06・事件の意味
午後8時半。東京都月白区。
インクルシオ東京本部の南班に所属する「童子班」の面々は、3階のオフィスでそれぞれデスクに向かっていた。
反人間組織『イマゴ』による殺人事件は日毎に増えており、9月に入ってからの被害者の総数はすでに200人を超えていた。
事態を重く見たインクルシオは全国の拠点の『イマゴ』の捜査を強化し、「童子班」の5人は、グラウカ収監施設『クストス』で面会した韮江光彦の資料を徹底的に洗い直すことにした。
塩田渉がノートパソコンを操作しながら、隣のデスクの最上七葉に訊く。
「ねぇねぇ。最上ちゃん。韮江が『グラウカ至上主義』の思想を広めたのって、全国のグラウカ支援施設で行なっていた“相談会”の時だよね?」
「ええ。おそらくそうよ。この“相談会”は、支援施設の児童だけでなく、近隣に住むグラウカも参加していたらしいわ。差別やいじめに悩むグラウカは少なくないから、韮江はそこにつけ込んだんでしょうね」
最上はそう答えると、ペットボトルのアイスティーを一口飲んだ。
鷹村哲がノートパソコンの画面を見ながら息をつく。
「うーん。こうして韮江の経歴を見てても、捜査に活かせる情報はほぼ皆無だな。一番怪しい“相談会”は、当時の参加者リストすらないし……」
鷹村の隣に座る雨瀬眞白が、「うん」と難しい顔で同意を示した。
黒のツナギ服を着た特別対策官の童子将也が、缶コーヒーのプルトップを開けて言う。
「韮江と『イマゴ』に関わりがあるという前提で見た場合、やはり“相談会”に目が行きがちなんやけど、そこに気を取られ過ぎたらあかんで。他に『イマゴ』と繋がるヒントがあるかもしれへんし、視野を広く持って……」
「あーーーっ!!!」
童子が話している途中で、塩田が大声をあげた。
オフィスで仕事をしていた対策官全員が驚いて肩を揺らす。
「……す、すみません……」
塩田は頭を掻いて周囲に謝り、童子が缶コーヒーをデスクに置いて「塩田。どないした?」と訊ねた。
「あ。えっと……。もしかしたら、全くの見当違いかもですけど……。資料にある韮江のプロフィールを見ると、明日が40歳の誕生日なんです」
「……!」
塩田の指摘に、「童子班」の全員が反応する。
「韮江の誕生日は9月15日……。確かに、明日だな……」
「でも、韮江の誕生日と『イマゴ』の殺人事件に、何の関係があるの?」
鷹村がノートパソコンに顔を近付けて呟き、最上が質問した。
塩田はデスクに座る4人を見やって、「これは仮説だけど……」と声を潜めた。
「韮江が育てた“教え子”が『イマゴ』のメンバーなら、“師”の誕生日は祝いたいだろ? それに、今年は40歳という節目でもある。だから、ここ最近の多くの殺人事件は『イマゴ』から韮江への誕生日プレゼントで、メインイベントとなる大きな事件は明日にあるんじゃないか?」
「……なるほど。ちょっと納得できるな。だけど、塩田の仮説が合ってるとして、そのメインイベントを起こす場所はどこなんだ?」
鷹村が訊き、塩田が「そこまでは、わかんねぇよー」と返す。
それまで黙って聞いていた童子は、ツナギ服の尻ポケットに手を入れて言った。
「証拠や裏付けはあらへんが、塩田の“読み”は悪ないと思うわ。『イマゴ』の殺人事件が急に増えたんは、必ず何かしらの意味があるはずやからな。念の為に大貫チーフに話して、全拠点に明日の巡回体制の強化を要請してもらおう」
そう言うと、童子はスマホを取り出して画面をタップした。
その後、南班チーフの大貫武士は、インクルシオの各拠点の支部長宛てに緊急連絡メールを送信し、南班の内部でも巡回の人員補強等の調整をした。
しかし、翌日の9月15日は、『イマゴ』による殺人事件は一件も起きなかった。
午後3時。東京都木賊区。
韮江の誕生日から2日が経ち、木賊第一高校を下校した「童子班」の高校生たちは、人で賑わう商店街を歩いていた。
「結局、こないだは何もなかったなー。いや、事件がないのはいいんだけどさ」
「気持ちはわかるよ。とりあえず、また一から資料を見直して……」
