111話 散歩帰り
あまり良いとは言えない気分でシャルル亭の扉を開ける。
するとロビーで背伸びをする一人の少女の姿が目に入った。
「あれ、君は……」
俺の姿を確認すると、その少女──ミハは虎の耳を立てて蝶ネクタイを指ではじく。
「きゃはは♪ どうしたのかな? 結構夜も遅いのに。外に行ってたの?」
扉近くで立つ俺にせわしなく近づいてくるミハ。
──そういえば、外に出ることってそもそも許されることなのか?
こういう宿屋に泊まったのは初めてで、そこら辺のルールが良くわからない。
「あ、すいません。なんか寝付けなくて。散歩してたんですけど……まずかったでしょうか?」
「あ、あれ? 寝付けなかったの? ベッドメイクが悪かったかなぁ……」
俺の言葉に目を潤ませるミハ。手を胸の前で重ねて上目使いを向けてくる。
不意に見せられたその表情に俺は激しく動揺してしまった。
「い、いえっ! そんなことは」
「そんなに恐縮しないでよ。冗談だって♪ きゃはっ」
ミハが自分の顔を猫のような手の構えでかきながら、からからと笑う。
少し恥ずかしい。冷静になって思い返してみればあの表情はどう見たって、ただの嘘泣きだ。
「は、はぁ……」
羞恥心と若干の抗議の意味も込めてため息をつく。
するとミハは悪戯が成功した子供のようにクスクスと笑いながら言葉を続けた。
「ごめんごめんっ。別に散歩ぐらい普通にしてくれて大丈夫だよ♪ お金ならスイちゃんに払ってもらってるからね」
なるほど。前払いしているのならば宿泊料を払わずに逃げるなんてこともないだろう。
「そうですか。ありがとうございます」
「うんうん。でも、今度からは外出する時は鍵を置いて行ってね♪ ほら……外で失くすと弁償してもらわないといけないから……」
少し言いにくそうに眉を八の字に曲げるミハ。
──へぇ、そういうルールになっているのか。
万が一、弁償になった場合にはスイに迷惑がかかる事は必至なのでしっかりとその言葉を胸に刻んでおく。
「あ、すいません……こういうの、疎くて……」
「そんなに腰低くしなくても大丈夫だよ♪ もしかして私のこと怖がってる?」
少し悲しそうにほほ笑むミハ。
……否定はしきれなかった。
スイのことをかばうためとはいえあの豹変した態度を見て何も思わない人はいないだろう。
「ごめんね。あぁいう態度をとらないとナメられちゃうから。ほら、私……こんな見た目でしょ? キレたらやばいって印象を持ってもらわないと困る時があるんだ……色々、ね」
やや自嘲気味にため息をつくミハ。
どうもミハは自分の容姿に他人がどういう印象を受けるかちゃんと自覚しているらしい。
それを活かしたり払拭したりするために色々と気をもんでいるということなのだろう。
と、無言でいる俺を見てミハが少し居心地悪そうに笑みを浮かべる。
「多分、外に出る時ってここに人いなかったでしょ? 丁度、私が交代したところだったから。こっちこそ事前に声かけできなくてごめんね♪」
ミハの言い方は謝る、というより俺を励ますようなものだった。
流石、接客業のプロ。無言のまま突っ立っている男を前にしても動じていない。
やけに甘ったるい声もどこか心地よく聞こえてくる。
くだけた言葉づかいも恐縮しなくてすむのでありがたい。
──それにしても、オーナーって言ってたけど、随分働き者なんだな。
夜も遅いのに心地よく接客してくれるミハに、内心で感心する。
「……ね、君って魔術師だよね?」
ふと、ミハが少し声のトーンを落としてきた。
「はい。そうですけど」
果たしてそう言っていいのか分からないが、一応魔法は使えるようなのでとりあえず首を縦に振る。
するとミハは少し悲しげに眉をひそめた。
「そっか。あのさ……」
ミハの視線が一度、斜め下にずれる。
だがそれも一瞬のことでミハはすぐに俺の目を見つめてきた。
「それなら夜に一人で散歩するのはやめておいた方がいいんじゃないかな。無事だったみたいだけど、何されるか分からないよ」
甘ったるい、媚びるような声がなりをひそめる。
もともとの声質のせいもあって普通よりその声は甘く感じたが気になる程ではない。
むしろ落ち着いた印象を思わせるような声だった。
その声色からミハが真摯に俺の事を心配しているのが見て取れる。
それはそれで嬉しいというか、有難いということは間違いないのだが。
……ここで俺の胸に一つの疑念がよぎる。
トーラでも絡まれたことはあるが、この世界で魔術師というのは嫌われているようだ。
一体、それが何故なのか見当がつかない。その点について、この子なら答えてくれるのではないだろうか。
「あの」
「ん? なにかな」
「魔術師って嫌われているんですよね?」
俺の言葉にミハが少し笑顔をひきつかせる。
「その、なんで嫌われているのか理由をきいてもいいですか」
「…………」
そのまま僅かに目を見開いて沈黙するミハ。
「君は何も知らないの?」
しばらくすると、ミハは苦笑しながら言葉を返してきた。
「すいません。僕、世間に疎いようで」
「そっか」
深くは聞いてこなかったが納得はしてくれたようだ。
一度頷くとミハは言葉を続ける。
「うーん……ほら、魔術師って誰もがなれる訳じゃないでしょう? だから、えばってる人が多いんだよ」
「……誰でもなれるものじゃない?」
そこに疑問を感じて俺はミハの話しの腰をおってしまう。
するとミハは少し驚いたように、きょとんとした顔を見せた
「そりゃそうでしょ。魔力の量や性質は先天的に決まっちゃうから。それをどう使うかは後天的に磨くものだけど」
──そういうものなのか?
少なくともゲームではプレイヤーはクラスを選択することができたし、いまいち実感が湧かない。
しかし、よくよく思い返してみれば魔術師にクラスを変える時のクエストでNPCがやたらエリート意識の高い台詞を吐いていたような記憶もある。
そこら辺はエンターキーを連打して会話を飛ばしていたせいで記憶があいまいだった。
魔術師になるクエストで世界観に影響するような台詞があるなんてことは思っていなかったのだ。
「……本当に何も知らないみたいだね?」
そう言いながらミハが苦笑する。
彼女の目からも俺は不自然に見えるのだろうか。
「すいません……」
「ふーん、随分変わった魔術師さんだね。やけに低姿勢だし。お客さんなんだから丁寧に話さなくてもいいんだよ♪」
急に、声を甘ったるく変化させて猫のポーズをとるミハ。
「は、はぁ……」
彼女なりの励ましというか気遣いだったのだろう。だがちょっと不意打ちすぎてついていけなかった。
あれ、すべっちゃった? と小さく舌を出すミハに内心で謝罪する。
「えっとさ、『気力』と『魔力』の違いは分かる?」