1-19
夜会場は静かだった。
客たちは全員会場を逃げ、兵たちも今はいない。
残っているのは、フランカとアレッシオと――倒れ伏した悪魔の体だけだ。
悪魔は四肢を切り落とされ、黒い血だまりの中に転がっている。
死んではいないはずだ。悪魔の生命力ならば、四肢が落ちても気を失う程度で済む。確実に仕留めるには頭を落とす必要があるが、暗殺の経緯や理由を聞かなければならないので、止めを刺すのは控えていた。
おかげで、えらく苦戦した。
魔法で消耗した体をどうにか立たせ、フランカは荒く息を吐く。
額の汗を拭えば、化粧も一緒に剥げ落ちた。汚れた自分の裾を見て、思わず苦笑する。
自分らしくもない――なにを期待していたんだか。
「――余興は、これで終わりってことでいいんだな?」
頭を一つ振ると、フランカはアレッシオに向き直った。悪魔退治を終えたばかりだというのに、彼は表情一つ乱さない。澄ました顔で剣を収め、フランカを見やった。
「いいだろう。貴様の容疑は晴れた。後の話は悪魔本人から聞く。……ああ、謝罪が欲しかったのだったか?」
そういえば、そんな話だったか。
すっかり忘れていたが、欲しいかと言われれば特に欲しくはない。フランカは素直に首を横に振った。
「いらない。どうせ、私一人じゃわからなかったわけだし」
フランカだけでは、『精霊を使わない魔法』に思い至ることはなかった。自分が魔法に長けているだけに、人間以外の魔法――悪魔の使う魔法にたどり着くことができなかった。
腹立たしいのは、これを教えたのが目の前の男だということだ。
「お前、はじめからわかっていたんだな。私が犯人じゃないんだって」
「当り前だ」
恨みを込めたフランカの言葉を、アレッシオは意にも介さない。わかりきっている、という態度で、彼は薄く目を細めた。
「貴様が寝所に忍び込めるような女なら、そもそもこんな面倒なことにはなっていない」
笑っているわけではない。細めた目は冷たく、憎悪さえも滲んでみえる。
思わず、フランカは息を呑む。無意識に足を引くが、逃すまいとでも言うかのように、アレッシオがその腕を掴んだ。
アレッシオはフランカの腕を引き、顔を寄せる。真正面から至近距離で顔を見合わせることになるが――そこに満ちるのは、ぞっとするような寒気だけだ。
「――これ以上、俺の邪魔をするな」
フランカを掴む手の力は強い。握りつぶされるのではないかとさえ思える。
「二人きりで言葉を交わすこともできない。用がなければ顔を合わせることもできない。おまけに貴様には常に監視が付いている。この状態で、満足をしろとでも?」
威圧するような視線に、フランカは唇を噛む。
王太子と大聖女。今の二人の関係は、これ以上でも以下でもいけない。
それが、フランカが大聖女になる際の条件だった。
大聖女となれば、王家と関わらざるを得ない。
だが、フランカは本来、アレッシオとは二度と言葉を交わすことのできない身の上だ。過去が過去だけに、王太子と共謀して聖殿を陥れる可能性もある。フランカ自身にその気はなくとも、そう聖殿は考えた。
だからこその条件だ。
用がなければ、フランカはアレッシオに会いに行くことはできない。
必要以外の言葉を交わすことはできない。
フランカには常に監視がついていて、それを破ればすぐさま、彼女は罪をあがなうことになる。
――それでも、良いと思っていた。
大聖女としては『制約』だが、罪人のフランカにとっては、これは罪の『緩和』だった。
会えないはずの相手に会えるなら、拒む理由はどこにもない。
フランカはただ会いたかっただけだ。
だが、アレッシオはもっと――はるか先を見てしまっていた。
「俺は、貴様が罪人であろうと構わない。誰にも文句は言わせない。うるさい連中はすべて黙らせてやる。どんな手を使っても」
