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グラウカ  作者: 日下アラタ
STORY:10
74/231

10・明日のために-2

 東京都月白げっぱく区。

 インクルシオ東京本部の1階にある『カフェスペース・いこい』で、東班に所属する特別対策官の芦花詩織あしはなしおりは、壁に掛かった時計を見上げた。

「……もうすぐ、9時になるわね。緊急会議は終わったかしら」

 中央班に所属する特別対策官の影下一平が、芦花の向かいでアイスコーヒーを飲んで言う。

「もう終わったんじゃないかなぁ。今日の会議は全国の支部長が参加しているらしいし、多分、童子は厳しいことを言われただろうねぇ」

「……あの鳴神冬真さんが、反人間組織に属していると判明したんです。東京本部の幹部はもとより、上役全員が戦々恐々としているでしょうね……」

 北班に所属する市来匡が、コーヒーカップを持って低く呟く。

 同じく北班に所属する特別対策官の時任直輝が、堅く閉じていた口を開いた。

「……正直、俺はまだ心の整理がつきません。新人対策官時代に憧れ、目標としていた鳴神さんが敵だったなんて、悪い夢だと思いたい。だけど……童子は、そんな感傷に浸る間もなく、『フロル』の拠点で鳴神さんと戦うことを余儀なくされた」

「………………」

 苦しげに双眸をゆがめた時任に、窓際のテーブルにつく3人が沈黙する。

 時任は両手の拳を握り締めて言葉を続けた。 

「雨瀬と鷹村だってそうです。『キルクルス』のリーダーの乙黒阿鼻は、二人と同じ児童養護施設で育った幼馴染です。あいつらは何も言いませんが、反人間組織を作った幼馴染と敵対するなんて、心中は相当に辛いはずです。だから……俺は、弱音を吐くのはこれきりにします。反人間組織である以上、鳴神さんも乙黒も敵です。俺はインクルシオ対策官として、必ず奴らを倒します」

 背中と腰に4本のブレードを装備した時任が、決意を込めた眼差しを上げる。

 芦花と市来が力強くうなずき、影下がアイスコーヒーを置いて言った。

「うん。反人間組織が行う身勝手な殺戮さつりく蹂躙じゅうりんを、決して許さない。これは“使命”というより、俺らの“意地”なんだよねぇ。その意地を通す為に、どんな強敵が相手であろうと、これからも命をして戦っていくよぉ」


