02・新人懇親会
午前9時。千葉県南房総市。
広大な海を見下ろす景勝地に建つ保養所『カリダ南房総』に、インクルシオ東京本部の南班に所属する「童子班」の5人が到着した。
この日は一泊二日で行われる新人懇親会の初日で、行事を取り仕切るインクルシオの総務部の職員が、「対策官のみなさんはこちらです」とロビーに案内する。
一般客が往来するロビーの一角には、すでに十数人の対策官が集まっていた。
「おー。みんな、来てるなぁ」
デイパックを肩に掛けた塩田渉が、うきうきと声をあげる。
「やっぱり、知らない顔がけっこういるな。交流をするのが、楽しみだな」
塩田の隣を歩く鷹村哲が、前方の対策官たちを見やって言った。
新人懇親会の参加者は、東京本部4人、立川支部4人、横浜支部4人、さいたま支部3人、千葉支部2人の新人対策官17人と、各拠点の指導担当者5人の合計22人であった。
また、新人対策官は、全国に6ヵ所あるインクルシオ訓練施設から本人の希望や拠点の募集状況を鑑みて配属されており、たとえ近隣エリアの拠点であっても、同じ訓練施設の出身とは限らない。
その為、この新人懇親会で初めて顔を合わせるというケースも少なくなかった。
「……僕、緊張してきた……」
白のTシャツに色落ちしたジーンズを履いた雨瀬眞白が、身を縮こませて呟く。
パフスリーブのカットソーにスキニージーンズを合わせた最上七葉が、「大丈夫よ」と雨瀬の肩を叩いた。
二頭の虎がプリントされたシャツを着た特別対策官の童子将也が、総務部の職員と共にフロントでチェックインの手続きをする。
童子は宿泊ルームのカードキーを持って、高校生たちの側に戻ってきた。
「俺らの部屋は、5階やて。一人につき一部屋で、なかなか贅沢やな」
「イエー! 俺の部屋、オーシャンビュー!」
「ここの部屋は、全てオーシャンビューだけどな」
童子からカードキーを受け取った塩田がはしゃぎ、鷹村が苦笑して突っ込む。
そこに、一人の対策官がやってきた。
「お前たち、久しぶりだな」
「兼田さん!」
水色のポロシャツにスラックス姿の対策官は、立川支部に所属する兼田理志だった。
「童子班」の高校生たちは、一ヶ月ほど前に、木賊第一高校の体験学習で奥多摩のキャンプ場を訪れた。
その際に反人間組織『トレデキム』の襲撃を受け、4人が孤軍奮闘で交戦する中、立川支部の兼田たちがいち早く加勢に駆け付けた。
「あの時は、世話になったな。お前たちのおかげで助かった」
「いやいやいや! 助けてもらったのは、こっちです!」
塩田が慌てて手を振り、童子が「お久しぶりです」と兼田に挨拶を返す。
童子はサポーターを着けた兼田の右手首を見て言った。
「手首の怪我の方は、どうですか?」
「ああ。ポッキリと骨が折れていたから、手術でプレートを入れて固定したよ。今は、リハビリ中だ」
兼田の返答に、鷹村が心配そうに訊ねる。
「こういう行事に参加しても、大丈夫なんですか?」
「まぁ、通常の任務は離れているから、これくらいはな。俺も指導担当として新人懇親会は楽しみにしていたし、無理をしなければ平気だよ」
兼田は爽やかな笑顔で言うと、「じゃあ、また後でな」と左手を上げて去っていった。
塩田が頭の後ろで両手を組んで言う。
「兼田さん、元気そうでよかったな」
鷹村が「そうだな」と返し、雨瀬と最上がうなずいた。
童子が「ほな、部屋に荷物を置いてくるか」と足を踏み出す。
すると、5人の背後から、「おはようございます!」と元気な声がかかった。
「童子班」の面々が振り向くと、背筋をぴんと伸ばした3人の対策官が立っている。
「──あっ!」
高校生たちが明るい声で反応し、チェック柄のシャツを着た細面の対策官が一歩前に出た。
