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グラウカ  作者: 日下アラタ
STORY:13
93/231

05・初心

 東京都月白げっぱく区。

 時計の針が午後9時半を回った時刻──インクルシオ千葉支部に所属する新人対策官の石坂桔人と宇佐葵が、二人の指導担当である種本広海の背信に驚愕する約30分前──インクルシオ東京本部の南班チーフの大貫武士は、執務机に置いた電話機で話していた。

「浪川支部長から私に電話なんて、珍しいですね。何かあったんですか?」

『大貫チーフ。遅くにすまない。……ちょっと、悩んでいることがあってな』

 そう切り出したのは、千葉支部の支部長の浪川政尚だった。

 大貫は浪川が口にした意外な言葉に、「私でよければ、何でも言って下さい」と温和な声で促す。

 浪川は「ありがとう」と礼を言うと、ゆっくりと話し出した。

『……実は、うちの新人対策官の石坂と宇佐のことでな。大貫チーフは知っていると思うが、あの二人は埼玉のインクルシオ訓練施設で優秀な成績を収めた。しかし、だからこそ、反人間組織の拠点の突入や摘発チームへの抜擢ばってきを、どうしても躊躇ちゅうちょしてしまう』

 浪川の小さな告白に、大貫は受話器を持って大きくうなずいた。

「浪川支部長。そのお気持ち、とてもよくわかります。実戦を伴う危険な任務に、新人対策官を参加させるタイミングは、非常に難しい」

『ああ。そうなんだ。だが、大貫チーフのところの新人4人は、これまでに何度もそういった任務にのぞんでいる。いくらあの童子が指導担当でも、まだヒヨっ子とも言える新人たちだ。……もしかしたら、取り返しのつかないことになるのではないかと、迷わなかったか?』

「………………」

 浪川の問いに、大貫は太い眉毛を人差し指で掻いた。

 ブラインドを上げた窓に体を向けて、柔和な眼差しで答える。

「……正直に言えば、いつだって迷いがありますし、結果を聞くのが怖いです。ただ、その苦しい葛藤かっとうは、上に立つ者が背負うべき役目だとも思っています。「新人だから」「高校生だから」という配慮は、決して彼らの成長の為にはなりません。……それに」

 大貫は一旦言葉を区切り、はっきりとした口調で言った。

「彼ら新人対策官は、私たちが考えているよりも、ずっと強い覚悟と信念を持っています。現に、8月にあった南房総の新人懇親会では、反人間組織『アラネア』による襲撃を、新人たちは懸命に退しりぞけました。私たちはそんな彼らを信じ、任務のバックアップに尽くすのみです」

『……その通りだな……』

 電話の向こうで、浪川がしみじみと息を吐く。

 すると、静かな空気を打ち破るように、執務机の上のスマホが鳴った。

 大貫は発信者の名前を見やって、浪川に言った。

「すみません。浪川支部長。童子から電話が入りました。危急の用件かもしれないので、これで失礼します」


 千葉県千葉市裏葉うらは区。

 閉鎖済みのリサイクル工場の敷地内に建つ事務棟の一室で、反人間組織『アゴー』のリーダーの須磨泉一は、革張りのソファに腰掛けて煙草を吹かした。

 『アゴー』の構成員は須磨を含めて40人で、全員が3階建ての事務棟や工場の中に潜伏している。

 グレーのスーツを纏った須磨は、オールバックの髪を片手で撫で付けて言った。

「こいつが、墓地で俺らの密会を見ちまったっていう新人対策官か」

 須磨は煙草の白煙をくゆらせて、合成繊維のロープで後ろ手に縛られた石坂を見やる。

 石坂の隣には、同様に両手を拘束された宇佐がおり、二人の背後には千葉支部の2班に所属する秋野亮平、岸山智樹、種本の3人が立っていた。

 薄手のパーカーにジーンズ姿の秋野が言う。

「石坂と宇佐の指導担当が種本さんで、本当によかったよ。上手いこと二人を言いくるめて、周囲に情報を漏らさせなかった。おかげで、俺らの汚職の事実は、このまま闇に葬り去れる」