学生鞄を持った塩田と鷹村が話していると、ふと雨瀬が立ち止まった。
最上がチェック柄のプリーツスカートを翻して振り返る。
「雨瀬? どうしたの?」
「…………」
雨瀬は商店街の中ほどに建つ、一軒のラーメン店を見つめていた。
鷹村、塩田、最上が目をやると、シャッターの閉まった店には貼り紙があり、『都合により、9月17日は休業させていただきます』と書かれていた。
最上が「この貼り紙が、どうかしたの?」と訊く。
雨瀬は貼り紙から視線を逸らさずに言った。
「……9月17日……。確か資料には、ちょうど10年前の今日に、韮江がインクルシオに拘束されたとあった。9月に起きた『イマゴ』の殺人事件に何か隠された意味があるとしたら、これかもしれない……!」
雨瀬の言葉に、高校生3人が顔色を変える。
「じゃあ、一連の殺人事件は、韮江を拘束したインクルシオへの報復ってこと!? もし何か大きな事件を起こすとしたら、今日かよ!?」
塩田が慌てて言い、最上が「一体、どこで!?」と鋭い声音で訊いた。
鷹村がハッと目を見開いて大声を出す。
「……資料に載ってた、10年前に韮江が拘束された場所!!」
商店街に立つ高校生の新人対策官たちは、声を揃えて叫んだ。
「──立川市の、『緑のアーチ市民公園』!!!」
東京都立川市。
インクルシオ立川支部の支部長である曽我部保は、電話の受話器に向かって顔を顰めた。
「ああ〜? そんなの、考えすぎじゃないのかぁ?」
『たとえ空振りでも、何かが起こる可能性があるなら動くべきだ。すぐに該当の公園に対策官をやってくれ』
電話の相手の大貫が言い、曽我部は鼻で息を吐く。
大貫は高校生たちの話を童子経由で聞き、即座に曽我部に連絡を入れていた。
「フン。『緑のアーチ市民公園』は、うちの定番の巡回ルートだ。お前に言われなくても、毎日対策官が公園を見回っている。つーか、大貫よ。お前は3日前にも、韮江光彦の誕生日を警戒しろと緊急連絡を送ってきたよな? そんな不確実な情報にいちいち付き合っていられる程、こっちも暇じゃ……」
『いいから! とにかく公園は注意しておいてくれ! 頼んだぞ、曽我部!』
そう言って、大貫は電話を切った。
曽我部は通話の切れた受話器を睨んで、低く毒づいた。
「……ったく。何も起こりゃしねーっての」
インクルシオ立川支部に所属する2人の対策官は、立川市にある『緑のアーチ市民公園』の中の歩道を歩いていた。
時刻は午後3時を10分ほど回ったところだった。
普段の巡回で見馴れた公園を、一人の対策官がキョロキョロと見回す。
「……なぁ。まだ昼間なのに、公園内がやけに静かじゃないか?」
「確かに、人を全然見かけないな。この先に広場があるから、行ってみよう」
腰にブレードとサバイバルナイフを装備した対策官たちは、急ぎ足で公園の広場に向かった。
背の高い樹木が並ぶ歩道を抜けると、一気に視界が開ける。
──その時。
夥しい血に塗れて地面に伏す、大勢の一般市民の姿が目に入った。
「こ、これは……!!!」
「すぐに支部に連絡だ!!! それと、救急車を……!!!」
「もう遅い。全員、死んでるよ」
対策官2人が驚愕に目を瞠ると、長身の人物が背後に立った。
上着の長い裾を風に靡かせた人物──乾エイジは、対策官たちが振り向く間を与えず、ナイフで次々と頸動脈を抉った。
「……がっ……あっ……!!!!」
首から血を吹き出した2人の対策官が、砂地の地面にばたりと倒れ込む。
ナイフの血を払って「手応えねぇなー」と笑った乾の隣に、反人間組織『イマゴ』のリーダーの穂刈潤が現れた。
短髪を燻んだシルバーブルーに染めた乾が静かに言う。
「ここに来るのは、10年ぶりだな。懐かしいな」
「ああ。僕らは、韮江先生の教えを継いで立派に成長した。これからも、『イマゴ』は歩みを止めず、人間を抹殺しきるまで邁進していく。それが、韮江先生への唯一の恩返しだ」
穂刈の言葉に、乾が「そうだな」とうなずく。
穂刈は公園の景色を見渡して、ゆっくりと片膝をついた。
そして、人間たちの流した血を指で掬い、『イマゴ』と地面に刻んだ。