07・希望の表と裏
午前8時。東京都月白区。
インクルシオ東京本部の7階にある執務室で、本部長の那智明は視線を上げた。
執務机に座る那智の前には、北班チーフの芥澤丈一、南班チーフの大貫武士、インクルシオ大阪支部に所属する特別対策官の疋田進之介が立っている。
また、通話中を示すランプが灯る電話機はスピーカー状態になっており、インクルシオ大阪支部の支部長である小鳥大徳と繋がっていた。
『いやぁー。こんなに早う貝塚門人を確保できるとは思てなかったわ。これも東京のみなさんの協力のおかげや。ほんまにありがとうな』
小鳥が朗らかな声で礼を言う。
那智が端正な顔を綻ばせて「いえ」と返した。
芥澤が2本の指でネクタイを緩める。
「今回は防犯カメラでの貝塚の発見が早かったのが功を奏したな。あとは、雨瀬がよく頑張った」
芥澤の隣に立つ大貫が「そうだな」と同意し、リスザルがプリントされたシャツを着た疋田が「ほんまにその通りです」と大きくうなずいた。
「雨瀬君が“闘士”としてリングに上がるて言うた時は驚いたけど、あの貝塚相手にしっかりと戦うてダウンさせた。まだ新人やのに、大した度胸と戦闘技術ですわ」
疋田の言葉に、芥澤が口端を上げる。
「まぁ、雨瀬を始め「童子班」の高校生たちは、童子が積極的に摘発や突入に連れてってるからな。他の拠点の新人に比べると、経験値は段違いだぜ」
「そうやったんですか。どうりで他の3人の動きも手慣れとると思いましたわ」
鼻にそばかすを散らした疋田が感心する。
電話の向こうの小鳥が言った。
『将也は、自分が東京におるうちに新人らに経験を積ませたいんやろうな。新人の子らもそれに応えてようやっとる。彼らは、きっと強い対策官になるで』
「ええ。私たちもそう期待しています」
那智が穏やかな声で言い、芥澤と大貫が笑みを浮かべる。
小鳥が『こりゃあ、うちの小夏も負けてられへんな!』と快活に笑い、疋田が「大丈夫です。小夏も強なりますよ」と微笑んだ。
窓から差し込む明るい日差しが執務室を照らす。
ほどなくして、報告を終えた関係者たちは仕事と任務に戻るべく、溢れる光の中を動き出した。
午前8時半。東京都木賊区。
木賊第一高校の1年A組の教室で、半井蛍はスマホをタップした。
あと10分ほどで一時間目の授業が始まる時間、他の生徒たちは教科書の準備をしたり、クラスメイトと楽しげに話をしている。
しかし、教室内の4つの机は空席で、その主たちが現れる気配はなかった。
半井はスマホに着信したメッセージに目を通す。
メッセージの送り主は、反人間組織『キルクルス』のリーダーの乙黒阿鼻だった。
『半井君、おはよう! さっき、ネットで『ノビリス・モルス』のニュースを見たよ。貝塚門人って、関西で有名な重犯罪者だったんだね』
『おはよ。そうらしいな。俺は貝塚を知らなかったけど、雨瀬が『地下闘技場』に現れたから何かあるなとは思ってた。案の定、インクルシオの摘発だったな』
メッセージの返信を打ち、半井は浅く息をつく。
昨夜、消炭区の洋館レストラン『ノビリス・モルス』を出た半井は、いつものように防犯カメラを巧みに避けて帰路についた。
その後、テレビのニュース番組でインクルシオによる『ノビリス・モルス』の摘発が報道され、雨瀬の出現に合点がいった。
『でもさ。『地下闘技場』が潰れちゃって、残念だったね』
『まぁな。戦闘の鍛錬と小遣い稼ぎにはちょうどよかったんだけどな。また、獅戸さんに別のところを教えてもらうよ』
『うん。せっかく素敵な仮面を買ったんだもの。もっと使わなきゃね』
『あれはお前が選んだんだろ。まぁ、大事に使うよ』
半井が乙黒とメッセージをやりとりしていると、始業開始のチャイムが鳴った。
半井はその旨を乙黒に伝え、スマホを学生鞄の中にしまう。
まもなく教室の引き戸が開いて一時間目の担当教員が登壇したが、4つの席は空いたままだった。
午前9時。東京駅。
インクルシオ東京本部の南班に所属する「童子班」の面々と、大阪支部の二人の対策官は、大勢の人々が行き交う八重洲口のコンコースにいた。
月曜日のこの日、高校生4人は見送りが終わり次第、中学3年生の鈴守小夏は大阪に着き次第、それぞれの学校に登校することになっている。
旅行用のバッグを肩に掛けた疋田が言った。
「短い間やったけど、ほんまに世話になったな。ありがとうな」
「いえ。俺らも疋田さんや鈴守さんと一緒に捜査ができて、色々と勉強になりました。本当にありがとうございました」
