07・友だち
東京都月白区。
インクルシオ東京本部の7階にある執務室で、ラベンダー色のワイシャツを着た本部長の那智明は、安堵と落胆の入り混じった息を吐いた。
那智が座る革張りのソファの向かいには、南班チーフの大貫武士がいる。
二人の間のテーブルにはスピーカー状態のスマホが置かれており、インクルシオ千葉支部の支部長である浪川政尚に通じていた。
時刻はまもなく午前0時になるところだった。
『……今回、大貫チーフと「童子班」の5人の協力により、反人間組織『アゴー』を壊滅し、拠点に監禁されていた石坂桔人と宇佐葵を無事に救出することができました。しかしながら、種本広海、秋野亮平、岸山智樹の背信は、まさに驚天動地の事実でした。これまで、彼ら3人の裏切りに気付かずにいたことは、千葉支部の長である私の大きな失態です。どうか、厳正なる処分をお願いします』
浪川の覚悟の滲む声に、那智は静かに首を振る。
「いや。浪川。俺は、君を辞めさせるつもりはないぞ。今回の3人の対策官の汚職は、マスコミに大きく取り上げられるだろうし、世間から厳しく糾弾されるだろう。だが、だからこそ、千葉支部をしっかりと支える人物が必要だ。それは、君しかいない」
『……し、しかし……。私に、その資格は……』
浪川が困惑して言い淀むと、那智はふと精悍な顔つきを和らげた。
「心配するな。明朝に開く記者会見で、君の半年間の減給処分は発表させてもらう。これくらいでは世間は納得しないかもしれないが、ここは正念場だ。……浪川。千葉支部のことを本当に思うなら、後悔ではなく、奮起してくれ」
『……!』
那智の言葉に、浪川が声を詰まらせる。
大貫が太い眉毛を下げて大きくうなずき、数瞬の沈黙の後、浪川は『……ありがとうございます……』と礼を言った。
那智は穏やかに微笑んで、両手の指を組み合わせた。
「……ただ、一つ懸念すべき点がある。種本は、石坂と宇佐の指導担当だった。俺たちが想像する以上に、二人は強いショックを受けているだろう。今後のメンタルケアは、万全にしてやってくれ」
「その通りですね。それに、代わりとなる指導担当が必要です。こんな形での途中交代は辛いでしょうが、二人には何とか頑張って欲しい」
那智が新人対策官の二人を慮り、大貫が相槌を打つ。
浪川ははっきりとした声で、『ええ』と言った。
『石坂と宇佐は、非常に優秀な新人です。きっと、今回の件から立ち直り、千葉支部の将来を担う立派な対策官に成長してくれると信じています。その為に、早急に新たな指導担当を決め、私も全力で二人のバックアップに尽くす所存です』
千葉県千葉市裏葉区。
夜半の風が吹き抜ける閉鎖済みのリサイクル工場で、複数の対策官の足音が忙しく響いた。
午前0時を少し回った時刻、反人間組織『アゴー』の突入の事後処理が慌ただしく行われる中、千葉支部の2班に所属する石坂と宇佐は、敷地の片隅にある樹木の下に佇んでいた。
リサイクル工場からの逃走を目論んだ指導担当の種本と対峙し、交戦の末にその身柄を拘束した二人は、先輩対策官たちの作業をぼんやりと眺める。
そこに、インクルシオ東京本部の南班に所属する「童子班」の5人が現れた。
「二人共。ようやったな」
黒のツナギ服を纏った特別対策官の童子将也が声をかけ、石坂と宇佐はハッと我に返って背筋を伸ばす。
「……ど、童子特別対策官! こちらをお返しします! ありがとうございました!」
石坂が両手で持ったサバイバルナイフを差し出し、宇佐が「ありがとうございました!」と同様の姿勢で続いた。
仰々しく頭を下げた二人に、童子は柔らかく笑って言う。
「それ、お前らにやるわ」
「……えっ!? ……い、いいんですか!?」
私服姿の二人が驚いて顔を上げると、童子は「ええで。武器を譲渡したことは、俺が後で上に報告しておく」とうなずいた。
「あ、ありがとうございます……!!!」
石坂と宇佐は黒の刃を嬉しそうに胸に抱え、塩田渉が「インクルシオNo.1のサバイバルナイフじゃーん。いーなー」と羨ましそうに声をあげる。
鷹村哲が二人の前に立ち、気遣うような眼差しで言った。
「石坂君。宇佐さん。今回は、大変だったな」
「……ああ。正直、今でも、夢を見ているような気分だよ」
石坂が目を伏せて返し、宇佐が「そうね。まだ現実感がないわ」と同意する。
