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グラウカ  作者: 日下アラタ
STORY:02
8/224

01・記憶の凶人

 午後11時。東京都空五倍子うつぶし区。

 閑静な住宅街の真ん中に位置する児童公園はひっそりと静まり返っていた。

 青々とした樹木に囲まれた児童公園の歩道をゆっくりと歩く男女。

 男性は190センチはあろうかという長身で、肩まで伸びた黒髪は歩くたびに軽やかに揺れ、ラフに着こなしたジャケットと細身のパンツは夜風を受けて緩くなびいた。

 男性の隣を歩くワンピース姿の女性は、少し緊張していた。

 駅前のショットバーで一人で飲んでいたところに男性から声をかけられた。

 目鼻立ちの整った長身の男性に笑顔を向けられて、つい気が緩んでしまったことは否めない。

 女性の住まいが児童公園の近くだと言うと、男性は家の前まで送ると言った。

 この児童公園を抜ければ女性の住む小さなマンションはすぐそこにある。

 赤いレンガ敷きの歩道の上を歩きながら、女性は男性を部屋にあげても後悔はないだろうかと考えた。

 そんな気恥ずかしい思考にふけっていると、ふと男性が立ち止まった。

 つられて足を止めた女性のおとがいに、男性の右手がかかる。

 優しく上を向かされ、男性の顔が近付いた時、女性は胸の高鳴りと共に目を閉じた。

 ──その直後、女性は顔面を喰いちぎられた。




 5月下旬。東京都月白げっぱく区。

 『厚生省特殊外郭機関インクルシオ』東京本部の隣に建つインクルシオ寮の1階に、賑やかな声が響いた。

「もうひと勝負! 勝つまでは寝られません!」

 大浴場の隣の娯楽室で、塩田渉しおたわたるが卓球のラケットを構えた。

「また負けたいのか。りない奴だな。次は完封してやるぜ」

 娯楽室に設置された卓球台の前に立つ鷹村哲たかむらてつが不敵に笑う。

「もー。あんたたち、何回やれば気が済むのよ」

 板張りの床に体育座りをした最上七葉もがみななはが呆れた声を出し、

 その横に座る雨瀬眞白あませましろが「塩田君も哲も、頑張って」と声援を送った。

「最上ちゃん! それは俺が勝つまででーす! 雨瀬ぇ! 声援サンキュー!」

「あ。もう11時過ぎとるんやな。そろそろお開きにしよか」

 壁に貼った勝敗表にスコアを書き込んでいた童子将也どうじしょうやが、頭上の時計を見やって言った。

 塩田は慌ててラケットをぶんぶんと振る。

「童子さん! 待って待って! 俺、まだ誰にも勝ってません!」

「リベンジはまた今度やな。塩田」

「あああぁぁ〜〜〜!!!!」

 頭を抱えた塩田に苦笑しつつ、童子は「さぁ。片付けるで」と高校生たちを促した。

 ──彼らは、インクルシオ東京本部の南班に所属する対策官である。

 雨瀬、鷹村、最上、塩田は4月に配属されたばかりの高校生の新人対策官で、童子は4人の指導担当につく『インクルシオNo.1』の特別対策官であった。

 2週間ほど前に反人間組織『アダマス』を壊滅した「童子班」の面々は、それまでと変わらず任務に勤しむ日々を送っていた。

「よーお! なんか賑やかな声が聞こえるなと思ったら、お前らか!」

「こんばんは。みんなで卓球してたの?」

 「童子班」の5人が卓球道具を片付け始めた時、娯楽室の扉が開いて二人の対策官が顔を出した。

 一人は北班に所属する特別対策官の時任直輝ときとうなおき。21歳。

 もう一人は同じく北班に所属する対策官の市来匡いちきたすく。20歳。

 時任は童子と同い年であり、『インクルシオNo.2』と称される実力の持ち主であった。

「時任さん! 市来さん! お疲れ様です!」

 卓球のラケットを棚に置いた塩田が声をあげる。

 時任はインクルシオの制服である黒のツナギ服を着ており、背中で交差した2本のブレードをガチャガチャと鳴らして娯楽室に入ってきた。

 時任は背中だけではなく、腰にも2本のブレードを装備している。

「なんだ、童子! 卓球大会をするなら俺も混ぜろ!」

「ああ。風呂上がりに始めたら、けっこう盛り上がってな。次は声かけるわ」

「これ、勝敗表ですか? ……うわぁ。童子さん容赦ないな。塩田君はドンマイ」

 時任が手を腰に当てて言い、市来が勝敗表のスコアを見た。

 スポーツタオルを手にした鷹村が訊いた。

「時任さんたちは、任務が終わったところなんですか?」

「おう。本部のロッカーで着替えてこようと思ったんだが、どうにも腹が減ってな。先に食堂でなんか食おうと思ってこっちに来たんだ」