 石坂は勢いよく振り返り、秋野をめ付けた。

「よくも……! よくも、そんなことが言えますね……! 俺は、同じ2班の先輩対策官である貴方たちを、心から尊敬して信頼していたのに……!」

「そうかぁー。それは悪かったなぁー。だけど、尊敬や信頼なんて、1円の金にもならないものはいらないなぁ」

「……何だと……!!!」

 岸山が呑気のんきに言い、石坂が気色ばんで身をよじる。

 須磨が「さわぐんじゃねぇよ」と制して、煙草を灰皿に押し付けた。

 目の前に立つ二人の新人対策官に、須磨は低い声音で告げる。

「何にせよ、お前たち二人は生かして返すわけにはいかねぇ。今から、遺体を処理する準備を始める。せいぜい仲間をうらみながら、自分たちの死を待つがいい」


 ほどなくして、石坂と宇佐は、事務棟の1階にある物置部屋に監禁された。

 二人が衣服の内側に隠し持っていたサバイバルナイフは、スマホと共に没収され、両手と両足にはそれぞれロープが何重にも巻かれた。

「……クソっ……!!!」

 窓のない真っ暗な空間で、石坂が唇を噛む。

 その時、ドアノブがきしんだ音を立てて回り、物置部屋の扉が開いた。

「お前たち。気分はどうだ?」

 そう言って、室内の電気を点けたのは、薄く微笑んだ種本だった。

 4畳ほどの広さの物置部屋は、周囲に雑然と物が積まれており、自由に動けるスペースは1畳にも満たない。

 古びたダンボール箱に背をもたせていた石坂は、手と足にロープを食い込ませたまま、無理矢理に立ち上がった。

「種本さん……! どうして、こんな汚い裏切りを……!」

「種本さん! ずっと、私たちをだましていたんですか!?」

 石坂と宇佐の悲痛な表情に、種本は笑みを深くして言った。

「……いやぁ。やっぱり、新人は純粋でいいよな。俺も、対策官になった当初はそうだった。インクルシオに忠誠を誓い、人々の暮らしと平和を守る為に、この身を捧げるつもりでいた。……だけど、そんな美しい“初心”は、多くの仲間の殉職や常に死と隣り合わせの戦いの中で、次第にすり減っていった。結局、人生は健康と金が一番だ。そういう考えに辿り着いた時に、たまたま『アゴー』の須磨に声をかけられたんだよ」

「……そんなの、ただの言い訳じゃないですか!!!」

 石坂が大声をあげ、種本が「新人のお前には、わからないよ」と低く言う。

 石坂は頭を激しく振って、「違う!!!」と否定した。

「種本さんは、自分の“弱さ”から逃げただけだ!!! 仲間の殉職とか死と隣り合わせとか、それらしい理由を付けて、楽な『道』を選んだ!!! 貴方が“初心”を失ってしまったのは、ひとえに強くなる努力をなまけたからじゃないか!!!」

 石坂が声を枯らして言い切った途端、胴体がぐらりと揺れた。

 種本は石坂のコットンシャツの胸倉を掴み、すさまじい力で狭い物置部屋から引きり出す。

「……ぐっ!!!」

 石坂が薄暗い通路に転がり、種本は冷たい目で見下ろした。

 物置部屋に残された宇佐が、「石坂君!!!」と身動みじろぐ。

「……さすが、訓練生時代に『総合評価1位』を獲得した男だ。ご立派な意見だよ。だが、もしお前が対策官を続けていたら、きっと俺の気持ちが理解できただろう」

「理解なんてしない!!! 俺は、貴方のようには腐らない!!!」

「……そうか」

 石坂がにらみ返し、種本は息をつくと、スラックスの腰に挟んだサバイバルナイフを取り出した。

 通路でのさわぎを聞きつけて、建物内にいた『アゴー』の構成員たちが、事務室や会議室から顔を出す。

「なんだ!? 今、ここで殺すのか!?」

「おもしれー! 見てよっと!」

 構成員たちは続々と通路に出て、種本と石坂の周りに集まった。

 石坂の首筋に、インクルシオの刻印の入った黒の刃がぴたりと当たる。

 種本は静かな声で言った。

「……お前たちの指導担当として、俺が責任を持ってあの世に送ってやるよ」

「た、種本さん!!!! お願い、やめてーーー!!!!」

 種本がグリップを握る手に力を入れ、宇佐が髪を振り乱して叫び、石坂がきつく目を閉じた──その瞬間。

 通路に面した窓ガラスが、耳をつんざく音を立ててくだけ散った。

 そこから、一斉に複数の影が飛び込んでくる。

「──!!!!!」

 驚いて目を開けた石坂の視界に映ったのは、インクルシオ東京本部の南班に所属する「童子班」の5人だった。




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