04・水面下
午後5時。東京都月白区。
インクルシオ東京本部の南班に所属する「童子班」の面々は、この日の巡回を終え、男女に分かれて2階のロッカールームに入った。
男性用のロッカールームに入室した4人に、中央班に所属する特別対策官の影下一平が気付いて声をかける。
「みんな、お疲れぇ〜」
「あ! 影下さん! お疲れ様です!」
黒のツナギ服を着た鷹村哲、塩田渉、雨瀬眞白が、声を揃えて挨拶を返した。
両腿に2本のサバイバルナイフを装備した特別対策官の童子将也が、「お疲れ様です。今日はバイトやないんですか?」と影下に訊ねる。
「うん。バイトは休みぃ。だから、久しぶりにツナギ服を着て仕事をしたよぉ」
「ははは。確かに、影下さんのツナギ服姿はあまり見ないですね」
影下の言葉に、鷹村が笑う。
影下は外した装備をロッカーにしまうと、「ところでぇ」と話題を変えた。
「今日、みんなで『クストス』に行ったんだよねぇ? どうだったぁ?」
「そうそう! それっスよ、影下さん! あの韮江光彦っていう思想犯、やっぱり一癖も二癖もある感じで……」
塩田が声をあげて反応した時、ロッカールームのドアがガチャリと開いた。
クリーム色のドアを開けた人物が、室内に足を踏み入れるなり口を開く。
「今、韮江光彦と言ったか?」
「……真伏さん!」
そこには、腰に1本のブレードを下げた人物──西班に所属する特別対策官の真伏隼人が立っていた。
高校生の新人対策官たちが反射的に背筋を伸ばす。
影下が「真伏さぁん。お疲れ様ですぅ」と顔を向け、童子が着替えの手を止めて「お疲れ様です」と挨拶をした。
真伏はロッカールームにいる「童子班」の4人を、鋭い眼光で一瞥した。
「……お前たち。『クストス』で韮江光彦と会ったのか?」
「はい。『イマゴ』による殺人事件が急増しとることもあって、今日、話を聞きに行ってきました」
真伏の質問に、童子が答える。
真伏は自身のロッカーの前に立って訊いた。
「それで、奴から有益な情報は得られたのか?」
「いいえ。今までの聴取記録と同じく、特に『イマゴ』との関わりを裏付けるような話は聞けへんかったです」
「……フン。当たり前だ。韮江はただの思想犯だ。あの男の与太話に耳を傾けるなど、時間の無駄でしかない。そんな暇があったら、他の捜査に力を入れろ」
真伏が眉根を寄せて言い、影下が「真伏さん、厳しいぃ」とおどける。
真伏は影下をじろりと睨んで言った。
「影下。お前は、アルバイト先で少しでも『イマゴ』の情報を掴んだのか?」
「あぁ〜。残念ながら、今のところは何もないですねぇ」
影下が頰を指で掻き、真伏は顔を顰める。
「まったく、どいつもこいつも……。そんな体たらくでは、『イマゴ』の壊滅など程遠い。お前たち、インクルシオ対策官ならもっと組織の役に立て」
真伏の低い声音に、対策官たちは「はい!」と返事をすると、そそくさとロッカーに向いて着替えを済ませた。
そのまま足早にロッカールームを出て、廊下で待っていた最上七葉と合流する。
「最上ちゃん、聞いてよ〜。真伏さんが怖かったよ〜」
塩田が最上に走り寄り、鷹村と雨瀬が浅く息をついた。
童子がロッカールームのドアを見やって言う。
「……真伏さん。いつもより口数が多かったですね」
「そうだねぇ。『イマゴ』はキルリストの最上位組織だから、やっぱり、どんな情報でも気になるんだろうねぇ」
影下が目の下の隈を擦って言い、童子は「そうですね」と納得した。
ほどなくして、対策官たちは、オレンジ色の夕陽が差し込む廊下を歩き出した。
午後11時。東京都木賊区。
