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1-1

 血迷った子供時代から、十年が過ぎた。


「――ええ、ええ、アレッシオ殿下におかれましては、聖殿の人間など飢えて死ねと言うつもりなのですね」

「国の予算で贅を尽くす金食い虫に、節制を求めただけだ。これで飢え死にをするなら、貴様の能力不足だろう、大聖女」


 アロガンテ王国、王宮。来年の予算配分を決める会議の場は、緊張に凍り付いていた。

 各組織の長や大臣たちなど、そうそうたる顔ぶれがそろいながら、誰も言葉を発することはできない。無言で成り行きを見守る人々の中、口を開くのはただ二人だけである。

「贅! 贅を尽くすなどとおっしゃいましたか」

 大げさに肩をすくめたのは、そのうちの一人。アロガンテ国教である天地神信仰の総本山――『聖殿』の長、大聖女フランカ・フランメリヤだ。

 地母神の加護を持つという黒色の髪が揺れ、同じ色の瞳が歪む。身に纏うのは、神への奉仕者を示す白い聖衣だ。袖口と襟に、大聖女の証である金と黒の二色の刺繍が入っている。

 この聖衣がなければ、とても彼女が一万の神官聖女を束ねる立場の人間だとは思うまい。二十三という若さもあるが、彼女の容姿もまた、聖女という言葉から抱く印象とは異なっていた。


 フランカは、一見するとありふれた町娘にしか見えない。

 顔立ちは凡庸で、薄化粧と相まって垢抜けない。背はやや低く、長くゆったりとした聖衣を纏うと年齢よりも幼く見えた。

 装飾を極力身に付けないという聖殿の方針にのっとり、身に付けるのは簡素な聖衣と、髪を結ぶ黒い紐のみ。誰もが着飾るきらびやかな王宮の中にあっては、なおのこと彼女の地味さが際立った。

 だが――なにより彼女を聖女の印象から遠ざけるのは、その表情のせいだろう。


 凍てつく空気の中で、フランカは場違いなほどおどけた顔をしてみせる。瞳は恐れを知らず、油断なく相手を見据えていた。

「まさか、私の聞き間違いではありませんよね? 私の耳がおかしくなったのでしょうかね? 清貧を愛する我が聖殿に、尽くす贅があるとでも?」

 フランカの正面にいるのは、口を開くもう一人の人物だ。フランカの視線を、射貫くような琥珀の瞳が睨み返す。

「耳は正常でも、理解する頭はないようだな。清貧を愛するとはよく言ったものだ」

 気後れするほどの美貌の青年が、冷たい声で答えた。うんざりしたように軽く頭を振れば、父神の寵愛を一身に受けたまばゆい金の髪が揺れる。薄い唇からはため息が漏れ、あらわな侮蔑を示していた。

 顔に浮かぶ表情は、冷笑という他にないだろう。酷薄そうに細められた目が、にこりともせずにフランカを刺していた。

 美貌もこうなると、魅力よりも恐怖が勝る。王太子アレッシオ・グラン・デ・アロガンテがフランカへ向ける冷徹な態度に、周囲の人々こそが身を強張らせた。

「必要な額は出している。これで足りぬと言うのなら、浪費以外に言い訳はあるまい」

 否を言わせぬ口調だった。いや、実際に今の王太子に対して否を言える人間など、国中を探しても数えるほどしかいない。軍事国の要である騎士団の指揮権を彼が握っている以上、この国の実権は彼の手の中にある。

 王太子が命ずれば、いつでも兵は剣を抜く。宮中にいるかぎり、誰もが首に刃を突きつけられている。

 そして、王太子は命ずることを躊躇しない。無慈悲な王太子の声によって、すでに何人もの人間が宮中から消えていた。今やわずか二十四歳の若造を前に、父である国王さえも恐れ逃げ出す始末。