ショートヘアの黒髪を耳にかけた最上七葉が、細く息をついた。
「千葉支部とやりとりをしている途中で、石坂君の他に葵ちゃんもいないってわかって、血の気が引いたわ。二人の身に何もなくて、本当によかった」
「うん。ここに到着するまで、居ても立ってもいられなかった……」
雨瀬眞白が小さく呟き、石坂が「心配してくれて、ありがとう」と微笑む。
石坂は不意にジーンズの尻ポケットに手を回すと、先ほど戻ってきたスマホを取り出した。
石坂のスマホの待ち受け画面を見て、鷹村が声を漏らす。
「……石坂君。それは……」
「うん。こないだみんなにも送った、2班の先輩方との花火の画像だよ」
そう言って、石坂は手中のスマホを見やった。
大人数の対策官が時期外れの花火を楽しんでいる画像には、笑顔ではしゃぐ種本、秋野、岸山の様子が写っている。
石坂は暫くその姿を見つめた後、指先を動かして画像を削除した。
「……い、石坂君。消しちゃって、いいの?」
塩田が慌てて訊ね、石坂は「いいんだ」ときっぱりと言った。
「種本さん、秋野さん、岸山さんは、正義を捨てた最低の対策官だ。こんな人たちのことは早く忘れて、これまで以上に任務と鍛錬に励まないと。……な! 宇佐!」
石坂が歯を見せて明るく笑い、宇佐が「ええ!」と元気に返す。
二人が視線を前に戻すと、「童子班」の高校生たちが悲痛な面持ちを向けていた。
「……え? みんな、どうしたんだい?」
石坂が笑みを浮かべたまま戸惑い、童子が静かに言う。
「石坂。宇佐。ずっと信頼してきた先輩対策官の裏切りに、お前らの心が傷付かへんはずがない。……訓練生時代に苦楽を共にした“友だち”の前では、辛い気持ちを我慢せんでもええんやで」
「──……!」
童子の優しい声に、気丈に振る舞っていた二人の表情が変わった。
石坂の双眸がみるみるうちに歪み、弧を描いていた唇がぶるぶると震える。
喉から嗚咽がせり上がり、堰を切ったように言葉が溢れた。
「……ほ、本当は……っ! 種本さんの裏切りなんて、信じたくなかった……! 秋野さんも、岸山さんも、いつも気さくで優しくて……! 俺も、いつかあの人たちのように、頼れる対策官になりたいって……!」
「……こ、これが現実じゃなかったら、どんなによかったか……! 朝起きて寮の食堂に行ったら、種本さんが新聞片手にコーヒーを飲んでて、秋野さんと岸山さんが笑ってて……! そんな日常が、もう来ないなんて……!」
心情を吐露した石坂と宇佐が地面に泣き崩れ、「童子班」の高校生4人が二人の側に駆け寄る。
「……石坂君! 宇佐ちゃん! 今は、いっぱいいっぱい、泣くんだ!」
「この経験は、きっと強い対策官に成長する礎となるわ!」
「俺は知ってるぞ。石坂君も宇佐さんも、どんな困難をも乗り越える力があるってことを。だから、今は思いきり嘆けばいい」
「……自分が口下手なのが、すごく歯がゆい。だけど、これだけは伝えたい。二人の辛さは、僕の辛さだ」
塩田、最上、鷹村、雨瀬が涙声でそれぞれに言い、石坂と宇佐が「み、みんな……!」と真っ赤になった鼻を啜った。
童子が事務棟の方角に目をやり、口を開く。
「……二人共」
その小さな声に導かれるように、地面に伏した石坂と宇佐が上を向いた。
すると、夜風に葉を揺らす樹木から数メートル離れた位置で、事後処理を終えた千葉支部の対策官が、ずらりと一列に並んでいた。
二人は目を見開き、「……み、みなさん……!」と掠れた声を出す。
「お前らには、信頼に足る多くの仲間がおる。さっき削除した花火の画像は、また新たに撮ればええ。……さぁ。そろそろ行くで」
童子が樹木の下から足を踏み出し、その後に続いた塩田が言った。
「そーだよ! そんで、次に花火をする時は、絶対に俺らも呼んでくれな!」
鷹村が「そうだな。非番の日だったら、千葉まで遊びに来れる」と反応する。
雨瀬と最上も、「うん」「いいわね」と顔を綻ばせた。
「……ああ。その時は、必ず、みんなに連絡するよ」
「……ええ。一緒に花火をするのが、今からとても楽しみだわ」
石坂と宇佐は、手で涙を拭って、地面からすっくと立ち上がる。
二人は輝きを宿した瞳でまっすぐに前を見やると、笑顔で待つ仲間たちの元へと、夜陰の中を駆け出した。
<STORY:13 END>




