04・屋上と路上
東京都月白区。
インクルシオ大阪支部に所属する特別対策官の疋田進之介と、新人対策官の鈴守小夏は、インクルシオ東京本部の3階にあるオフィスの一角で捜査を開始した。
トレーニング棟で「童子班」の高校生たちに自身の憤懣をぶつけた鈴守は、疋田と合流した後、静かな表情でデスクに向かった。
グラウカの重犯罪者である貝塚門人の捜査は、東京本部と立川支部の協力の下で行われ、両拠点の対策官は『地下闘技場』と疑わしき店舗や施設などを調査し、また、巡回時に貝塚の姿に目を光らせた。
「疋田さぁん。ご無沙汰してますぅ。これ、俺が持ってる情報ですぅ」
対策官たちが出入りするオフィスでノートパソコンを操作していた疋田に、中央班に所属する特別対策官の影下一平が歩み寄った。
時刻は午後7時を少し回ったところだった。
影下は『地下闘技場』の噂のある場所を書いたメモを疋田に差し出す。
疋田は「おお。影下君。久しぶりやなぁ」と笑みを浮かべてメモを受け取った。
「相変わらず目の下の隈がすごいな君。ちゃんと睡眠を取らなあかんで」
「ふふ。疋田さんに初めて会った時も、同じことを言われましたぁ」
「ああ。6年前に特別対策官の任命式でこっちに来た時な。たまたま廊下ですれ違った影下君の目の下が真っ黒で、思わず『寝ぇや! 自分!』てハイトーンボイスで叫んでしもたな」
疋田がくつくつと笑い、影下が「あの時、俺はまだ高校生でしたよぉ」と感慨深げに言う。
影下はデスクのデジタル時計に目をやると、デイパックを肩に掛け直した。
「もっとゆっくり話したいですけどぉ。俺はこれから居酒屋のバイトが入ってるんで、行きますねぇ。疋田さん、鈴守さん、捜査頑張って下さいぃ」
「おう。『地下闘技場』の情報ありがとうな。影下君も頑張ってや」
「影下特別対策官。ご協力ありがとうございました」
疋田と鈴守がそれぞれに言い、影下は「はい〜」と返事をしてオフィスを出た。
猫背の背中を見送った疋田は、半分に折り畳まれたメモを開く。
手書きのメモには、東京都内の複数の店舗・施設の名称と住所が書かれていた。
「けっこう件数があるな。明日は俺らも早朝から外を回らなあかんな」
「そうですね。……あ。『ノビリス・モルス』があるやん。創作料理で有名な店ですよ。捜査ついでに、そこでランチしません?」
疋田の横からメモを覗き込んだ鈴守が言う。
疋田は「あかんあかん。高いに決まっとる」とそそくさとメモをしまい、鈴守は「えー。せっかくなのにぃー」と頬を膨らませた。
その後、大阪支部からやってきた二人は、「童子班」の面々の誘いで、インクルシオ寮の食堂で夕食をとった。
テーブルには北班に所属する特別対策官の時任直輝と、同じく北班の市来匡も集って賑やかなひと時となったが、鈴守の口数と笑顔は少なかった。
午後8時半。
鈴守はインクルシオ寮の階段を上って屋上に着くと、鉄製の扉を押した。
開いた部分から夜風が流れ込み、フラミンゴ柄のチュニックの裾が揺れる。
コンクリートの床に足を踏み出した鈴守の隣で、穏やかな声がした。
「なかなかええ眺めやろ。ここ、俺の好きな場所やねん」
フェンスの向こうに広がる夜景を見やって、黒のツナギ服を纏った特別対策官の童子将也が言う。
夕食後、童子は鈴守に声をかけ、二人で屋上にやってきた。
目の前の景色に、鈴守が感嘆の息をつく。
「ほんまですね。静かやし、街の光がキラキラして綺麗や」
「たまに、一人になりたい時にここに来るねん」
「将也さんでも、そんな時があるんですか」
「あるある。俺かて悩みは多いで」
そう言って、童子はフェンスの外に目を向けたまま笑った。
鈴守はちらりと童子を見上げ、すぐに視線を前に戻す。
暫くの沈黙が流れた後、童子は「そうや」と口を開いた。
「昨日、完司さんからメールが来てたで。小夏が進之介さんと一緒にそっちに行くから、よろしく頼むてな」
「そうやったんですか。完司さんは『新人対策官が出張捜査なんて100年早いわ! 大人しく寮でトレーニングしとけ!』て、めっちゃ反対しとったのに」
童子の話に、鈴守が意外そうな顔で返す。