繁華街の路地裏に佇む『BARロサエ』のビップルームで、店のママであるリリーは、4つのロンググラスにビールを注いだ。
店の2階にある瀟洒な部屋のソファには、反人間組織『イマゴ』のリーダーの穂刈潤と、短髪を燻んだシルバーブルーに染めた乾エイジが座っている。
裾の長い上着を羽織った乾は、『イマゴ』のメンバーの一人であり、また、インクルシオのキルリストの個人最上位に載る人物でもあった。
そして、革張りのソファには、もう一人の人物──薄手のジャケットに細身のスラックス姿の真伏が座っていた。
リリーがなみなみと注いだビールをそれぞれのコースターに置く。
「さぁ。飲んで飲んで。今日は、久しぶりに真伏君が来てくれたから嬉しいわ」
「リリーは男前の真伏君がお気に入りだからな。……じゃあ、乾杯」
乾がグラスを掲げると、穂刈、真伏、リリーがその仕草に倣った。
穂刈はきめ細かな泡の浮かぶビールを半分ほど飲み、グラスを置く。
丸メガネの奥の双眸が、真伏に向いた。
「……それで、話って何だい? 真伏君」
真伏はグラスを手にしたまま、目の前の3人を見やった。
「今日、童子と新人対策官4人が、『クストス』で韮江光彦と面会した。お前たちとの関わりについてはバレてはいないが、一応報告しておく。それと、影下の方は、まだ『イマゴ』の情報は何も掴んでいない。このまま放っておいて問題ないだろう。あとは、最近の『イマゴ』の殺人事件の急増を受けて、全国の拠点で巡回体制が強化されている。お前たちも、都内で動く時は気を付けろ」
そう言うと、真伏はビールを一気に呷った。
「そうか。僕はインクルシオの内部で働いているけど、そういった情報は入手できないから助かるよ。ありがとう。真伏君」
穂刈が礼を言い、リリーが「お代わりをどうぞ〜」と二杯目のビールを注ぐ。
乾が黒革のパンツを履いた足を組んで言った。
「まぁ、韮江先生は口も意志も堅い。誰が行ったとしても、大丈夫だろう」
「ふふ。先生のことだもの。きっと、面会に来た対策官たちを翻弄して遊んでるでしょうね」
リリーがくすくすと笑い、小皿に盛ったカシューナッツを口に放り込む。
真伏は手元のグラスに目を落として言った。
「……話は、もう一つある。そろそろ、俺と“あの人”を会わせてくれないか?」
真伏の提案に、穂刈が視線を上げる。
真伏は言葉を続けた。
「俺は、インクルシオ対策官で人間だが、お前たちのグラウカ至上主義の思想に共鳴し、こうして組織を裏切って協力している。1ヶ月前にあった伽羅区の突入の一件では、童子の参加を阻止し、西班の対策官6人を見殺しにした。もう、お前たちが“あの人”と呼ぶ『イマゴ』の“大ボス”に、会う資格があるんじゃないのか?」
「………………」
仄暗いライトが照らすビップルームに、数瞬の静寂が降りる。
穂刈は泡の消えたビールの残りを飲み干すと、静かな声で返答した。
「真伏君。君のことは信用している。だけど、それはまだだ」
午後11時半。
白のマスクで顔を覆った真伏は、『BARロサエ』の裏口を出て繁華街を歩いた。
ふと路上で立ち止まり、スラックスのポケットからスマホを取り出す。
真伏は写真アプリをタップして、一枚の画像を表示した。
「──…………」
そこには、赤ん坊の真伏を無表情で抱く、父親の路木怜司の姿が写っていた。
真伏は写真を暫く見つめると、再び歩き出し、夜の街に紛れていった。
午前1時。
紺色のパーカーのフードを深く被った穂刈は、一軒の邸宅の前に立った。
指を伸ばしてインターホンを押す。
まもなく、門の奥の玄関ドアが開いた。
そこから悠然と姿を現したのは、インクルシオ総長の阿諏訪征一郎だった。




