113話 かつて、どこかで
気が付くと俺は見知らぬ空間にいた。
無機質な机と椅子が規則正しく並べられ前方には大きなスクリーンがぶらさがっている。
学校の視聴覚室のような空間だ。そのスクリーンに、俺の記憶が映像化したものが流れている。
それを俺は、ぼーっと見つめていた。
「お前さ……もっと自分にあった身の丈の目標を持てよ。無理だぞ、お前の頭はそんなに良くない」
かつて、どこかで聞いた声が聞こえてくる。
まだ幼く、なりたい自分になれると信じていた頃にきいた声が。
無精ひげを生やした小太りの男性が手に持った紙をこちらに投げつけている。
「えー……めんどくさい。つか、キモい」
孤独な自分が嫌で、人と繋がる事に飢えていた頃に聞いた声。
髪を明るく染めた複数の十代前半の男女達が、ひきつった笑顔で手を払う。
「なに口答えしてんの? 雑魚のくせにさぁ!」
理不尽な暴力が嫌で、強者に抗う事で自分に価値を見いだしていた頃に聞いた声。
金髪の男達が嘲笑いながら拳を振り上げる。
「そういう事は優秀なヤツに任せるから。でしゃばるなって。足手まといだから」
何もできない自分が嫌で、誰かの力になることを夢見ていた頃にきいた声。
白い四角のテーブルの向こうで二十歳前後の男女達が、嫌な顔で距離をとる。
「できないなら先ず人にきけ。ホウレンソウって言葉知ってるかぁ?」
可能性を自ら閉ざすのが嫌で、結果を出す事を模索していた頃に聞いた声。
スーツを着た男は俺を拒絶するように背中を向ける。
「少しは自分で考えろ! できないからって人にきくんじゃねえ!」
自分が無能だと認めるのが嫌で、最後に足掻いていた頃にきいた声。
場面が切り替わり、同じ男が苛立った顔つきで机をたたく。
「アイツはクズだからなぁ。すぐサボろうとするから」
人に何か言われるのが嫌で、考えることを放棄した頃に聞いた声。
スクリーンには、ぼやけた人の姿しか映っていない。
「無能ならせめて人より努力しろ。何故、真面目に生きようとしない。この恥さらしがっ!」
「早く出てって! 貴方なんて産まなきゃよかったっ!」
現実と向き合うのが嫌で、閉じこもる事を選択した頃に聞いた声。
薄暗い部屋の扉の向こうから、苛立った男女の声だけが聞こえてくる。
「もういいじゃないか。何もできないなら、せめてここでじっとしてようぜ」
最後に映ったのは俺の姿。
これが俺の人生なのだと諦めた時に自分に言い聞かせた言葉。
それを最後にスクリーンには何も映らなくなる。
「……なにこれ」
なんの映像も、音も出さない真っ白なスクリーンを見つめる。
静かな部屋で一人。沈黙に支配された部屋を茫然と見渡す。
特に何の感情もわかず、思考も働かず。
腰を前に突き出してだらけた姿勢で背もたれによりかかる。
「おかしいよな。やっぱ」
自然にそんな言葉が口からこぼれてきた。
俺はおかしい。間違っている。
今までの俺の人生を映し出すこのスクリーンを見ても……見せつけられても、俺はこう思っている。
仕方ない。俺は悪くない。俺には才能が無かっただけだ。社会が悪い。
反省は無い。出てくるのは自分を正当化するための言い訳だけ。
……ふと、ライルの言葉を思い出す。
怠惰を才能という言葉で正当化する愚衆
「ふふっ……」
──それって、俺のことじゃね?
その言葉が突き刺さり、思わず自虐的に吹き出してしまった。
「……ははっ、はははははっ」
──あんな啖呵を切るなんて、ばかじゃねえの?
レベルがどうこう、という話しじゃない。
俺は努力を積み上げる事を放棄した人間だ。
それを積み上げてきた相手に強く出るなんて、確かに身の程しらずというべきか。
俺はこぼれてくる笑いを止めることができなかった。
「なんだかなぁ。キミって結構人生楽しむの苦手なタイプ?」
「──!?」
だがそれもすぐに止まる。止められる。
スクリーンに映し出されたのは赤い髪をポニーテールに結った金色の羽を持つ少女。
人を見下したような説教臭さを何も感じない。純粋な笑顔を向けている。
「キミに何ができるかは別に人が決めることじゃないでしょ。ほらっ──」
そのまま、少女は手を差し伸べてくる。
それを見て俺は思い出した。
──あぁ、そうか。今の俺にはあるじゃないか。
ふと、自分の手を見つめる。
頭に浮かび上がる魔法のイメージ。腕に集まっていく魔力の感覚。
どんなスキルも思うがままに。どんな強敵でさえ一瞬で。
そんな力が自分にはあるはずだ。
例えその過程が白紙だったとしても──なにか、なにかしなければ。
「……ここでウジウジし続けるのは、許されない……よな」
俺がそう呟くと、スクリーンの中の彼女が俺に答えるように笑った。
少し意味深な、悲し気な笑みだったが――多分、俺の言葉を認めてくれたんだと思う。
今の俺は、与えられているのだ。チートのような才能を。
今の俺は、許されていないのだ。才能が無いからできなかったという言い訳は。
──なら、ライル一人の言葉でこんなに惑わされてどうする……!
「おーい!」
瞼に差し込む太陽光。鼓膜に響くトワの声。
その二つが俺の意識を強制的に引き上げる。
「……あぁ。トワ」
視界に見えるのは赤い髪の妖精の姿。
羽ばたく金色の羽が僅かに太陽光を反射していてかなり眩しい。
「大丈夫? なかなか起きないし、ちょっとうなされてたよ」
少し眉をひそめて俺の事を見つめている。
どうも心配をかけてしまったようだ。
「あぁ。なんか変な夢だったな……」
「へぇ……どんな?」
上半身を起こす俺の肩にトワが腰掛ける。
それに安心感のようなものを覚え口元が緩むのを感じた。
「そうだな。良く覚えてないけど。……多分、最後はトワに助けられる夢だった」
「へぇ!? 興味あるなぁ!」
トワが身を乗り出して俺の頬を小突いてくる。
「あー、覚えてない。良く覚えてないから。やめろやめろ」
嘘だ。本当は覚えている。
でもそれを素直に告げられる程、俺は大人じゃない。
「えーっ! 気になる、気になるぅっ!」
「いいから。ご飯くいにいこうぜ」
「うーっ……」
トワの抗議の声を無視して俺は立ち上がる。
「朝食、用意されてると思うからさ。さっさと行こう」
「もーっ、仕方ないなぁ」
わざとらしくため息をついてトワは俺の肩に腰を落とした。
そんな彼女に心の中で感謝を告げる。
どうも俺は、人の言葉に影響されやすい人間らしい。
──自分でも気づかないうちにライルの言葉に気圧されていたのかもな……
それでも、彼女が何気なく告げてくれた言葉は、俺に根拠の無い自信を与えてくれた。