「みなさん、初めまして。僕は千葉支部に所属する種本広海と言います。ここにいる新人対策官の石坂桔人と、宇佐葵の指導担当をしています。今回はどうぞよろしくお願いします」
種本が頭を下げ、後方にいる二人が「よろしくお願いします!」と続く。
種本は27歳、石坂と宇佐は17歳の高校2年生であった。
「初めまして。こちらこそ、よろしくお願いします」
童子が同様に頭を下げると、種本は頰を紅潮させて言った。
「いやぁ。まさか、こんな場で童子特別対策官にお会いできるとは。インクルシオNo.1の実力者が目の前にいると思うと、緊張を通り越して舞い上がってしまいます」
「そんなに持ち上げんといて下さい。ところで、うちの新人たちがそわそわしとるんですが……」
「童子さん! 石坂君と宇佐ちゃんは、俺らと同じ訓練施設だったんスよ!」
塩田が待ちきれない様子で口を挟み、童子が「そうなんか」と千葉支部の新人対策官二人に目をやる。
「埼玉の訓練施設で、共に切磋琢磨した仲間です。二人はすごく優秀で、石坂君なんて『総合評価1位』だったんですよ」
鷹村が得意げに言い、石坂が直立不動の姿勢を崩して慌てた。
「や、やめろよ鷹村。こんなすごい人の前で……」
「だって、本当のことじゃん。俺も眞白も、石坂君には全然敵わなかった」
鷹村の隣に立つ雨瀬が、「うん」と白髪を揺らして相槌を打つ。
最上が「訓練生時代は、常に石坂君と葵ちゃんを目標にしていたわ」と微笑み、宇佐が「ば、ばか。何言ってんの、七葉」と耳を赤くしてうつむいた。
恐縮して肩を小さくした二人に、童子が言った。
「年上の訓練生が多い中で、優秀な成績を収めたんは誇れることや。自分らの実力を過小評価することなく、これからもしっかりと鍛錬して伸ばしていってや」
「──は、はい! ありがとうございます!」
童子の言葉に、石坂と宇佐が顔を上げて目を輝かせる。
種本が腕時計をちらりと見やって、旅行用の鞄を持ち直した。
「引き止めちゃってすみません。そろそろ、上に行きましょうか」
「そうですね」
そう言って、童子と種本は並んで歩き出した。
高校生の新人対策官たちがその後を追いかけ、エレベーターホールに向かう。
青色のコットンシャツにジーンズ姿の石坂が、小声で言った。
「……童子特別対策官、めちゃくちゃカッコイイな」
塩田がにんまりとして、「だろ?」と返す。
「ああ。久しぶりにみんなにも会えたし、楽しい二日間になりそうだ」
「ずっと、この新人懇親会を楽しみにしてたのよ」
石坂と宇佐が嬉しそうに言い、鷹村、雨瀬、塩田、最上が笑みを浮かべる。
壁一面のガラス窓から差し込む明るい光の中を、新人対策官たちは意気揚々と進んだ。
午前10時。東京都月白区。
インクルシオ東京本部の1階にある『カフェスペース・憩』で、本部長の那智明、北班チーフの芥澤丈一、南班チーフの大貫武士は、窓際のテーブルについていた。
3人は定例の幹部会議を終えた後で、テーブルの上には資料の束が置いてある。
ホットコーヒーを一口飲んで、那智が言った。
「今頃、「童子班」の連中は千葉の南房総か」
「あー。そうだな。奴ら、一泊二日で新人懇親会だったっけ。いいところで骨休めができて、クソ羨ましいぜ」
芥澤がアイスコーヒーをストローで啜り、大貫がほうじ茶ラテのカップを両手で包んで言った。
「千葉と言えば、大きな反人間組織に『アラネア』がありますね。最近の動きは、どうなんでしょうか?」
「そうだな。特に、千葉支部からの目立った報告はないな」
那智が答えると、大貫は「そうですか」と安堵したように息をつく。
那智は窓の外に目を向けて言った。
「新人懇親会は、あいつらにとって束の間の休息だ。こんな時くらいは、何も起こらないことを祈ろう」
芥澤が「だな」と同意し、大貫がうなずく。
ほどなくして、インクルシオの幹部たちはドリンクを飲み干すと、資料を手にしてテーブルから立ち上がった。