 インクルシオ東京本部の最上階の休憩スペースで、南班に所属する特別対策官の童子将也は、窓際に佇んで外の景色を見ていた。

 先ほど、緊急会議が行われる多目的室を出た際に、童子のスマホに一件のメッセージが着信した。

 メッセージの発信者は大阪支部の支部長の小鳥大徳で、『会議が終わったら、電話するわ』と書かれており、童子はひと気のない休憩スペースに立ち寄った。 

 午前9時を少し回った時刻、ひっそりと静まった空間にスマホの着信音が響く。

「小鳥支部長。お疲れ様です」

『おー。将也、お疲れさん。やっと会議が終わったわー』

 童子が通話ボタンを押して挨拶をすると、小鳥の明るい声が返った。

 小鳥は電話の向こうで、マグカップに入ったコーヒーを音を立てて啜る。

『それにしても、さっきは他の拠点の支部長らにえらい言われてもうたな。こういう時によってたかって重圧を掛けられるんは、No.1の辛いところやな』

「いえ。当然のことやし、俺はええです。せやけど、会議ではかばってもろてありがとうございました」

『はは。親バカみたいに、思わず口が出てしもたわ。そういや、大貫チーフもすごかったで。今にもノートパソコンに飛び掛かりそうな形相やったわ』

 小鳥は朗らかに笑い、『それとな』とやや声のトーンを落として言った。

『鳴神の件は、あまり一人で背負いすぎんなや。お前はそういうたちやから心配や』

「……はい」

 童子が目を伏せて返事をすると、休憩スペースにバタバタと慌ただしい足音が聞こえた。

「童子さん、ここにいたー! 探したッスよー!」

「塩田! 静かにしなさい! 童子さんは電話中よ!」

「あ。気付かなかった。すみません、すぐに外に出ます」

「うるさくして、ごめんなさい……」

 休憩スペースに入ってきた「童子班」の塩田渉、最上七葉、鷹村哲、雨瀬眞白の4人が、スマホを持った童子を見て即座にきびすを返す。

 童子がその背中を呼び止めようとすると、小鳥が笑って言った。

『今の声は、将也が指導担当についとる新人の子らか? 元気いっぱいでええな。ほな、俺はもう切るわ』

「はい。色々と、ありがとうございました」

 童子が礼を言い、小鳥は『また、電話するわなー』と返して通話を切る。

 スマホをツナギ服の尻ポケットに入れた童子は、足早に歩いて休憩スペースを出た。

 すると、長い通路の向こうから、南班チーフの大貫武士がこちらにやってきた。

 大貫は柔和な笑顔で、「童子班」の5人に声をかけた。

「お前たち。この後、旨い番茶でもどうだ?」


 程よい空調の効いた5階の執務室で、大貫は6つの湯呑みに番茶を淹れた。

 執務机の前に置かれた革張りのソファセットには、大貫、童子、最上、雨瀬が座り、鷹村と塩田はパイプ椅子を出して腰掛けていた。

 大貫が「さぁ。飲んでくれ」と湯気の立つ湯呑みを差し出し、5人が「いただきます」とそれぞれに手を伸ばす。

 風味豊かな味わいの番茶を啜った対策官たちは、ほっと息をついた。

 大貫は自分の湯呑みを持ち上げて、呟くように言う。

「……昨日は、色々なことがあったな。俺はまた一人、大切な部下を失った」

「………………」

「それと、童子。雨瀬。鷹村。先ほどの緊急会議では、嫌な思いをさせてしまったな。一部の支部長の発言は、どうか忘れてくれ」 

 大貫の静かな言葉に、童子が「いえ。俺はかまへんです」と湯呑みをテーブルに置き、鷹村が「僕らも、大丈夫です」と返した。

 大貫は「そうか」と安堵の笑みを浮かべる。

 大貫の向かいに座る雨瀬が、癖のついた白髪を揺らして言った。

「……あの。一つ、訊いてもいいですか? 鳴神さんは、5年前まで南班に所属していたんですよね。その当時は、どんな人だったんですか?」

 雨瀬の質問に、童子、鷹村、塩田、最上が大貫に注目する。

 大貫は手にした湯呑みを見つめて、ゆっくりと言葉を紡いだ。

「そうだな……。鳴神がインクルシオを辞めて、もう5年になるか……。対策官だった頃の鳴神は、品行方正で人あたりがよく、そして、誰よりも強かった。中学3年生という異例の若さで特別対策官になった経歴と、数々の優秀な戦績で、周囲からは『歴代最強のインクルシオNo.1』と言われていたよ。鳴神の存在は、あの頃の全ての対策官の憧れだった」

 パイプ椅子に座った塩田が、「すげぇなぁ……」と声を漏らす。

 ショートヘアの黒髪を耳にかけた最上が訊ねた。

「そんな人が、どうしてインクルシオを辞めてしまったんですか?」

「……それだがな。俺も、はっきりとした理由はわからないんだ。鳴神はただ「辞めます」と言っただけだった。その意思は固く、俺や上層部の他の人間が何を言っても、彼を引き止めることはできなかった。……あの時は、まさか数年後に反人間組織の一員として現れるなんて、夢にも思わなかったよ」

 大貫が自嘲気味に笑い、目の前の対策官たちが沈黙する。

 数瞬の静寂が降りた後、ふと童子が顔を上げて言った。

「……そうや。大貫チーフ。報告書には書かへんかったんですけど、インクルシオの内部に、『キルクルス』の内通者がおる可能性が高いです」

「……ええっ!?」

 塩田が素っ頓狂な声を出し、大貫と高校生3人が目を見開く。

 童子はテーブルに置いた湯呑みを手に取った。

「俺は、横浜支部の『エレミタ』突入の一件以来、内通者の存在をうたごうてました。そこに、今度は俺らの突入に合わせたように、『フロル』の拠点に『キルクルス』が出現した。このタイミングのよさは、とても偶然とは思えません。そこで、鳴神さんとの交戦ん時に、カマをかけてみたんです。鳴神さんはうまくかわしてましたが、否定はせんかった。……まぁ、根拠はそれだけで、証拠はなんもあらへんのですが、俺はほぼ確実に“おる”と見ています」

 そう言って、童子は番茶の残りを飲み干した。

 大貫が「ううむ……」と難しい顔でうなる。

 鷹村が手を上げて訊いた。

「童子さん。内通者の件を、報告書に書かなかったのは何故ですか?」

「それは、インクルシオ全体が疑心暗鬼におちいるのを避ける為や。“内通者がおるかもしれへん”と意識すると、全員が怪しく見えてしまう。それで任務に支障をきたすとあかんからな。せやから、内通者の尻尾を掴むまでは、この話はここだけにとどめておいた方がええ」

 塩田が「確かになぁ……」と腕を組み、最上が「その通りね」と納得する。

 大貫はおもむろに背筋を伸ばして、「ふーっ」と勢いよく鼻息を吐いた。 

「元インクルシオNo.1の鳴神冬真。キルリスト個人2位の獅戸安悟。得体の知れない少年の乙黒阿鼻。おまけに、内通者ときたか。頭の痛い問題が山積みだな。……だが、俺たちは決してくじけないぞ。どんな難局でも、必ず乗り越えてみせる」

 大貫が瞳に光を宿して言い、童子が「ええ」と相槌を打つ。

 雨瀬が真摯な表情で言った。

「……訓練生時代に習いましたが、“インクルシオ”はラテン語が語源で、“攻撃”という意味です。僕らは守勢に回ることなく、常に戦いの前線に出ていく。その理由は、誰もが笑顔で過ごせる明日を作る為です」

 雨瀬の言葉に、執務室につどった全員がうなずく。

 大貫はパンと膝を叩いて、ソファから立ち上がった。

「──よし! それじゃあ、今日も仕事に取りかかるぞ!」

「はい!!!」

 黒のツナギ服を纏った対策官たちが、大きく返事をしてそれに続く。

 窓から差し込む光が眩しくきらめく中、6人は確乎かっこたる信念と共に、足を前に踏み出した。




<STORY:10 END>

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