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グラウカ  作者: 日下アラタ
STORY:10
69/231

05・情と仇

 東京都あま区。

 午後4時を少し回った時刻、インクルシオ東京本部の南班に所属する「童子班」の5人は、商店街“ハッピーロード”から南西に約一キロ離れた場所にいた。

 南班チーフの大貫武士が発信したこの日2度目の緊急連絡に、黒のツナギ服を纏った対策官たちは一様に言葉を失った。

「……う、嘘だろ……。服部さんが……『アンゲルス』を……」

 塩田渉が愕然とした表情で声を出す。

 鷹村哲、雨瀬眞白、最上七葉は、スマホを手にしたまま石のように固まった。

 両腿に2本のサバイバルナイフを装備した特別対策官の童子将也が、鋭く視線を上げて言う。

「代表電話に通報のあった『“ハッピーロード”で暴れとる対策官』は、おそらく服部さんや。ここから“ハッピーロード”までは約一キロ。コインパーキングに停めた車を取りに行くよりも、走って路地を抜けた方が早い。すぐに向かうで」

「は、はい……!」

 童子はきびすを返して走り出し、その後を高校生たちが慌てて追う。

 腰に提げたブレードとサバイバルナイフがガチャガチャと音を立てる中、塩田が泣きそうな顔で呟いた。

「……も、もし……、服部さんが……、一般人に危害を加えたら……」

「………………」

 他の4人は、無言で前を見据える。

 傾きかけた陽光が照らす道を、対策官たちは懸命に直走ひたはしった。


 東京都月白げっぱく区。

 インクルシオ東京本部の5階の執務室で、南班チーフの大貫は、両手を後ろに組んで窓辺に立っていた。

 先ほどまで執務室にいた本部長の那智明は、インクルシオ総長の阿諏訪征一郎への報告の為、7階の総長室に向かった。

 大貫はまばたきもせずに、窓の外をじっと見つめる。

 やがて、真一文字に閉じた唇がゆっくりと開いた。

「……せめて……、望まぬ罪を負わせることなく……服部を……」

 細く掠れた声は、途中で切れる。

 そこから先は、言葉にすることはできなかった。

 大貫は震える唇を強く噛み、ぷつりと切れた皮膚から、一筋の血が流れた。


 東京都あま区。

 多くの店が軒を連ねる商店街“ハッピーロード”の中程で、大柄な体躯をしたインクルシオ対策官──南班に所属する服部大和は、地鳴りのような咆哮を上げた。

 その目は真っ赤に充血し、口元からはよだれが垂れている。

 服部はインクルシオの刻印の入ったブレードを無軌道に振り回し、商店街に訪れていた一般の人々を恐怖におとしいれた。

 大貫からの緊急連絡を受けて、いち早く現場に駆け付けた南班の薮内士郎と城野高之が、眼前の光景に立ち尽くす。

「は、服部……!!!」

「何てことだ……!!!」

 10メートル先で自我を失って暴れている男は、これまでに数々の死線を共に超えてきた、薮内と城野の旧知の仲間だった。

 城野の見開いた双眸から、みるみる涙が溢れる。

 薮内は「……城野っ!」と声を絞り出すと、アスファルトの地面を強く蹴った。

「二人で、服部を押さえるぞ! 急げ!」

 薮内が振り向きざまに指示し、城野が「は、はい!」と顔を上げて後に続く。

 二人は服部がブレードを振り上げた瞬間を見計らってふところに飛び込み、両腕を胴体に回して抱きついた。 

 身長188センチ、体重99キロの大柄な体躯が猛烈に抵抗する。

 服部は唾液を撒き散らして怒声を上げ、薮内と城野を引きったまま、前に足を踏み出した。

「うおぁあああぁあああぁああぁぁああぁぁぁ!!!!!!!!」

「服部!!! 頼む!!! 止まってくれぇぇ!!!」

 ワークブーツを地面にりながら、城野が涙ながらに懇願する。

 服部の凄まじい力に、薮内は「クソっ!」と吐き捨てると、腰に提げたホルダーからサバイバルナイフを引き抜いた。

「……や、薮内さん!?」

「このままじゃ、服部を止められない! 一般人を襲う前に、やるしかない!」

 そう言うや否や、薮内は逆手さかてに持った黒の刃で服部の喉元を狙う。

 城野は咄嗟とっさに右手を伸ばして、薮内の動きをはばんだ。

「……城野っ!! その手をどけろ!!」

「ま、待って下さい!! 『アンゲルス』の致死率は100パーセントです!! もう少ししたら、服部は死にます!! だから、今まで俺たちと共に戦ってきたこいつを、殺さないで下さい……!!」

