06・激突
「てめぇが、雨瀬眞白か」
「…………」
東京都月白区の画廊『ロタ』で、インクルシオ東京本部の新人対策官である雨瀬眞白と、反人間組織『アダマス』の剛木壱太は対峙していた。
鈍色のコンクリートに囲まれた空間に、壱太の低い声が響く。
「見たところ単身のようだな。インクルシオのツナギ服じゃねぇし、武器も持ってねぇ。ここに来たのは、弍太と三太が出入りするところを偶然見たからか?」
壱太の指摘に、雨瀬はこめかみに汗を滲ませる。
この日、非番で私服姿の雨瀬は武器を所持していなかった。
インクルシオ対策官は基本的な装備としてブレードとサバイバルナイフを身につけているが、雨瀬はグラウカ特有の高い身体能力を生かした戦闘スタイルの為、武器は小さなバタフライナイフを携帯していた。
しかし、そのバタフライナイフさえ今は無い。
(……童子さんは、まもなくここに来るはずだ。それまで、何があっても剛木壱太を逃すわけにはいかない……!)
意を決した雨瀬は視線を上げた。
『OFFICE』と書かれたスチール製のドアを開いて、中に足を踏み入れる。
壱太は僅かに驚いた顔を見せた。
「ほう。逃げずに俺とやり合う気か? 武器もなしに?」
「……僕はグラウカです。武器がなくても戦える。それに、あなたたち『アダマス』はこれまでに多くの人間と対策官を殺害してきた。その人たちの為にも、僕はインクルシオ対策官としての責務を果たします」
「ハッ。グラウカのくせに人間共に与しやがって。この、“裏切者”が」
「僕はグラウカと人間が平和に暮らせる世の中を望んでいるだけです」
「下らない綺麗事を言うなよ。俺らも人間も、望んでいるのは“支配”と“殺し合い”だ。そうして、強い方が生き残る」
「そんな考え方は、間違っている」
「いいや。これは真理だ。間違っちゃいない」
壱太はスラックスのポケットに手を入れると、小型ナイフを取り出した。
ナイフの刃が窓から差し込む光を鈍く反射する。
「だが、互いに分かり合えないのなら仕方がない。俺はここでお前を殺す」
壱太が鋭く睨み、雨瀬は姿勢を低くして身構えた。
「──せいぜい愉しませてくれよ! グラウカの対策官さんよ!」
そう叫ぶと、壱太はフローリングの床を蹴って飛び上がる。
雨瀬は立っていた場所から一歩も退くことなく、壱太とナイフを受け止めた。
「ここだわ!」
画廊『ロタ』の前に、黒のジープが停止した。
インクルシオ東京本部の南班に所属する特別対策官の童子将也、同じく南班に所属する新人対策官の鷹村哲、塩田渉、最上七葉がドアを開けて飛び降りる。
「童子さん! 画廊の中は誰もいません!」
ガラス張りの外壁から中を覗いた塩田が叫んだ。
「展示スペースの奥にもう一部屋ある。おそらく、雨瀬と剛木壱太はそこや。急ぐで」
童子は画廊のドアを引くと、素早く中に侵入した。
インクルシオの刻印の入ったブレードとサバイバルナイフを腰に装備した高校生たちが、その後に続く。
(眞白……! 無事でいてくれ……!)
