06・伝えたい言葉
東京都空五倍子区。
インクルシオ東京本部の南班に所属する「童子班」の5人が、千葉県千葉市裏葉区のリサイクル工場に踏み込む、およそ一時間前。
ガード下で営むラーメンの屋台から出た塩田渉は、スマホに届いた一件のメッセージに目を通した。
「……え? これって……」
インクルシオのジープを停めたコインパーキングに向かおうとしていた4人が、歩道に佇んだままの塩田に振り返る。
「おーい。塩田ー。行くぞー」
黒のツナギ服を着た鷹村哲が声をかけると、塩田は顔を上げて「……童子さん!」と駆け出した。
「これ、千葉支部の石坂君から来たメッセージなんスけど……! ちょっと、読んでみて下さい!」
塩田が慌てたようにスマホを差し出し、鈍色のアスファルトに立った特別対策官の童子将也が、それを受け取る。
他の高校生3人も、童子の脇からスマホの画面を覗き込んだ。
『突然ですまない。実は、うちの班の対策官二人が反人間組織と繋がっている。これから尾行につくが、種本さんの指示で一つ腑に落ちないことがある。普通、こういった極秘捜査は、支部長にすら内密で行うものだろうか?』
「え……!? 対策官と反人間組織が、繋がっているですって……!?」
「おそらく、『アゴー』のことだ。この間、石坂君の班の突入が空振りに終わってる。その対策官二人が、事前に情報をリークしたんだろう」
インクルシオ千葉支部に所属する石坂桔人からのメッセージに、最上七葉が顔色を変え、鷹村が低く言う。
「この、最後の部分……」
雨瀬眞白が眉根を寄せて呟くと、童子がうなずいた。
「ああ。支部長に内密ていうんは、妙やな。以前、俺らも上司に伏せて水間洸一郎を尾行したことがあるが、あれは特殊なケースや。石坂のこの書き方やと、支部長だけやなく、他の対策官にも知らせてへんのやろう。……これは、もしかすると……」
童子は言葉を区切り、ツナギ服の尻ポケットから自分のスマホを取り出した。
画面を素早くタップして、表示された人物に発信する。
スマホを耳に当てた童子は、固唾を呑む高校生たちに言った。
「石坂の身が危ないかもしれへん。大貫チーフに話して、千葉支部の浪川支部長に石坂のスマホのGPSを追うように連絡してもらう。……その間に、俺らは急いで千葉に向かうで」
千葉県千葉市裏葉区。
閉鎖済みのリサイクル工場の事務棟の窓から飛び込み、突如として通路に降り立った5人の対策官に、その場の全員が動きを止めた。
「──み、みんなっ!!!!」
ロープで手足を縛られた石坂が、床から上体を起こして叫ぶ。
すると、間髪入れずに、薄暗い通路の奥からバタバタと複数の足音が響いた。
「インクルシオ千葉支部だ!!! 反人間組織『アゴー』を壊滅する!!!」
「……や、やべぇ! インクルシオの連中だ! 逃げろ!」
走り込んできた千葉支部の2班の対策官が、一斉にすらりとブレードを抜き、通路に出ていた反人間組織『アゴー』の構成員たちが俄に青ざめる。
「童子班」の高校生4人は、すぐさま二手に分かれて、石坂と物置部屋にいる宇佐葵のロープをサバイバルナイフで切った。
「石坂君! 宇佐ちゃん! 大丈夫か!?」
塩田が二人に顔を向けて訊き、石坂は驚愕の表情を浮かべたまま答える。
「……へ、平気だ。でも、どうして、みんながここに……!?」
リノリウムの床に片膝をついた鷹村が、早口で説明した。
「石坂君から来たメッセージを見て、童子さんが危険を感じたんだ。それで、すぐに大貫チーフに伝えて浪川支部長に連絡を入れてもらった。俺らが石坂君のスマホに直接電話をするのは、そっちの状況がわからなかったから避けた。その後で、石坂君のスマホのGPSで居場所を特定して、俺ら「童子班」と千葉支部の2班の対策官で突入チームを組み、このリサイクル工場に駆け付けたんだ」
「……そ、そうだったのか……」
