。トワはアイネの近くに居てください。もし何かあったらすぐに転移魔法で逃げること」
「うっす!」
「りょーかいっ!」
通りの良い声で返事をする二人を見て、思わず俺は苦笑した。
──こりゃあ、誰がリーダーだか分かったものじゃないよなぁ。
その見事なリーダーシップに感心しつつ、俺はスイの近くまで移動する。
そのまま付いてくるように視線で合図された俺は彼女の後ろを離れないように歩く。
一つの大きな岩盤に背中をあわせて、じりじりと端の方に歩み寄るスイ。
剣の柄をぎゅっと握りしめ、おそるおそるといった感じでスイが端から顔を僅かに出す。
「リーダー。確認を」
「……分かった」