07・約束
午前0時。千葉県南房総市。
波の音が微かに届く『カリダ南房総』のロビーで、インクルシオ千葉支部に所属する種本広海は、スマホの通話を終了した。
新人懇親会で海辺の保養所を訪れ、突如として襲来した反人間組織『アラネア』を退けた対策官たちに報告する。
「みなさん! たった今、千葉支部から連絡が入りました! 茂司の供述通り、千葉市内のマンションで『アラネア』のリーダーを確保しました! また、同じく千葉市内のクラブで、No.2の沼木を確保した模様です!」
「おお! やったな!」
『アラネア』襲撃の事後処理に駆け付けた千葉支部の対策官が行き交うロビーで、私服姿の対策官たちが湧いた。
漸く緊張の解けた各拠点の新人対策官が、「よし!」「やった!」と顔を見合わせて喜ぶ。
立川支部に所属する兼田理志が、笑顔で言った。
「上さえ押さえれば、下の構成員は芋づる式に捕まえられる。これで、『アラネア』は事実上の壊滅だな」
種本が肩を上下して、気が抜けたように息を吐く。
「ええ。まさか、こんな形で千葉最大の勢力を誇る『アラネア』を壊滅に追い込めるとは思っていませんでした。これも、みなさんのおかげです。本当にありがとうございました」
種本が頭を下げて礼を言い、兼田はサポーターを着けた右手首を上げて笑った。
「俺は、コレのせいで何もできなかった。だけど、いい結果を迎えることができたのは、ここにいる新人たちが必死に戦ってくれたからだ」
そう言って、兼田が視線を向けると、17人の新人対策官が照れて下を向いた。
「特に、俺の立ち回りがよかったな。光速の斬撃で、敵をバッタバッタと倒してさー」
「また童子さんは、お前の盛った武勇伝を聞かされるのか」
東京本部に所属する塩田渉が得意げに腕を組み、鷹村哲が苦笑する。
最上七葉が「一人の怪我人や犠牲者も出なくて、本当によかったわ」と微笑み、雨瀬眞白が「うん」とうなずいた。
兼田が周囲で忙しく動く黒のツナギ服姿の対策官を見やって言う。
「じゃあ、俺たちも事後処理を手伝うか。何か簡単なことなら出来るだろう」
「──はい!」
新人対策官たちは元気よく返事をして、深夜のロビーに散らばった。
同刻。東京都月白区。
インクルシオ東京本部の7階にある執務室で、本部長の那智明は紙コップに入ったコーヒーを飲んだ。
革張りのソファセットに座る那智の前には、南班チーフの大貫武士と、北班チーフの芥澤丈一がいる。
一時間ほど前、南班に所属する特別対策官の童子将也から『アラネア』襲撃に関する報告が大貫に入り、数分前に千葉支部の支部長からリーダーとNo.2の身柄を確保したとの一報が那智に入った。
那智は「これで、一件落着だな」と、安堵の息をつく。
芥澤が胸元のネクタイを緩めて口端を上げた。
「はっ。No.2の沼木に煽られて、No.3の茂司がインクルシオの新人懇親会を襲撃か。あの“補足情報”は、強ち無駄じゃなかったな」
芥澤の隣に座る大貫が、「そうだな」と眉尻を下げて笑う。
那智は紙コップをテーブルに置いて、「それにしても」と静かに言った。
「童子は、異動の件を高校生たちに話したか。4人は随分とショックを受けただろうな」
那智の言葉に、大貫は手元のコーヒーに目を落とした。
「……ええ。その件については、童子は誤魔化そうと思えばできたはずです。しかし、それをせずに正直に話した。雨瀬の指導担当についた理由も含め、高校生たちに隠し事をするのが嫌だったんでしょう」
「童子は、あいつらを可愛がってるからな」
芥澤が湯気の立つコーヒーを一口啜る。
那智は窓の外に広がる夜空に目を向けた。
「……童子と一緒にいられる時間に限りがあると知って、高校生たちは悲しさや寂しさを感じていると思う。だが、それと同時に、『自分たちが何をすべきか』がはっきりとわかるだろう。……外野の俺たちは余計な口は出さず、これからも「童子班」の5人を見守っていこう」
そう言うと、那智はコーヒーを飲み干した。
大貫と芥澤も、同意の表情を示して、コーヒーの残りを飲む。
そして、インクルシオの幹部3人は、それぞれの仕事に戻るべくソファから立ち上がった。
午前1時。千葉県南房総市。
多くの対策官が事後処理に動く『カリダ南房総』のロビーで、千葉支部に所属する石坂桔人と宇佐葵は、「童子班」の高校生4人に声をかけた。
「みんな、お疲れ。もう大体終わったな」