“完司さん”こと増元完司は、大阪支部で鈴守の指導担当につく対策官であった。
童子は「完司さんは、小夏のことが心配やったんやろう」と優しく言う。
鈴守は目を伏せると、スニーカーを履いた足元を見つめた。
「……完司さんの心配はありがたいです。せやけど、私はどうしても東京に来たかった。将也さんが指導担当につくあの人らに、一言文句を言いたかった」
鈴守の硬い声が地面に落ち、童子が顔を向ける。
鈴守はうつむいて言葉を続けた。
「将也さんは聞いとると思いますけど……。今日、トレーニング棟であの人らと手合わせをしました。あの人ら、全然大したことあらへんかった。私がどんなに憧れても、どんなに望んでも、将也さんの指導は受けられへんのに……。せやから、腹が立ってキツイことを言いました」
「そうか。あいつらは模擬やと無意識に気が抜けるからな。実戦ではしっかりやっとるから、そこは大目に見たってくれ」
童子が高校生たちを庇うように言い、鈴守は唇を噛む。
心に燻ったもやもやが口をついて出た。
「将也さんはあの人らを認めとるんですか? 年下の私より弱いのに……!」
「あいつらは、一人前の対策官になる為に一生懸命に任務に励んどる。人々の笑顔を守る為に命懸けで戦っとる。俺は、あいつらのいざと言う時の実力はもちろん、そのひたむきさと誠実さを認めとるで」
「……っ!」
「せやけど、それは小夏も同じやろう? 俺に憧れとるとかそういうのは二の次で、小夏が対策官になった一番の理由は、世の中の平和を守りたいからやろう?」
「…………」
「俺は、小夏はそうやと信じとる。そして、小夏の強さと努力を認めとるで」
童子の沁み入るような静かな声に、鈴守が顔を歪める。
双眸にじわりと涙が浮かび、慌てて首を振った──その時。
屋上の扉が勢いよく開き、数人の人影が「うわぁ!」と転がり出た。
「阿呆ー! 扉が開いてもうたやないかー! せやから押すなて言うたやろー!」
「すみません、疋田さん! 二人の声が聞こえづらくって!」
「盗み聞きしてごめんなさいー!」
童子と鈴守が振り返ると、うつ伏せになった疋田の横に、塩田渉、最上七葉、鷹村哲、雨瀬眞白が転けていた。
5人の対策官たちの姿に、童子が可笑しそうに笑う。
「みんな、小夏を心配して来てくれたんやな」
「──…………」
鈴守はコンクリートの床に転がった高校生たちに目をやった。
いつの間にか、刺々しい感情は消えていた。
鈴守は両手を腰に当てると、盛大なため息を吐いて言った。
「ほんまにもう……。どうしようもない仲間たちやわ」
午後9時。東京都消炭区。
瀟洒な佇まいの洋館レストラン『ノビリス・モルス』の地下で、多くの観客が歓声をあげた。
普段は店の倉庫として使用している空間は、月初めの数日間のみ『地下闘技場』として姿を変え、“闘士”と呼ばれるグラウカ同士がリングで戦う。
反人間組織『キルクルス』のメンバーの半井蛍は、仲間の獅戸安悟から『地下闘技場』の存在を聞き、これまでに3度ほど“闘士”として参加していた。
(……こういう場所を利用して、腕がなまらないようにしなきゃな)
リング脇にある控え室で、黒色の仮面をつけた半井はスマホを眺めていた。
現在、第4試合が行われており、半井は第5試合に出場する予定であった。
すると、ドアの向こうで大きなどよめきが起きた。
「お! “闘士”が死んだか!?」
控え室にいた他の“闘士”たちが椅子から立ち上がり、ドアに駆け寄る。
半井が目を向けると、細く開かれたドアの隙間から、リングに仁王立ちをして高らかに笑う虹色のパンチパーマの男が見えた。
翌日。午前8時。東京都月白区。
インクルシオ東京本部の5階の執務室で、北班チーフの芥澤丈一は、対策官から報告のあった防犯カメラの映像を確認した。
芥澤のノートパソコンに送られた映像には、北班の管轄エリアである消炭区の路上で、パーカーのフードを深く被ったサングラスの男が映っていた。
映像を再生すると、突風が吹き、男のフードがぱらりと首元に落ちた。
芥澤はそこで映像を止め、大仰に顔を顰めて毒づいた。
「ハッ。虹色のパンチパーマねぇ。クッソ趣味が悪いったらありゃしねぇぜ」