鷹村は焦る気持ちを抑えて、展示スペースの奥に走り出した。
すると、背後から「何だお前らぁ?」と呻るような声がかかった。
対策官たちが振り向くと、画廊の入り口に、三つのダイヤモンドと“ADAMAS”の文字のタトゥーを入れた二人の男が立っていた。
「──っ!!!」
「ア、ア、ア、『アダマス』の、剛木弍太と剛木三太……っ!!!」
鷹村が足を止めて目を瞠り、塩田が喉から掠れた声を出す。
「最悪のタイミングで現れたわね……!」
最上が振り向きざまにブレードの鞘に手をかけた。
「お前ら止まんな! 奥の部屋に走れ!」
童子が大声で怒鳴り、高校生3人はハッと顔を上げる。
「早う行け! 雨瀬は任せるぞ!」
「──!」
童子の言葉に、鷹村は体の向きを変えて床を蹴った。
最上と塩田が、猛然と駆け出した鷹村の後を追う。
『OFFICE』と書かれたスチール製のドアは、高校生たちの眼前に迫っていた。
「……お前、童子将也か?」
コンビニエンスストアのビニール袋を持った剛木弍太が、訝しむように訊いた。
剛木三太が「えっ?」と驚いて、隣に立つ弍太を見る。
「私服姿だが、そうだよな? 何故、お前がここにいる? 所属は大阪じゃないのか?」
弍太の額にうっすらと汗が滲んだ。
虎柄のシャツにジーンズ姿の童子は、弍太と三太に向き直る。
「いろいろと事情があってな。こっちに異動してきたんや」
そう言いながら、童子はジーンズの腰に差し込んだサバイバルナイフに手をかけた。
「ずっと、お前らに会いたかったで。お天道さんに礼を言わんとな」
童子の鋭い眼光が二人を射抜く。
弍太は「……チッ」と忌々しげに舌打ちをした。
雨瀬と壱太は、縺れ合って床に転がった。
壱太はすかさず雨瀬に馬乗りになり、左手で額を押さえ付け、ナイフを細い首の真横に突き立てた。
『アダマス』のタトゥーが彫られた舌を出して笑う。
「いくらグラウカでも、頸動脈を切れば失血で気を失う。だが、すぐに『アンゲルス』で再生して意識を取り戻す。そこでまた頸動脈を切る。それを繰り返して、飽きたら脳下垂体を刺して殺す。俺がこのやり方を選ぶのは、相手を嬲り殺すのが大好きだからだ」
壱太はサディスティックに顔を歪ませると、手に力を入れてナイフぐぐぐ、と倒した。
「……くっ……!!!」
雨瀬は壱太の右腕を両手で掴んで阻みながら、周囲に視線を巡らす。
『OFFICE』の床に落ちていたボールペンが目に入り、咄嗟に指を伸ばした。
「ほらほらほら! もうすぐ血管が切れるぞ!」
口角を上げて犬歯を剥き出した壱太のナイフが雨瀬の首に埋まる。
それと同時に、雨瀬が引き寄せたボールペンを壱太の左目に突き刺した。
「くっ、あああぁぁっ……!!!!」
「ぐおおおおぉぉぉぉっ!!!!」
互いの損傷箇所から鮮血が吹き出し、もうもうと白い蒸気が上がる。
壱太の左目に深々と突き刺さったボールペンは、雨瀬が狙った脳下垂体を僅かに外した。
「うお……あぁああぁ……!!! この……クソガキがぁっ!!!」
左目を押さえた壱太が、雨瀬の首に埋めたナイフを力任せに押し込む。
「ああぁぁああぁぁっ!!!!!」
雨瀬の首から夥しい鮮血が吹き出し、意識が急速に遠のいた。
──その時。
ゴッという大きな音が響き、壱太の額から黒の刀身の切っ先が突き出た。
大きく口を開いた壱太は、そのままゆっくりと床に崩れ落ちる。
「眞白っ!!! 大丈夫かっ!!!」
壱太の後頭部からブレードを引き抜いた鷹村が叫んだ。
最上と塩田が、床に横たわる雨瀬の側に駆け寄る。
「雨瀬! 雨瀬!」
「うわわわわ! 血がいっぱいじゃん! 大丈夫かよ、雨瀬ぇー!」
最上と塩田の悲壮な声に、雨瀬は「……大丈夫だよ……」と小さく微笑んだ。
「大丈夫か。雨瀬」
そこに、童子の声が聞こえた。
童子は弍太と三太の襟首を掴み、ずるずると引き摺って『OFFICE』に入ってくる。
二人はすでに生気を失っており、それぞれの眉間にはサバイバルナイフが貫通した痕が残っていた。
「童子さん、ハンパねぇ……!」
塩田が目を丸くすると、画廊の入り口から複数の足音が聞こえてきた。
「……中央班の対策官が到着したようやな」
童子はドアの向こうに目をやり、ふっと息をついた。
ほどなくして、画廊『ロタ』は多くの対策官でごった返した。
鷹村は雨瀬をおぶってジープまで運び、童子は南班チーフの大貫武士に報告の連絡を入れた。
やがて、黒のジープは公道を走り出し、インクルシオ東京本部に戻っていった。