110話 僅かな反抗
スイの事を良く言ったと思いきや、見下すような発言。
スイに対して好意を寄せていると思いきや、とても愛情があるとは言えないような発言。
人格が分裂しているのかと疑いたくなる。
「……何故、スイさんの方が劣っていると思うんですか?」
日本でも、こんなふうに胸倉をつかまれて威圧されたことがあった。
経験があるだけ魔物と対峙するよりも感じる恐怖は少ない。
だから俺は感じる余裕があったのだろう。スイを格下に見られたことの苛立ちを。
「話しをきいていたのか? 僕の方が強いからだよ。ならば僕の方に価値があるのは当然だろう」
「貴方の方が強いと何故、スイさんが格下になるんですか。価値が下なんですか」
「何を言っている?」
俺は誰かと付き合ったことなんか無いし、何が愛情なのかなんて説ける程、立派な人生を送ってきた訳でもない。
だが恋愛関係となるパートナーに格上も格下も無いはずだ。
或いはそれは、童貞の世迷言なのかもしれないが。……例え、そうでもなかったとしても。
強いから格上、弱いから格下。
有能だから格上、無能だから格下。
結果を出したから格上、結果を出せなかったから格下。
そういったことを言うヤツが、俺は嫌いだった。
――ひがんでいた、という方が正確かもしれないが。
とはいえ、言い返す力も、勇気も、資格も無い。
だから日本では引きこもることしかできなかったのだが……
「スイさんは『物』じゃありません」
気が付いたら俺はライルの手首をつかんで反論していた。
自分でも驚く。一瞬よぎる後悔と恐怖の感情。
ライルが少し目を細める。
「……どういう意味だ?」
明確に向けられた敵意の声。威圧の気。
でも、ここで何も言わないのは、絶対に違う。
──引き下がっていいはずがない……!
覚悟を決めて言葉を続ける。
「スイさんの意思も尊重するべきだって意味です」
無言で俺を睨むライル。
うわずった声をあげる俺をバカにしているのだろうか。
小さく鼻で笑ったような息がされる。
「スイさんは……スイは一人の人間として、自分の意思で、愛する人を決めると思います。……というか、強さという『うわべ』だけしか見ていないのは貴方も同じなんじゃないですか? 貴方こそ、ちゃんと人を見ているんですか?」
「なんだと……?」
ライルが声を荒げて俺に詰め寄る。
だが敢えて視線は逸らさない――逸らしたくない。
スイを見下すような男にスイが身を寄せる姿なんて想像したくもない。
そして何より……ライルより弱いから、レベルが下だから、スイが格下だという結論は。
ライルよりもスイに価値が無いなんて結論は。それだけは絶対に否定したかった。
彼女は、初めて俺に手を差し伸べてくれた人なのだから。
──だったら、こんな事で怯んでなんかいられないだろう!
「貴方は本当に、スイという人を見ているんですか? 貴方は本当に、スイという人を大切にできるんですか?」
「ふざけるなっ! 大切にされるべきは僕の方だと言っているだろう!」
ふと、唐突にライルの拳が俺の頬を打つ。
強制的にずらされた視界。
それをもとに戻して俺はライルを睨み返す。
レベル2400の肉体は全くダメージを感知していない。間違いなく、ライルは俺より「弱い」。
同時に確信する。こいつはスイの事を愛してなんかいない。
ただ、スイを欲望のはけ口にしたいだけだ。
「やはり君は無礼だ。僕のレベルを知らないのか?」
知るはずもない。
俺は無言を維持するという態度でそれに答えた。
呆れたように笑うライル。
「知らないなら覚えておけ。英雄と言われる男のレベル、108という数字をなっ!」
不意に飛んでくるライルの蹴り。右ひざで俺の腹部をえぐってくる。
……やはり、ダメージは無い。まるで発泡スチロールでもぶつけられたかのような感触だ。
──なんだよそのレベル、煩悩か……
正直、恐怖はぬぐい切れない。
でも、心の中でそんなふうにあざ笑うことぐらいは俺にもできた。
「……ふん、抵抗すらできないか。ハハハ、全くもって無様だな。擁護のしようもなく弱い」
じっと動かない俺にライルが嘲笑を浴びせてくる。
そんな態度に怒りの感情が奮い立たされる。一瞬、やりかえしてやろうかとも思う。
──堪えろ。
俺が彼を殴り、もし騒動にでもなればスイ達に迷惑がかからないとは言い切れない。
そもそも、暴力で自分の価値観を押し付けるヤツと同じ事はしたくない。
……というか、してはいけない。
──だってそれは、日本で俺がやられて本当に嫌だったことだから。
「とにかく、君はさっさとスイから離れたまえ。身の程を知るんだね」
自分の力を誇示したことで、俺に対しての興味を失ったのだろう。
ライルはあっさりと馬車の方に振り向いた。
「失礼するよ」
女性の隣りに座ると手綱を握り馬に合図を送る。
これだけのトラブルを起こしておきながら女性はこちらに一切興味が無いようだった。
ずっと明後日の方を見つめている。
†
「……はぁ、失敗したな」
馬車の後ろ姿を見つめながら、ふとそんな事を呟いた。
十分ほど前の自分を軽く呪う。
ライルに会う事はともかく、シュルージュの対応からトラブルに会う可能性は想像できたはずなのに。
とはいえ起きてしまったことは仕方ない。
無事に解放してくれただけラッキーだと思い込むことにして俺はシャルル亭へと足を進めた。