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1-18

 恋に破れた二人の結末は、誰もが知っている。


 王子はほとぼりが冷めるまで、国から離れた戦場へ送られた。

 娘はすべての罪を被せられ、罪人となった。


 死罪こそは免れたものの、二人は二度と会うことが許されない。

 もしもこれを破ったならば、娘は今度こそ、死をもって罪をあがなうべしと定められた。


 〇


 フランカは伯爵に向き直ると、驚く彼の顔を睨んだ。

「お前、フィロー伯爵じゃないんだろう?」

 一歩詰めよれば、伯爵もまた一歩引く。フランカの気迫に押されたようにのけぞる彼を、会場の人々がざわめきながら見つめていた。

「彼なら驚くはずはない。私が『王子誘拐』を企てた重罪人で、その過去を偽るから『偽聖女』だなんて、有名な話だからな」

 だが、それを誰も口にはしない。

 罪人を聖女にした聖殿。王太子の恥を隠したい王家。二つの組織が共謀して『公然の秘密』を生み出したからだ。

「なあ――お前誰だよ」

 フランカがまた一歩近づく。

「フィロー伯爵の姿をして、私の姿で王太子を狙って、今朝は王宮の使者に化けていたな? なあお前、本当は

「な、な、なにって……!」

 フィロー伯爵は冷や汗をかいたまま、周囲を見回して叫んだ。

「た、ただの言葉のあやでしょう! ざ、罪人というのは、王太子暗殺未遂の話についてだけであって……! だ、だいたい、私が誰かですと!? 私は私以外にありえないでしょう!」

 甲高い声が会場に響く。物見高い野次馬たちの視線をどうにか味方に付けようとでも言うのだろう。大げさな身振り手振りを交えつつ、彼は声を張り上げた。

「私が別人などという与太が信じられましょうか! この姿を見て、どうして偽物だと言えるのです!? どこにそんな証拠があるのですか!!」

「あるに決まってんだろ」

 伯爵の高い声を遮り、フランカは鼻で笑った。

 証拠は、もちろんある。それを察したからこそ、目の前の彼も昨日、襲い掛かってきたのだろうに。

「伯爵。王都に魔物が出てから少しして、結界の様子を見に行ったことがあるな?」

「え……ええ、ありますが、それくらいは誰だって……!」

「その際、不備を見つけたからと結界に手を入れただろう。門兵から聞いたことだが、否定はしないな?」

「そ、それがどうかしましたか! 結界の手入れは魔法研究所の仕事です! 当たり前でしょう!」

 そう。珍しいことではない。

 特に伯爵は、自身にも魔法を扱う力がある。結界に触れること自体は違和感がないことだ。

 だが、重要なのはその先――結界の手入れの際にした行為の方だ。

「なら、覚えているだろう。結界を修正する際に書き直した、『文字』のこと」

 王都の結界は、文字によって記される。アロガンテでは通常使われない、古い時代の特殊な文字。

 描けば力になるからこそ、魔法使いさえもめったに使うことはない。伯爵もまた、日常生活にその言葉を書き記すことはなかったのだろう。

 だからこそ、彼は気が付かなかった。――あるいは、気が付かれないと考えてしまったのだ。

「アロガンテの公用文字は真似できても、こっちは真似できなかったようだな。筆跡を改めさせてもらったよ。――幸いにも伯爵は、魔法の研究論文をずいぶんと残していてくれたからな」

「…………論文」

 呆けたように伯爵は呟いた。

 瞬きながらフランカを見やり、浅く息を吐く。

 先ほどまでの動揺は、波のように引いていた。

「そんなもので……」

「詰めが甘かったな。言い逃れは?」

 伯爵はそれには答えなかった。

 ただ無言で、フランカとアレッシオを交互に見る。


 会場は静まり返っていた。

 息を呑むような気配だけが満ちる。

 このまま永遠に沈黙が続くのかと思ったとき、伯爵が身じろぎをした。


 いや――ただの身じろぎではない。

 伯爵の小さな体は、揺れながら形を崩していく。

 さながら、薄膜を破るように、伯爵の輪郭は歪み、破れ、膨れ上がる。身を包んでいた服が伸び、引き裂かれる。

 伸びあがる体は、次第に黒ずんでいく。表面は奇妙な粘性を持ち、燭台の火を受けて、玉虫のように無数の色を返した。


 それはさながら、作り損ねた人形のようだった。

 黒く巨大な体は、頭部と四肢を持つ。長い手足に比べ、細すぎる体。頭に位置する場所には、いびつで巨大な球体がある。

 その顔一面を、縦に裂けた無数の目が覆う。ぎろりと光る赤い瞳に、誰か最初の悲鳴を上げた。


「――悪魔!!」


 悪魔と呼ばれたそれは、無数の目を細める。

 人に似て人ならざるそれは、まさしく悪魔――大陸の北部に住まう異形の悪魔族だった。





 会場は騒然とした。

 アロガンテと国境を争う悪魔は、人々にとっては恐怖の象徴だ。性質は酷薄で、血と悲鳴を好むもの。数こそ少ないが、そのぶん個々が強力で、町一つをたった一体の悪魔に滅ぼされたことさえもあるという。


 人々は悪魔から逃げようと、出口に殺到した。

 だが、逃げ出そうとした先陣の足が止まる。何事かといぶかしむ人々は、出口の先に魔物がいるのを見ただろう。

 魔物は狼に似た唸り声をあげ、蜘蛛のような瞳で逃げようとする人々を睨んでいた。




「――客を守れ! このために呼んだんだ!」

 フランカは会場に紛れ込ませた神官聖女たちに向けて叫んだ。ざわめき、統率を失った人々の中で、彼女の声はよく通る。

「どうせ先陣は、こいつの兵が切る! 後に続いて逃がせ!」

 こいつ、と言ってフランカはアレッシオを指さした。アレッシオはそれを疎むでもなく、素直に肯定する。

「客の逃げ道を作れ。背後は気にするな。どうせ、この女の配下がどうにかする」

 静かな命を受け、兵たちが剣を取る。逃げ惑う客たちの先頭に立つために駆け出す兵の様子に、悪魔は肩を怒らせた。

「なぜだ……!」

 地を揺らすような低い声が、いかにも不服そうに響いた。

 邪悪な瞳が、憎悪を込めて二人を睨む。

「貴様ら、仲が悪いのではなかったのか……! 互いに憎みあい、蹴落としあい、相手を潰そうとしているのではなかったのか!!」

 フランカとアレッシオは顔を見合わせた。

 仲が良いつもりはない。憎いし、蹴落とそうとしているし、潰せるものなら潰したい。

 だが――。

 なぜ相手を潰したいのか。その理由を、この悪魔が知ることはないのだろう。

「私とこいつの仲が、ポッと出のお前にわかるもんか」

 フランカは悪魔を見上げてにやりと笑った。挑発的な目に、悪魔の体が震える。苛立ったように長い手を地面に打ち付けると、すべての瞳で二人を睨んだ。

「人間ごときが……! いいだろう……どちらにしろ、始末すれば同じことだ!!」

 ぬらりとした黒い肌が泡立つ。明確な殺気を前に、アレッシオがフランカを背後へ押しやった。

 かばうように前に立ち、アレッシオは剣を構える。それを見て、悪魔がせせら笑った。

「無駄な抵抗を! 人間が悪魔に敵うと思うか!!」

「そっくり同じ言葉を返してやる」

 悪魔の言葉に、アレッシオは眉一つ動かさない。

 ただ淡々と、ありのままの事実を告げるだけだ。

「小悪魔ごときが、俺に敵うと思うのか」


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