03・模擬と実戦
千葉県南房総市。
インクルシオ東京本部の南班に所属する「童子班」の5人は、新人懇親会に参加する為、海辺に建つ保養所『カリダ南房総』に訪れていた。
フロントでチェックインを済ませ、宿泊ルームに荷物を置いた後、新人対策官17人と指導担当者5人は、それぞれの勉強会に赴いた。
指導担当者が集う会議室では、新人教育の方針や指導方法等について意見交換が行われた。
中央に色鮮やかな生花が置かれた楕円形の会議テーブルで、立川支部に所属する兼田理志が発言する。
「細かいことだけどさ。みんなのところは、巡回ルートはどうやって決めてる?」
兼田の向かいに座る千葉支部の種本広海が手を上げた。
「うちは、巡回ルートは新人たちに決めさせてますね。それで、何故そのルートを回るのか、理由を聞いています」
種本の話に、他の支部の対策官たちがうなずく。
「うちもそうだな。巡回エリアの中には、過去に反人間組織絡みの事件があった場所とか、不審者情報の多い場所とかがあるじゃない。そういう場所を、新人たちがちゃんとわかっているのかを確認してるよ」
「そうそう。俺が巡回ルートを細かく指示してたのは最初の一ヶ月くらいで、今は新人たちが考えて決めてるな」
各拠点の指導担当者の回答に、兼田は「やっぱり、そうか」と納得した。
さいたま支部の対策官が、ふと顔を上げて言う。
「そういやさ。少し話が逸れるけど、こないだ、巡回中に新人たちがアイス食べたいって言い出してさ。任務中の買い食いは厳禁だって叱ったよ。ほんと、今の若い対策官はさ〜」
「あー。あるある。あいつら、コンビニを見ればすぐに腹減ったって言うからな」
「ははは。確かに」
会議室に笑いが起こり、兼田が隣の席を見やって訊いた。
「童子のところはどうだ? みんなと同じか?」
東京本部に所属する特別対策官の童子将也が、紙コップに入ったコーヒーを片手に口を開く。
「いえ。うちは、みなさんとはちゃいますね。巡回ルートは俺が全て決めていますし、任務中の買い食いに関しては、多少はええかなと思て許可してます」
「……え? そうなの?」
童子の言葉に、会議テーブルにつく指導担当者たちが目を丸くした。
童子はややバツの悪そうな顔をして言葉を続ける。
「はい。せやけど、みなさんの話を聞いて、ちょっと改めなあかんなと思いました。今まではよかれと思てやってましたが、新人たちの勉強の為にも、巡回ルートは俺が決めてしもたらあかんですね。買い食いの方は、うちの新人4人が食べ盛りの高校生なんで、大目に見てやりたいなと思いますけど……」
「へぇ〜。なんか、意外ですね。勝手なイメージですが、童子特別対策官はもっと厳しい方なのかと思っていました」
種本がコーヒーに手を伸ばして言い、兼田がくつくつと笑った。
「お前は、けっこう高校生たちに甘いんだな」
「それ、よう言われます。俺としては、自覚はあらへんのですけど……」
童子はコーヒーを一口飲んで、眉尻を下げる。
「あまり甘やかしていると、あいつらが親離れできなくなるぞ。指導担当期間の一年が過ぎても同じ拠点にいるとは言え、少しは自立させないとな」
そう言って兼田が笑みを浮かべ、童子は僅かに視線を落として「ええ。ほんまですね」と返した。
次いで、話題は『捜査』や『交戦』に移る。
午前中の明るい光が差し込む会議室で、指導担当者たちの勉強会は滞りなく進んだ。
午後1時半。
昼食を終えた対策官たちは、1階にある多目的スペースに集まった。
そこでは遊興を兼ねた戦闘訓練を行う予定となっており、各拠点の新人対策官は、全員が持参したジャージに着替えていた。
戦闘訓練の内容は、17人の新人対策官が一斉に交戦し、急所として設定された頭部、胸部、腹部に直径7センチ大のシールを貼り合うというものである。
シールを急所に2枚貼られた者は「負け」となり、場外に出るルールであった。
「よーし! “インクルシオ期待の星”の実力を、見せつけてやるぜ!」
スポーツシューズの紐を結んだ塩田渉が、鼻息を荒く吐く。
