07・『道』
午後4時。東京都月白区。
インクルシオ東京本部の南班に所属する特別対策官の童子将也は、3階のオフィスで、手にしたスマホをスピーカー状態にした。
童子の周囲には、学校の制服を着た「童子班」の高校生4人がいる。
スマホの通話が繋がっている人物──インクルシオ立川支部に所属する兼田理志が、重々しい口調で言った。
『大貫チーフから曽我部支部長に電話があった後、支部長は『緑のアーチ市民公園』に巡回に行った2人の対策官に連絡を入れた。しかし、そのどちらも応答はなかった。そこで、俺と別の対策官が急いで公園に向かったんだが……。公園の広場に到着すると、一般市民31人と対策官2人の死体があった。そして、広場の地面には、血文字で『イマゴ』と書かれていたんだ』
兼田の話を聞いた高校生たちが、唇を引き結んで表情を硬くする。
黒のツナギ服を纏い、両腿に2本のサバイバルナイフを装備した童子が言った。
「兼田さん。わかりました。大変なところ、状況を説明してもろてすみません」
兼田は『いや。いいんだ』と小さく言い、細く息を吐いた。
『……俺は今まで、思想犯の韮江光彦と『イマゴ』の関わりは信じていなかった。だが、今回のことで奴の供述がただの法螺話ではないとわかった。そうと決め付けるのは早いかもしれないが、韮江の教え子が『イマゴ』の構成員である可能性は、かなり高まったと言える』
兼田の言葉に、童子が「ええ。俺もそう思います」と同意する。
兼田は『じゃあ、仕事に戻る。切るぞ』と言って、短い通話を終了した。
「……一番恐れていた事態が、起こってしまったな……」
「31人の一般人に、2人の対策官……。多くの命が失われたわ……」
鷹村哲と最上七葉が、呟くように低く言う。
雨瀬眞白は黙ったままうつむき、塩田渉が憤って声をあげた。
「童子さん! どうにかして、韮江に情報を吐かせることはできませんか!? 一人だけでもいいから、『イマゴ』の構成員の名前さえわかれば……!」
童子はスマホをツナギ服の尻ポケットにしまい、目の前に立つ高校生たちに向いた。
「韮江には、司法取引も拷問も効かへん。こないだ『クストス』で会うた時に感じた奴の覚悟は、おそらく本物やろう。せやから、俺らはこれまで通り、地道に『イマゴ』を捜査するしかあらへん」
「……クソっ……!!!」
塩田が悔しそうに歯噛みをし、鷹村、雨瀬、最上が握った拳に力を入れる。
童子はまっすぐに高校生たちを見やって言った。
「俺らは、俺らの任務を一つずつ遂行していく。すぐに結果が出ぇへんことに歯がゆさを感じるかもしれへんが、その積み重ねは必ず『イマゴ』の壊滅に繋がる。……そう信じて、今日も担当地区の巡回に行くで。気持ちを切り替えて、ロッカールームでツナギ服に着替えておいでや」
童子の優しく静かな声が、4人の胸にじわりと沁み込む。
高校生たちは顔を上げると、「はい!」としっかりと返事をした。
同刻。
インクルシオ東京本部の西班に所属する特別対策官の真伏隼人は、本部のエントランスを潜ってエレベーターホールを通りかかった時、ぴくりと肩を揺らした。
長い通路の向こうから、西班チーフの路木怜司が、テイクアウト用のアイスコーヒーを持って歩いてくる。
路木はエレベーターホールで立ち止まると、上階行きのボタンを押した。
「路木チーフ。お疲れ様です。先ほど小耳に挟みましたが、立川市の公園で『イマゴ』による殺人事件が起きたそうですね」
腰にブレード1本を装備した真伏が、路木に歩み寄って話しかける。
路木は真伏に目を向けず、「ああ。そのようだな」と抑揚のない声で返した。
真伏は少し気後れしたが、すぐに背筋を伸ばし、その無表情な横顔を見つめて告げた。
「……貴方にお約束します。インクルシオのキルリストの最上位に載る反人間組織『イマゴ』は、必ず俺がこの手で壊滅します」
「………………」
真摯な決意が込められた宣言に、路木が視線を向ける。
真伏はすでに踵を返しており、後ろを振り返ることなく、通路の奥に歩き去っていった。
午後9時半。
白のTシャツに色落ちしたジーンズを履いた雨瀬は、インクルシオ東京本部の1階を小走りで進んだ。
通路の角を曲がろうとすると、そこから見知った顔が現れた。
「あれ? 雨瀬君? そんなに急いで、どうしたの?」