横倒しになったソファを元に戻した鷹村が「ああ」と返事をし、交戦の際に割れた花瓶の破片を片付けていた雨瀬、塩田、最上が振り返る。
石坂は爽やかな笑顔を浮かべて言った。
「今回は、大変な新人懇親会になってしまったな。だけど、個人的には『アラネア』との交戦でみんなの活躍が見れて、とてもよかったよ」
「いやいや。俺らは何もしてないよ。活躍というなら、やっぱり童子さんじゃないか?」
「そーだよ。童子さんが来たら、あっという間に戦況が変わったじゃん。あんなにイキっていた茂司だって、武器を捨てて急いで逃げようとしたし。まったく、俺の武勇伝が霞んじゃうよ」
鷹村が謙遜するように言い、塩田が唇を尖らせる。
石坂は「いや」と緩く首を振った。
「童子特別対策官はもちろんだけど、俺としては、君たちの戦う姿に学ぶところがあった。同期の新人対策官として、大きな刺激をもらったよ。ありがとう」
石坂の隣に立つ宇佐が、「私もよ」と微笑む。
塩田が「え? そぉ?」とまんざらでもない顔で返し、他の3人は面映くなって目を伏せた。
石坂が明るい声で話題を変える。
「さて。この後はどうする? せっかくだから、寝る前に少し部屋で話そうか?」
石坂の提案に、「童子班」の高校生たちは顔を上げて即答した。
「ごめん。俺らは、まだ用事があるんだ。それが終わったら、石坂君の部屋に行くよ」
「……用事? こんな夜中に?」
石坂と宇佐が、きょとんとして訊く。
「うん。俺らにとって、何よりも大事な用事なんだ。──じゃあ、また後で!」
高校生4人は手を振ると、身を翻して勢いよく駆け出した。
その先には、虎柄のTシャツにジャージ姿でロビーに佇む童子がいた。
数台の黒の車両が『カリダ南房総』から離れるのを見送った後、「童子班」の5人は、小さな波音が響く庭園に出た。
遊歩道を歩いて東屋に着くと、波が揺蕩う海を眺める。
夜半の涼しい風を頰に受けて、童子が言った。
「お前ら、『アラネア』との交戦はよう頑張ったな」
鷹村が海から視線を戻して返す。
「いえ。正直、童子さんが来るまでは、けっこう厳しい戦いでしたよ。こっちは戦闘経験の浅い新人対策官ばかりだし、『アラネア』の構成員は強かったし」
「ええ。さすが、千葉最大の反人間組織だったわね。全員が戦闘慣れしていて、手強かったわ」
最上がショートヘアの黒髪を耳にかけて言い、塩田が頭の後ろで両手を組んだ。
「でもさ。兼田さんと種本さんは、ボールペン1本で戦っててすごかったよな。兼田さんなんて、利き手が使えない状態なのに一歩も退かなくてさ。対策官としての覚悟と気迫を感じたよ」
塩田の隣に立つ雨瀬が、「うん」とうなずく。
「指導担当の対策官のみなさんは、ずっと僕ら新人のことを気にかけて戦ってた。僕は、せめて足手まといにならないようにと必死だった」
高校生たちの話を聞いた童子は、「そうか」と穏やかな声で言った。
一拍の間を置いて、「……それとな」と切り出す。
「さっき話した俺の異動の件やけど、一応極秘扱いになっとるから、周囲には内密にしてくれ」
童子が口にした『異動』の言葉に、高校生たちはぴくりと反応した。
鷹村が改まった顔つきで、「童子さん」と呼びかける。
「ん?」
「その件に関してですけど……。事後処理の時に、俺ら4人で話したんです」
夜の静寂に包まれた東屋で、童子と高校生たちは向き合った。
Tシャツの裾を海風に靡かせて、鷹村が言う。
「眞白をインクルシオに入れる為に策を講じて下さったとは言え、童子さんの異動が一年限りであることは、俺らにとって辛い事実でした。だけど、いつまでも子供のように寂しがって我儘を言っていては駄目だ。……俺らがするべき一番大事なことは、童子さんが安心して大阪支部に戻れるように、『一人前の対策官』にしっかりと成長することです」
「──…………」
「その為に、俺らは今まで以上に一生懸命に頑張ります。だから、これからもご指導をよろしくお願いします!」
「よろしくお願いします!!!」
鷹村、雨瀬、塩田、最上が揃って頭を下げ、童子は暫く言葉を失った。
やがて、言葉を噛み締めるように小さく言う。
「……俺が、必ずお前らを一人前の対策官にする。約束や」
「──はい!!!」
高校生たちのまっすぐな眼差しが、月明かりを反射して美しく輝く。
「童子班」の5人は、揺るぎない決意と大切な約束を胸に、海辺の庭園を並んで歩き出した。
<STORY:09 END>