鷹村哲が上半身を左右に捻りながら言った。
「さっき、総務部の人が、最後の一人に残ると賞品が出るって言ってたよな。こりゃあ、何がなんでもトップを狙わなきゃな」
「雨瀬。一枚でも多く、相手にシールを貼るわよ」
「うん。すぐに場外に出ないように、頑張らなきゃ」
最上七葉と雨瀬眞白が、並んで手首を解す。
広々とした多目的スペースを前に意気込む高校生たちに、童子が言った。
「お前ら、これはあくまでも遊びやねんから、張り切り過ぎて怪我せんようにな」
「いやいや! 童子さん! 「童子班」の一員として、指導担当の童子さんに恥をかかせるわけにはいかないッスから! 俺らの勇姿を、そこで見てて下さい!」
塩田がぐっと親指を立て、童子は「ほどほどにな」と苦笑する。
鷹村が周囲で黙々とストレッチをする他の新人対策官たちに目をやった。
「……それにしても、みんな怖いくらいに真剣な顔をしてるな。勉強会や昼メシで話した時は、あんなににこやかだったのに」
「そりゃあ、そうだろ。交流イベントの一環とは言え、インクルシオNo.1の特別対策官の前で戦闘訓練なんだ。誰だって、気合いが入るさ」
塩田が不敵な笑みを浮かべて言い、鷹村が「だな」とうなずく。
雨瀬が小さいながらもしっかりとした声で言った。
「みんなは本気だ。僕らも、負けていられない」
雨瀬の言葉に、鷹村、塩田、最上が表情を引き締めた。
総務部の職員が「新人対策官のみなさーん! そろそろ、始めますよー!」と大きく声をかける。
「──おっし! 行くぞ!」
「童子班」の高校生たちは、鋭い視線を上げて、勇猛に足を踏み出した。
それから数分後。
熱戦が続く多目的スペースの片隅で、急所に2枚のシールを貼られた高校生4人は、背中を丸めて体育座りをしていた。
まだ一枚もシールを貼られていないのは、千葉支部に所属する石坂桔人のみで、指導担当の種本が声を枯らして応援している。
石坂は相手の攻撃を素早い身のこなしで躱し、一分の隙をついて、次々とシールを貼っていった。
その機敏な動きに、他の拠点の指導担当者たちが「やるなぁ」と感心する。
腕を組んで戦闘訓練を見ていた童子の隣に、兼田が立った。
「おいおい。どうしたんだ、あいつらは? 4人共、戦闘訓練が始まって5分もしないうちに場外じゃないか」
呆れた顔で言った兼田に、童子が笑う。
「模擬やから、無意識に気が緩んだんでしょうね」
「そうなのか? 開始前は、全員が目をギラギラさせてたぞ?」
「テンションが上がり過ぎて、却って判断力も集中力も低下していました」
童子の説明を聞いた兼田は、「うーん」と残念そうに呻った。
「俺は、あいつらの活躍を期待してたんだがなぁ」
各拠点の新人対策官たちが奮戦する傍らで、「童子班」の高校生たちが体を小さくして座っている。
その背中を見やって、童子は穏やかな表情で言った。
「一番大事なんは、実戦で力を発揮できるかどうかです。いざ実戦となれば、あいつらは驚くほどに強いですよ」
その後、戦闘訓練は3セットが行われ、各セットで最後の一人に残ったのは、石坂が2回、石坂と同じく千葉支部に所属する宇佐葵が1回という結果になった。
二人には賞品としてインクルシオの刻印入りのダンベルが贈られ、暖かい拍手の中、照れながらそれを受け取った。
そして、新人懇親会の戦闘訓練は、盛況のうちに終了した。
午後6時。千葉県千葉市内。
落ち着いたジャズの流れるショットバーで、反人間組織『アラネア』のNo.3である茂司篤生は、煙草を燻らせていた。
そこに、一人の構成員が店内に入ってきて声をかけた。
「茂司さん。ちょっと、面白い情報が入ったんですけど」
「何だ?」
カウンターに座る茂司が鷹揚に振り向く。
構成員が小声で耳打ちをすると、茂司の口角が徐々に上がった。
「──フン。なかなか、いい情報じゃないか」
飲みかけのウィスキーの氷が溶けて、グラスの中で傾く。
茂司は獰猛に目を光らせて、まだ長い煙草を灰皿に押し付けた。