1-7
「暗殺容疑……?」
アレッシオの言葉を、フランカは口の中で繰り返す。
一瞬では理解できないくらいに、思い当たる節がなかった。
「なにかの間違いでは? そんな恐ろしいこと、考えたこともありませんよ」
「よくも平然と言えたものだ」
アレッシオは言いながら、フランカに向けて足を進める。貴族たちの傍を離れ、椅子に座るフランカの真正面で立ち止った。
「寝所で見たのは、たしかに貴様の姿だった。寝台に隠れ、俺が近づいた瞬間に飛びかかり、ナイフで喉を狙ったな? 失敗すると部屋から逃げ出し、そのまま姿をくらませた。知らぬとは言わせん」
――知らぬ。いやマジで。
そう言いたいが、さすがに茶化すことはできない。それが事実なら、たしかによほどの非常事態だ。聖殿に土足で踏み込むのも無理はない。
しかし、フランカには本当に身に覚えがない。アレッシオの寝室どころか、王宮にすらめったに近寄らないようにしているのだ。
「本当に私だったんですか? 見間違いでは?」
なにせ、フランカの容姿は平凡だ。よく見ればもちろん特徴はあるが、貴族令嬢たちの目を引く容貌には比べるべくもない。貴族だらけの宮中に慣れた人間に、一見して見分けるのは難しいだろう。
「不愉快なその顔を見間違えるものか。なにより、俺以外にも姿を見た人間が多くいる。貴様の顔面を知らずとも、疑いようのない姿を」
――顔を知らなくても、疑いようのない?
どういうことだろうか、とフランカは眉根を寄せる。フランカの疑惑の表情を見て、アレッシオは片眉を上げた。
「時に、大聖女――聖衣はどうした」
「脱いで、部屋に置いて――――」
言いかけた言葉を、フランカは自分で飲み込む。く、とアレッシオが短く喉を鳴らした。
かすかにとはいえ、声を出して笑うとは珍しい。珍しいが、それに感心している余裕はない。自分が余計なことを言ったことにフランカは気が付いてしまった。
「語るに落ちたな、大聖女。ならばこれはどういうことだ」
アレッシオが視線を護衛の一人に向ける。護衛は無言で歩み出て、一つの白い布を差し出した。
アレッシオはそれを掴み、フランカの前に広げて見せる。
――見間違えるはずがない。
フランカの顔を知らずとも、たしかにこれは疑いようがない。
アレッシオが手にしているのは、よく見慣れた服であった。金と黒の二色の刺繍が入った――大聖女だけが着ることの許される聖衣である。
「暗殺犯を見失った地点に落ちていたのがこの聖衣だ。それまでにも、聖衣を着たまま逃げる貴様の姿は何人も見ている。――おおかた、目立つからと脱ぎ捨てたのだろう? そして、そのまま聖殿内に戻った、と。異論はあるか、大聖女」
ぐ、とフランカは喉を詰まらせる。アレッシオの思考は自然だ。
暗殺者は大聖女の聖衣を着ていた。途中で聖衣が捨てられているのに、当のフランカは部屋にあると言う。どう考えても、誤魔化すための嘘としか思えない、が――。
「こ、こんな雑な犯行するわけないだろ――ないでしょう! だいたい、私はずっと聖殿に」
いなかった。
フランカは言葉を続けられずに呻いた。
フランカの不在はアレッシオも把握しているのだろう。なにせラヴィニアが、「所用で外に」とはっきり言ってしまっているのだ。
ならば、大事なのはその時間になにがあったかだ。
まさか、と思いつつ、フランカはおそるおそる尋ねる。
「……殿下が襲われたのは、何時ごろのお話です?」
「今から二時間ほど前。それからしばらく犯人を追ったが、見失ったのはそれから三十分くらいか」
つまりは、フランカが逃走してから一時間後の犯行となる。
聖殿から王宮までは距離があるが、それでも急げば三十分はかからない。ラヴィニア率いる聖女の追手を振り切って、その足で王宮まで行けば間に合ってしまう。
「この時間、貴様は外出をしていたと聞いたが、その間どこにいた?」