アレッシオの言葉が偽りではないことは、国の様子を見ればよくわかる。
彼は自分の周りに権力を集め、反対派を駆逐し、貴族たちの強権を奪い続けている。
周囲を賛同者で固めるのも、聖殿を敵視するのもそのためだ。
どれほど反発を受けても、恐れられても、彼はためらわず、顧みない。迷わず突き進むだけの意思の力があり、それを成し遂げるための能力も持ってしまっていた。
「貴様を聖殿から引きずり降ろしてやる、フランカ。それで終わりだ。――次はないと思え」
それだけ言うと、アレッシオはフランカの腕を離した。じわじわと腕が痛む。赤く、手の形に跡が残っている。
フランカは自分の腕に手を当てる。
言葉は出なかった。気圧されたつもりはないが、喉の奥に無数の言葉が絡んで、音にすることができない。あるいは奥歯を噛んでいなければ、とりとめのない言葉があふれてくるせいかもしれない。
遠く、誰かが駆けてくる足音がする。外の魔物も片付き、こちらの様子を見に来たのだろう。顔を上げようとしたフランカの頭に、不意に布が被せられた。
「人前だ。いつまでも背中を晒すな」
マントだ。アレッシオが自分のマントを剥ぎ取り、フランカに寄越したのだ。
もともと持っていた上着は、すでに失くしている。背に刻まれた焼き印を隠すすべがなかったことに、フランカは今になって気が付いた。
「……アレッシオ」
囁くように名前を呼ぶが、彼は振り返らない。駆け込んで来た兵たちに向けて歩き出し、そのままフランカを忘れたようになにごとかやり取りを始める。
フランカは反射的に手を伸ばしかけ――その背中を掴むことができないまま、手を引いた。
雑に渡されたマントを握り、フランカはアレッシオの背を見つめる。
「……どうすればいいんだよ」
フランカが寝所に忍び込めるような女だったら、こんなことにはなっていない。アレッシオの言葉は、まったくその通りだとフランカは思う。
罪人でもいい、とアレッシオは言った。平民だろうと罪人だろうと関係なく、アレッシオはフランカを望んでいる。いつだって受け入れるつもりで――さもなければ、奪うつもりでいる。
拒んでいるのは、フランカの方だ。
「いいわけないだろ……」
かすれた声が口から洩れる。誰に向けて言ったわけでもない。ただ、吐き出すように言葉が出る。
「…………お前、この国の王になるんだぞ」
自分のために覇道を進む男を、喜べるなら良かったのだろう。血に染まり、敵ばかり作り、四六時中命を狙われる相手を前に、黙って抱かれていられるような性格なら、いっそ楽だった。
だけど、フランカはそんな可愛い女にはなれない。自分に才能があることも、他人より小賢しいことも理解してしまっている。
今や、貴族たちも、兄弟王子も、国王さえも、正面からアレッシオと争うことはできない。それでも聖殿を利用すれば、自分なら――止められる、自信がある。
「……引きずり降ろす。私だって」
絶対的な立場から、アレッシオを追い落とす。
せめて彼が、少しでも恨まれないように、憎まれないように。いつか、自分の行動を悔やむことのないように。
祈るような気持ちで、フランカはマントの端を握り合わせた――そのとき。
「――――フランカ! 無事!? 私、薬を盛られてたって本当!?」
騒がしい声がした。
蒼白な顔をしたラヴィニアが、聖女たちを引き連れて夜会場に駆け込んでくる。
「悪魔ってどういうこと!? 私が気を失ってる間、なにがあったの!? あなたのその格好、どうしたの!!」
騒々しさにフランカは苦笑する。うつむいて目を閉じ、開けばもう、感傷なんてどこにもない。
いつものように口を曲げ、ラヴィニアに向けて不敵に笑ってみせる。
「遅かったな、ラヴィ。もうとっくに余興は終わったぞ。あの男の謝罪を見られなくて、残念だったな」