石坂が呆けたように言い、塩田が「千葉支部のみなさんが突入の準備をしている間に、俺らは車をブッ飛ばしてきたんだ!」と片目を瞑る。
「そうか……。ありがとう……」
石坂がよろよろと立ち上がると、宇佐が「石坂君!」と声をあげて、雨瀬と最上と共に走ってきた。
拘束を解かれた二人の新人対策官の前に立った童子が、両腿に装備した2本のサバイバルナイフをホルダーから抜く。
童子は黒の刃をそれぞれに差し出して言った。
「種本さんは、そこの給湯室の窓から外に出た。リサイクル工場の周囲は、2班だけやなくて他の班の対策官も張っとるから、簡単には逃走できへん。……お前らの手で、種本さんに引導を渡してこい」
「──!!!」
童子の言葉に、石坂と宇佐は目を瞠った。
そして、唇を固く結ぶと、インクルシオの刻印の入った刃をしっかりと受け取った。
リサイクル工場の隅に立つ樹木の陰で、千葉支部の2班に所属する種本広海は、辺りを注意深く見回した。
種本は右手にサバイバルナイフを握り締め、敷地を囲むコンクリートの塀を見上げる。
その時、しんと静まり返った暗がりの中で、かさりと草を踏む音がした。
「……種本さん。諦めて下さい。外に逃げても無駄です」
「……はは。お前たちが来たのか。「種本班」の、感動の再会だな」
そこから現れた石坂と宇佐の姿に、種本がおどけたように嗤う。
サバイバルナイフを手に下げた二人を見やって、種本は訊いた。
「……何故、今回の極秘捜査の件を「童子班」の連中に話した? 俺は寮の部屋で、「周囲に情報を漏らすのは危険だ」と言ったはずだ。指導担当の教えを、守れなかったのか?」
「……あの時、種本さんは、浪川支部長への報告を進言した俺を止めました。その理由として、「浪川支部長が“シロ”であるという確固たる証拠を示せるか?」と言いました。俺は、その言葉に引っかかりを感じたんです。……何故なら、種本さんにだって、“シロ”であるという確固たる証拠はないのだから」
「……っ!」
石坂の指摘に、種本が大きく肩を揺らす。
石坂は眼前に立つ種本を睨んで、言葉を続けた。
「そういう理屈では、最早、周りの誰も信用することはできません。そんな中で、俺が理屈抜きで心から信じられると思った人物は、インクルシオ訓練施設で切磋琢磨した「童子班」のみんなだったんです」
「…………ふぅん。そうかい」
種本は浅く息をついて返すと、徐にサバイバルナイフを持ち上げた。
石坂と宇佐が、咄嗟に姿勢を低くする。
種本は能面のような表情で言った。
「石坂。お前の美しい話は、もういいよ。とりあえず、俺はこの場から逃げなければならない。塀の外側には対策官たちがいるだろうから、それを突破する為に、お前たちを人質に取る。……少し怪我をさせてしまうかもしれないが、恨まないでくれよ」
そう言って、種本は足を一歩前に出した。
童子のサバイバルナイフを持った石坂と宇佐が、臨戦態勢を崩さずに言う。
「種本さん。最後に、どうしても貴方に伝えたいことがあります」
「少しだけ、私たちの言葉を聞いて下さい」
「……何だ?」
種本が足を止め、二人は息を吸い込んで大声で叫んだ。
「──今まで、俺たちの指導担当としてご指導いただき、ありがとうございました!!!」
「種本さんは私たちを欺いていたけれど、日々の任務の中で見せてくれた笑顔や優しさは、嘘だったとは思いません!!! 本当にありがとうございました!!!」
「──……!」
石坂と宇佐の言葉に、種本が目を見開く。
やがて、静寂に包まれた暗闇の中で、黒の刃が交差する金属音が鋭く鳴った。
その後、反人間組織『アゴー』は、リーダーの須磨泉一を含む40人の構成員全員が死亡し、『アゴー』と通じていた千葉支部の2班に所属する秋野亮平、岸山智樹、種本の3人は、それぞれに身柄を拘束され、事態は収束を迎えた。