「夜食は太るんだけどねー。この時間はお腹が空くんだよね」

 市来がツナギ服の腹部をさする。

 鷹村は「すげぇ、わかります」と深くうなずいた。

 時任が鷹村の後ろにいる雨瀬に顔を向けた。

「おー! 雨瀬! 調子はどうだ?」

「は、はい。調子はいいで……ぶっ!」

「そうか! そりゃ良かった! ガッハッハッハ!」

 大柄な時任を見上げて答えた雨瀬の背中を、厚みのある大きな手がバンバンと叩く。

 豪快で豪傑な時任のてのひらは暖かく、雨瀬は体を揺らしながら「はい」と返事をした。

「ねぇ。せっかくだし、みんなで食堂に行かない?」

「行きますー! 俺、カップラーメン食いたい!」

 市来が提案し、塩田が両手を上げて食いつく。

 時任がキラリと目を光らせて言った。

「カップラーメンでいいのか、塩田ぁ! 今日の夜食はインクルシオ特製牛丼だぞ! こいつを食い逃す手はないぞ!」

「あー。俺、まだこっちの牛丼は食うたことがないわ。大阪支部と味つけがちゃうんかな」

「寝る前だし、私はハーブティーにするわ」

「俺も牛丼食おう。眞白も行くだろ?」

「うん」

 7人がわいわいと話していると、「うるさいぞ」と娯楽室の扉が開いた。

 眉間にしわを寄せてそこに立っていたのは、西班に所属する特別対策官の真伏隼人まぶせはやとだった。

 真伏は24歳で、童子、時任に続いて『インクルシオNo.3』ともくされる人物である。

 鋭い眼差しで室内を見渡した真伏に、高校生たちは反射的に背筋を伸ばした。

「お前たち、ここで騒いでいる暇があったら少しは鍛錬したらどうだ。インクルシオ対策官なら、常に組織の期待に応える行動をしろ」

「はい」

 童子と時任が両手を後ろに組み、揃って返事をする。

 真伏は童子に視線をやった。

「童子。お前は新人を遊ばせていないで、もっと適切な指導をしろ」

 真伏は童子をきつく睨んでそう言うと、きびすを返して娯楽室から出ていった。

 真伏の背中を見送った時任が、「遊びも必要だよなぁ」とぽつりと言う。

 時任の後方に立つ市来が「ですよね」と小さく同意した。

「……真伏さんて、なんか苦手だな。冷たい目で、威圧的でさ」

 塩田がねたように唇を尖らせて呟く。

 童子は高校生たちに向いて言った。

「あの人は、いつもあんな感じや。気にすんな」


 翌日。午前4時半。

 インクルシオ東京本部の南班の管轄である空五倍子うつぶし区で、女性の遺体が発見されたという一報が入り、対策官たちは現場に向かった。

 この日は日曜日で、早朝の児童公園に停車したインクルシオのジープには「童子班」の高校生たちが乗り込んでいた。

 黒のジープを降りた複数の対策官が、朝もやの中を足早に歩く。

「インクルシオに連絡が来たってことは、グラウカの犯行ってことだよな?」

「その可能性が高い。おそらく、遺体の外傷ですぐにわかるんだろう」

 黒のツナギ服を纏った鷹村と塩田が歩きながら話す。

「もう、マスコミが来てるわね」

 最上が児童公園を囲む柵の外にたむろする報道陣に目をやった。

 雨瀬は癖のついた白髪を揺らして、まっすぐに前を見て歩く。

 すると、児童公園のベンチの脇に置かれたブルーシートが視界に入った。

「薮内さん。遺体はどないな感じですか?」

 先に到着していた南班のベテラン対策官である薮内士郎やぶうちしろうに、童子が歩み寄る。

「童子か。まぁ、酷いもんだ。とりあえず見てみろ」

 薮内が言い、童子は地面に片膝をついてブルーシートに手をかけた。

 童子の周囲に集まった高校生の新人対策官たちが、ごくりと唾を飲み込む。

 ブルーシートが持ち上がると、塩田が思わず後ずさった。

「うわわわ……!」

「ひどい……」

 最上が眉根をきつく寄せる。

 ブルーシートの下に横たわったワンピース姿の女性の遺体は、顔面の皮膚のほとんどを喰いちぎられていた。

 剥き出しになった生気のない眼球が、ぎょろりと虚空を見つめている。

「──………………」

 雨瀬と鷹村は、大きく目を見開いて動きを止めた。

 唐突によみがえる記憶の奔流が、二人の脳裏を埋めていく。

 その様子に気付いた童子が「どないした?」と低い声で訊いた。

 雨瀬のこめかみに一筋の汗が流れる。

 鷹村が遺体から目を離さずに口を開いた。

「……童子さん。俺たちは、この事件の『犯人』に会ったことがあります」




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