鷹村哲が頭を下げて言い、塩田渉、最上七葉、雨瀬眞白が「ありがとうございました!」と続く。
疋田は「ええ子らやなぁ」と感嘆し、黒のツナギ服を着た特別対策官の童子将也に目を向けた。
「将也。東京本部で、ええ後輩に恵まれたな」
「はい」
童子が返事をすると、塩田が「へへ」と嬉しそうに笑う。
突進するサイがプリントされたTシャツを着た鈴守が、顔を顰めた。
「ちょっと。私の前で、将也さんのことでニヤけんといてや」
「ははは。鈴守ちゃん、ごめんねぇ〜」
塩田が更に笑い、鈴守が「その笑顔、めっちゃ腹立つわ」と頬を膨らませる。
鈴守はひとつ息を吐くと、「……みなさん」と高校生たちに向き直った。
改まった表情で言葉を切り出す。
「先日は、トレーニング棟でキツイことを言うてしもて、すみませんでした。将也さんに憧れる気持ちが強すぎて、みなさんに理不尽な八つ当たりをしてしまいました。せやけど、今回の捜査を通して、みなさんの人柄や実力がようわかりました。今更謝っても遅いかもしれへんけど……ほんまにごめんなさい」
鈴守の謝罪に、高校生たちが慌てて近寄った。
「鈴守さん。いいのよ。私たちは何も怒っていないわ」
「そうだよ。トレーニング棟でコテンパンにされたのは事実だしな。でも、そのおかげでもっと鍛錬しなきゃって思えたよ」
「そーそー。俺らがヘボかっただけだって。鈴守ちゃんは悪くないよ」
「うん。鈴守さんは何も気にしなくていい」
鈴守を囲んだ最上、鷹村、塩田、雨瀬が次々と言う。
鈴守は照れ臭くなって下を向いたが、すぐに顔を上げた。
髪を黒色に染めたままの雨瀬に向く。
「……雨瀬さん。昨日の『地下闘技場』での貝塚との戦い、見事でした。私やったら足が竦んだかもしれません。今回、グラウカの雨瀬さんがいてくれたから早期に貝塚を確保することができた。せやのに、酷いことを言うてしもてごめんなさい。もし許してもらえるなら、これからも同期として切磋琢磨させて下さい」
「も、もちろんだよ。僕こそ、鈴守さんの強さを見習いたいと思ってる。……おこがましいけど、次に手合わせできる時を楽しみにしてるよ」
雨瀬が恐縮しつつ返すと、鷹村が「俺もまた手合わせしたい!」と言い、塩田と最上が「俺も!」「私も!」と声をあげた。
鈴守が「はい。是非、またやりましょう」と笑顔を浮かべる。
疋田が腕時計を見やって言った。
「ほな、そろそろ行こか。みんな、元気でな」
そう言って、疋田は改札口に向かって足を踏み出した。
鈴守が「将也さん。みなさん。ありがとうございました」と挨拶をして疋田を追いかける。
その時、高校生4人が「ちょっと待って」と鈴守を呼び止めた。
ショートヘアを揺らして振り返った鈴守に、塩田が囁くように言う。
「鈴守ちゃん。童子さんと一緒に任務につきたいっていう夢は諦めないでね。対策官として一生懸命に頑張っていたら、いつか必ず叶うから」
「……テキトーなこと言うのはやめてや」
「本当だよ。だから、絶対に希望を捨てないで」
「………………」
鈴守は訝しげな視線で高校生たちを見た。
4人は笑顔だったが、その表情はどこか寂しげに映った。
疋田が「小夏ー。置いてくでー」と改札の前で立ち止まる。
鈴守は「すぐに行きます!」と大声で返すと、「……わかったわ」と高校生たちに小声で告げて駆け出した。
そして、大阪支部からやってきた二人の対策官は、3日間の出張捜査を終えて東京を後にした。
「……さっきは、小夏にカッコええことを言うとったな」
インクルシオ東京本部に戻る車中で、童子が高校生たちに言った。
「あー。そうっス。鈴守ちゃんまっすぐでいい子だし、俺たちからのエールみたいなものっス。正直、ちょっと辛いっスけどね」
塩田が頭の後ろで両手を組み、鷹村が「だな」と言って窓枠に頬杖をつく。
最上と雨瀬は無言で外を見やり、しんとした静寂が車内を包んだ。
童子がバンのハンドルを操りながら言う。
「……今夜は、俺の部屋でゲーム大会しよか。お前らが学校に行っとる間に、お菓子やジュースをようさん買い込んでおくわ」
「え!? マジっすか!? やったー!!」
「だったら、ソフトはみんなでできる対戦ゲームと……シューティングやホラーゲームとかもやりたいな」
「私はクッキーを焼くわ。ついでに、ドーナツも揚げちゃおうかしら」
「今から、すごく楽しみだ」
童子の提案に、高校生たちが一気に沸き立つ。
童子は小さく微笑んでアクセルを踏み、「童子班」の5人を乗せた黒のバンは、燦々と光り輝く太陽の下を進んだ。
<STORY:11 END>