「町へ……出ていましたね……」
聖殿を飛び出し、フランカは町の中へ潜んでいた。ラヴィニアの怒りが冷めるのを待ってから聖殿へ戻り、食堂に出向いたのである。
「そのことを証明できる人間は」
「……おりません」
いくら地味な顔だからと言っても、町で派手に動けば痕跡が残ってしまう。それに聖女の聖衣を脱いだところで、服装自体は聖殿に合わせた真っ白なものだ。飾り気のない上下の服は、街中ではかえって目立つ。
それでフランカは、ほとぼりが冷めるまでずっと身を隠していた。町はずれの廃屋で昼寝をしていた、と言い換えてもいい。当然この間、誰とも顔を合わせてはいない。
「俺は、貴様と同じ顔をした人間に寝所で襲われた。聖衣を着た貴様の姿を、宮中の人間が何人も見ている。そして、その時間に貴様の姿は聖殿になく、誰も居場所を知らない。そして今、宮中に聖衣を置き忘れた貴様の姿がある」
アレッシオは薄着の寒々しいフランカを上から下まで眺め、一つ息を吐いた。
「――――なにか、言い逃れはあるか」
――ぐ……っ。
どこをどうとっても、フランカが犯人であるとしか思えない。
食堂の客たちも疑惑の目をフランカに向けている。騒動を聞きつけたのか、厨房から出てきたジラルドや料理人たちも、困惑した様子でフランカを見ていた。
「で、でも、私じゃない! 私なら――私が暗殺するなら、聖衣なんて最初から着ない! わざわざ自分の手掛かりを残すような真似するもんか!」
首に冷たい刃を感じつつ、フランカは勢い腰を浮かせてしまう。周囲の護衛たちが警戒を深めたが、たいして気にはならなかった。
「誰かに嵌められたんだ! そうとしか思えない!」
「苦し紛れの言い訳だな」
アレッシオは否定するフランカを鼻で笑う。
「その都合のいい『誰か』とは誰だ。明らかにできるのか?」
「それを調べるのはそっちの役目だろう!」
騎士団は剣を持って敵を打ち倒すだけではない。国にいる間は、治安維持や事件の調査などにも携わる。
もっとも、この騎士団の全権をアレッシオが握っている今、当てになるはずはない。
「調べた結果が貴様だ、大聖女。騎士団はこれ以上の調査を必要としない」
――あああああ! このくそ野郎!!
思わず内心で罵倒する。思考が口から出て来なかったのは、フランカの残り少ない理性のおかげだ。激高したら思い通りだ、という最後の冷静さがフランカを押しとどめる。
アレッシオは、本気でフランカを捕まえるつもりだ。フランカの言葉を聞いて眉一つ動かさないあたり、真犯人などどうでもいいのだろう。
そうなると、騎士団には頼れない。せっかくフランカに罪を押し付けた犯人が、自ら名乗り出てくるわけもない。
――なら、やることは一つだ。
「『誰か』とは誰だ――と言ったな?」
フランカは震える拳を握りしめ、アレッシオを睨んだ。
「いいだろう、無能な騎士団に代わって、私が明らかにしてやる!」
「ほう。貴様にそれができるとでも?」
対するアレッシオは、フランカの言葉を聞いても平然としたものだった。薄く目を細めた余裕の顔が腹立たしいが、手を出す代わりにフランカは声を上げる。
「できる! やってやる!」
もはや剣の存在など忘れ、フランカは前のめりにアレッシオを睨み上げた。見上げているのに見下すような目つきで、おまけに仮にも王太子に向け、指まで突きつける。
「私が本当の暗殺犯を見つけ出して、お前の前に突き出してやる! そのときは泣いて謝罪しろ、バ――――カ!!」
実に低俗で無茶な宣言が、食堂中に響き渡った。
ラヴィニアが頭に手を当て、気苦労の絶えない顔でうなだれる。食堂の客たちは度肝を抜かれた様子で目を見開き、剣を抜く護衛たちでさえ、かすかに目を丸くしていた。
その中で、アレッシオだけが愉快そうに口を曲げていたことは――ほとんど誰も気が付いていなかった。