 彼に口出しできる人間は、よほどの権力者か、よほど強い覚悟があるか――。

 あるいは、よほどの命知らずである。


「これは参った。殿下は必要な額の計算ができないようですね」

 口を曲げ、目を細め、フランカは偽りの笑みを浮かべてみせる。挑発めいた口調であるが、彼女自身の苛立ちは明らかだった。頬が引きつり、こめかみが震えている。

「王家の対応が遅いせいで、魔物被害が絶えないのはご理解いただいていますか? 長引く戦争で疲弊しているうえにこの状況では、傷つく民も増える一方。こちらは身を切って救済に当たっているのですが、このことは計算に含めてくださっていないのでしょうか?」

「魔物の対処は国で行う。騎士団と魔法研究所に費用を回した。貴様の案ずることではない」

「ははあ、今さらのんびり魔物退治の準備ですか。さすが王家に守られた組織は優雅でいらっしゃいますね」

「無論。功を急いだところで返り討ちに遭うだけだ。入念な準備をしておくことが、最終的に一番効率がいい」

 なるほど、とフランカは慇懃に頷く。笑みはほとんど崩れかけていた。

「民を救済するための費用を奪って、今から金をかけて準備して、成果が出るのはいつごろでしょうかね。そのころに、私はいくら予算を請求すればいいんですかね!」

「この対処は、そもそも被害を出さないためのもの。聖殿の出る幕はない」

「はは、殿下は人の話も聞けないようですね。『被害を出さないため』ですって? 本気で仰っていますか?」

「当然だ。二度も同じことを言わせるな」

 淡々と告げた王太子の言葉に、フランカの顔色が変わる瞬間を、議場にいた人々は目の当たりにした。

 平静を装った表情は完全に崩れた。一瞬の無表情の後、フランカは大きく息を吸いこみ――。


「いけしゃあしゃあとよくも言えるな! 被害はもう出てるっつってんだろうが!」


 荒々しい言葉に変えて吐き出した。

 緊張しきった議場に、フランカの怒声が響き渡る。ついでに響いた金属音は、苛立ち紛れにフランカが叩いたせいだ。

 人々の視線が一斉にフランカに集まる。その視線の大半は、呆れと慣れの入り混じる「またか」というものだった。


「品がないな、大聖女」

 頭に血が上り、取り繕うのを忘れたフランカを見て、アレッシオは目をすがめる。彼の顔に浮かぶのは、呆れというのも生ぬるい。明確な嘲笑であった。

「やはり貴様に大聖女は不釣り合いではないのか? いい加減に分不相応な真似はやめて、その座を後進に譲るがいい」

 対するフランカも、ハッと鼻で息を吐く。もはや品など投げ捨てて、不遜な瞳でアレッシオを睨んだ。


「品で人が救えるか! お前がいる限り、死んでもこの座にしがみついてやるわ、バーカ!」

「猿と話をする趣味はない。俺に物を言いたいのであれば、言葉を覚えてから出直してこい、愚物」


 議場はますます凍り付く。

 フランカとアレッシオの交わす視線もまた、絶対零度の冷たさだった。


 〇


 大聖女フランカ・フランメリヤと王太子アレッシオの仲の悪さを、この国で知らぬ者はない。


 もとより、聖殿と王家は対立する組織同士。民の信仰篤く発言力のある聖殿は王家にとって鬱陶しく、信仰をないがしろにする王家は聖殿にとって目障りなもの。建国より三百年争い続けたこの組織は、二人の台頭によっていっそう対立を激化させていた。

 王太子は徹底的に聖殿を冷遇し、大聖女は正面から王家を批判する。二人は敵対関係を隠そうともせず、口を開けば罵りあい、陰に日向に蹴落としあった。その容赦のなさは周囲を震え上がらせ、かつての仲を邪推する者もいつしか消えていった。


 公然の秘密から十年。正確に言えば、もうすぐ十一年。

 かつて国中を騒がせたこの秘密も、今となっては笑い話にもならない。王家にとっても聖殿にとっても、ただ苦いばかりの過去となり果てていた。

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