「あ。穂刈さん。こんばんは。ついうっかりして、2階のロッカーにスマホを置き忘れてしまって……」
足を止めた雨瀬が言い、穂刈は「そうなんだ」とにこやかに笑う。
水色のポロシャツにチノパン姿の穂刈は、デイパックを肩に掛け直して言った。
「僕は、ちょうどカフェスペースの仕事が終わったところなんだ。……そうだ。せっかくだし、雨瀬君がスマホを取ってきたら、外で話をしないかい?」
インクルシオ東京本部から徒歩20秒の場所にあるコンビニエンスストアで、雨瀬と穂刈はそれぞれ飲み物を購入した。
歩道のベンチに腰掛けた穂刈が、缶コーヒーのプルトップを開ける。
「こうして、雨瀬君と二人だけで話すのは初めてだね。僕らはグラウカ同士だし、機会があればゆっくり話してみたいなって思ってたんだ」
雨瀬はメロンソーダのペットボトルの蓋を捻った。
「誘ってもらえて嬉しいです。僕は口下手なので、穂刈さんにつまらない思いをさせてしまうかもしれませんが……」
穂刈が「そんなことないよー」と微笑む。
雨瀬は白髪を揺らして、「……あの」と改まった声を出した。
「実は、僕も穂刈さんと話をしたいと思っていたんです。捜査上の情報なので詳しくは言えませんが、ここ数日、『クストス』に収監されている韮江光彦という人物について調べていたんです。その調査の中で、韮江の勤務先だった立川市のグラウカ支援施設「ひまわり苑」の入所者リストを見たんですが、穂刈さんはそこの出身だったんですね」
雨瀬の言葉に、穂刈は「ああ。その話かぁ」と言って夜の街に目をやった。
「うん。韮江先生のことは知ってるよ。確か10年くらい前に、思想犯としてインクルシオに拘束されたんだよね。ついでに言うと、グラウカの重犯罪者として有名な乾エイジも、同じ「ひまわり苑」の出身なんだ。だけど、たまたまこの二人と同時期に施設にいたってだけで、僕まで犯罪者みたいに見られるのは悲しいな……」
「あ。い、いえ。違います。そういうつもりじゃ……。ただ、当時の韮江が行っていた“相談会”に参加した人を知っていれば、教えて欲しいと……。気を悪くしたら、ごめんなさい……」
雨瀬が手を振って謝り、穂刈は「うそうそ。冗談だよ」と笑顔を見せた。
「その話はね。もうすでに何人もの対策官に訊かれたよ。僕が韮江先生と同じ施設だったのは、調べればすぐにわかることだからね。でも、残念ながら、韮江先生の“相談会”についてはよく知らなくて……。力になれなくて、ごめんね」
「そ、そうだったんですか……。僕こそ、急にこんな話題を出してしまって、本当にすみません……」
雨瀬は身を縮こませて、メロンソーダに口をつけた。
穂刈が缶コーヒーを一口飲んで言った。
「じゃあ、次は僕からの話題。……雨瀬君はさ、グラウカとしての誇りを持っているかい?」
穂刈の質問に、雨瀬が視線を上げる。
穂刈は丸メガネの奥の双眸を光らせて、言葉を続けた。
「もちろん、韮江先生のような『グラウカは至高の存在!』とか『人間は下等生物!』みたいな偏った思想はダメだけどさ。グラウカが人間よりも力や再生能力に優れているのは事実だ。僕は平凡なフリーターだけど、そういう部分には、ちゃんと誇りを持って生きていきたいって思っているんだ」
穂刈がウェーブのかかった黒髪を夜風に靡かせて言い、雨瀬は暫く黙る。
やがて、雨瀬は眼前に建つインクルシオ東京本部を見ながら口を開いた。
「……僕は、幼い頃からずっとグラウカの自分が嫌いでした。だけど、そんな僕に誇りと自信を持たせてくれたのは、哲を始めとした、大貫チーフ、童子さん、塩田君、最上さん……これまでに出会った、多くの“人間“たちでした。だから、僕はグラウカも人間も、双方が誇りを持つべき大切な存在だと思っています」
そう言って、雨瀬は小さな笑みを浮かべた。
穂刈はベンチから腰を上げると、空になったスチール缶をゴミ箱に捨てた。
「雨瀬君。その通りだね。今夜は、とてもいい話ができてよかったよ。それじゃあ、そろそろ帰ろうか」
穂刈がベンチの脇に置いたミニサイクルに目をやり、雨瀬が「はい」と返事をして立ち上がる。
「穂刈さん。おやすみなさい」
「おやすみ。雨瀬君」
頭上の月明かりが、二人の足元に濃い影を伸ばす。
雨瀬と穂刈は、互いに背中を向け、それぞれの『道』を歩き出した。
<STORY:12 END>