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1-6

 本来、聖殿とは不可侵な場所だ。

 神の住まう場所であり、穢れを嫌う場所でもある。政治に無縁で金を疎み、寄付と予算だけで成り立つ清廉な地。余人の侵入は許さない――というだけではない。


 聖殿は政治に関与せず、代わりに政治は聖殿に関与しない。

 博愛と救済を謳う聖殿は、ときに罪人すらもかくまうことがあるが、聖殿内にいる限りこれを無理に取り上げることもできない。王家の下にある一組織だが、聖殿は独自の指揮系統を認められており、王命さえも拒むことができる特権を持ち合わせているのだ。


 神官聖女の大半が貴族の出自である以上、これは単なる建前に過ぎないが、聖殿が特権を持っているのは事実。内部に干渉するためには、それなりに複雑な手を回さなければならない。

 これを嫌って、王族や王族に与する貴族たちは、めったに聖殿内へ足を踏み入れようとはしない。

 王太子アレッシオも例外ではない。特に彼は、フランカとは仲が悪い。よほどの用件がなければ自ら聖殿に来ることもないし、フランカも同様に王宮には出向かない――はずだった。


 ――なんで!? なにしに来た!?

 慌ててフランカは顔を中庭に向ける。目だけは背後を伺いつつ、目立たないように肩を縮めた。

 アレッシオはどうやら、中庭とは反対側――拝殿内部につながる入り口から食堂に入ってきていたようだ。彼の背後には数人の護衛が控えており、用心深そうに周囲を伺っている。

 いつもよりも護衛の数は多い。いやに物々しい様子だが、その理由に心当たりはなかった。

 ――なにかあった……?

 だとすれば、よほどのことがあったのだろう。さもなければ、アレッシオがわざわざ聖殿に来るとは思えない。大聖女としては名乗り出て話を聞くべきなのだろうが――。

 巫女の勘が告げている。いやな予感がする。


「で、殿下!? ど、どうしてこちらに……!?」

 フランカと同じ疑問を、背後の席に座る貴族の男が口にする。

 彼は驚きの余り、手に持っていたカップさえも取り落としてしまったようだ。床に落ちて割れる音が響くが、反応する者は誰もいない。

 アレッシオは貴族の男の顔を一瞥する。愉快と言ったわりに、顔には冷笑すらも浮かんでいない。無機質な視線は人間を見るものとも思えず、どこか背筋が寒くなる。

 無言のアレッシオを前に、男は体を大きく震わせた。

「い、今の話を聞いて……!? い、いえ、その、あれは殿下のお話ではなく……」

 男は言い訳を探して、しどろもどろに言葉を吐く。大きな体が一回り小さくなり、視線は救いを求めるように食堂をさまよう。

 男の恐怖も無理からぬことだった。アレッシオは、自身の痛い過去を徹底して隠している。うかつに口を滑らせた人間は、例外なくすべて宮中から去っていった。

「そう! あの大聖女めの話なのです! で、殿下に逆らう不敬者の話をしていたまでで……!」

 先ほどまでの威勢の良さも嘘のようだ。まるで子供だ、などと鼻で笑っていたことを考えると、滑稽にさえ思えてくる。が、代わりに自分を貶められているので、フランカとしては複雑だ。

「あ、あの生意気な大聖女め! 穢れた偽聖女のくせに殿下に歯向かおうとは、まったく片腹痛いですな! 尊きお方に対する態度がなっていないとは、やはり卑しい平民で――」

「卿」

 弁明する男の口を、アレッシオは一言で塞ぐ。

「続きは後ほど、宮中でゆっくりと聞く。今は急ぎの用があるゆえ」

 そう言うと、アレッシオはまだなにか言おうとする男から視線を移動させる。

 目の動きは迷いない。顔を上げたアレッシオの琥珀の瞳は、真っ直ぐに一点を捉える。

 彼の視線の先にいるのは、中庭に顔を向けつつも様子を盗み見ていたフランカだ。


 一瞬、宝石のような瞳と目が合った――気がした。

 合わなかったことにして、フランカは慌てて目を伏せる。

 大聖女の聖衣は着ていない。三時間の逃走の末、整えた髪も乱れている。大聖女らしい威厳と清廉さは、最初から持ち合わせてはいない。

 相手に気付かれたと思うのは早計だ。ここで不審な動きをすれば、かえって彼らの目を引いてしまう。

 ――よし……やり過ごす!

 と内心でこぶしを握ったのと、慌ただしい足音が食堂に駆け込んでくるのは同時だった。


「で、殿下! フラ……大聖女は現在、所用で外に出ていまして……!」


 振り返らなくとも、息を切らせたラヴィニアだとわかる。

 彼女は荒く何度か息を吐くと、すぐに叫んだ。


「――って、いるじゃない、フランカ! なんで殿下の方が先に見つけていらっしゃるんです!?」


 さすがは腐れ縁。後姿を一目で看破するとは感心するが、今は恨めしい。こうなっては逃げられない。


 フランカは観念した。わざとらしいほど大きく息を吐くと、背後にいるであろう集団に振り返る。

 一体なんの用件か――そう尋ねようとして、すぐに口をつぐむ。


 視界に映るのは、思いがけない光景だった。

 アレッシオがいて、護衛たちがいて、貴族の男二人とラヴィニアがいる。それはいい。

 だが、護衛たちが全員、剣を抜いているのはどういうわけか。


 ラヴィニアは入り口から中へ足を踏み入れることができず、息を呑んで立ち尽くしていた。貴族たちは青ざめ、強張ったまま動かない。アレッシオが片手を上げているあたり、彼の指揮であることは間違いがなかった。

 そして、剣先はすべてフランカに向いている。反射的に立ち上がろうとした、その瞬間。

「おっと、動かないでくださいよ」

 背後から、首筋に刃を当てられた。ひやりとした金属の冷気が肌を撫でる。

「申し訳ありませんねえ、これも命令ですので」

 少しも申し訳なさのない声が、頭の後ろから聞こえた。この剣を突きつけているであろう、アレッシオの護衛の声だ。振り返ろうにも身動きが取れず、フランカは奥歯を噛む。

「これはいったい、どういうことですか」

 アレッシオに向けて問いかければ、彼は薄く口を曲げた。視線はフランカから離れない。あるいは、目が合ったあの時から、ずっとフランカを見据えていたのかもしれない。

「とぼけたことを。心当たりがあるだろう」

「あいにく、殿下に剣を向けられるような心当たりはありません。聖殿内で刃傷沙汰はご法度ですよ」

 そもそも、聖殿内は不可侵だ。王であろうと王太子であろうと、手出しをすることはできない――よほどの非常事態でもない限りは。

 そうか、とアレッシオは感情の一切見えない声で言った。

「ならば、はっきりと言ってやろう」

 沈黙する食堂に、アレッシオの声だけが響く。静かだが、よく通る声だ。


「大聖女フランカ・フランメリヤ、貴様を王太子暗殺容疑で連行する。――俺の寝所に忍び込むとは、いい度胸だ」

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