 城野が悲痛に顔をゆがめて訴え、薮内は思わずサバイバルナイフを握る手の力を緩める。

 すると、服部が体を大きく捻って二人を振り払った。

「うわぁぁっ!!!」

 薮内と城野は地面に投げ出されてしたたかに腰を打ち、それと同時に、“ハッピーロード”に到着した複数の対策官が、「薮内さん! 城野!」と叫んで二人の側に駆け寄った。

 次いで、「童子班」の5人が、文房具店と理髪店の間の路地から現れる。

 高校生たちが息を切らせて視線を向けると、そこには形相を浮かべて手当たり次第の物をブレードでぎ払う服部がいた。

「おおぉぉおぉぉおぉぉおおぉぉおおぉぉぉ!!!!!!」

「……服部さん……!」

 変わり果てた服部の姿に、高校生4人が動きを止めて息を飲む。

 その時、衣料品店の軒先に置かれたワゴンの影から、「お母さん、どこ?」と小さな女の子が歩き出てきた。

 服部は獰猛に目を光らせて突進し、商店街の通りに佇んだ女の子の首を鷲掴む。

 そして、間髪入れずに、黒の刀身のブレードを振り下ろした。

「は、服部ぃぃーーーーっ!!!!! やめろぉぉーーーーっ!!!!!」

 薮内と城野が目をみはって大声をあげた──次の瞬間。

 服部と女の子の間に割って入った童子が、よだれまみれた黒のツナギ服の左胸をサバイバルナイフで貫いた。

「──…………!!!!!!」

 女の子を手放した服部が天を仰ぎ、膝から崩れ落ちる。

 大柄な体躯が地面に倒れ込む寸前で、童子が両手を出して受け止めた。

 生気を失って脱力した服部の耳元で、童子は小さく呟く。

「……服部さん。この仇は、必ず取ります」

 南班の対策官たちが「服部ぃぃ!!!!」と一斉に駆けてくる。

 まもなく、夕刻の商店街で起こった騒動は、一人のインクルシオ対策官の死亡で幕を閉じた。


 午後5時半。東京都月白げっぱく区。

 インクルシオ東京本部の地下2階には、遺体安置室がある。

 窓のない静かな部屋で、大貫は拳を握って嗚咽おえつを漏らした。

 肩を震わす大貫の隣には、本部長の那智、南班の薮内、城野、童子がいる。

 薮内と城野は上体を折り曲げて泣き、童子は唇を固く結んで立っていた。

 那智は白い布で覆われた服部の亡骸に一歩近づき、真摯な眼差しを向けて言葉をつむぐ。

「……服部大和対策官。君は立派なインクルシオ対策官だ。私は、君を心から誇りに思う」

 そう言うと、那智は服部の左手に視線を移した。

 ──数分前。童子のサバイバルナイフによって絶命した服部の左の手のひらに、何かで引っ掻いたような傷跡が見つかった。

 それは、遺体の状況から、服部が右手の人差し指の爪を噛み千切り、自ら刻んだものだと推察された。

 血が滲んだ手のひらには、カタカナで『エム』の2文字があった。

 大貫が急いであま区のデータを調べたところ、服部と城野が捜査していた住宅街に、『健康フード・エム』という有限会社があることが判明した。

「……“ハッピーロード”の周辺にある企業や店舗で、カタカナで『エム』がつくのは『健康フード・エム』だけだ。おそらく、ここが反人間組織『フロル』の拠点と見て間違いないだろう」

 那智が低く言い、大貫が顔を上げる。

 大貫は頰に流れる涙はそのままに、南班の対策官たちに告げた。

「服部は、急激に混濁していく意識の中で、必死に俺たちにこの情報を残した。服部の対策官としての気高い遺志に報いる為にも、俺たちは必ず『フロル』を壊滅する。──すぐに、突入準備だ」




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