表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
グラウカ  作者: 日下アラタ
STORY:08
56/224

05・闇の中

 午後10時45分。東京都伽羅きゃら区。

 日中の気温が下がりきらない夜の街に、複数のワークブーツが降り立った。

 4月に倒産した冷凍食品会社「クール石井」から300メートルほど離れた民営駐車場で、黒のツナギ服を纏った男たちが闇に乗じてうごめく。

 インクルシオ東京本部の西班に所属する特別対策官の真伏隼人は、生暖かい夜風に顔をしかめて、左腕の腕時計を見やった。

「真伏さん。あと15分で突入ですね」

 同じく西班に所属する佐々木悟が、駐車場に佇む真伏に声をかける。

 真伏が中心となって組んだ突入チームは7人で、オペレーターは置いていない。

 佐々木は駐車場の先に目をやって言った。

「突入は慣れてるつもりですけど、なんだか緊張してきましたよ。交戦の最中にトイレに行きたくなったら、マズいなぁ」

 おどけるように笑った佐々木に、真伏がそっけなく返す。

「お前たちの相手は『ノクス』だ。ただのチンピラ連中に、緊張する必要はない」

 佐々木は「ですよね」と眉尻を下げると、すぐに真顔になった。

「……真伏さんの相手は、乾エイジですね。かなり手強いでしょうが、真伏さんなら、必ず奴を確保してくれると信じています」

「………………」

 佐々木の真摯な言葉が夜の闇に消え、真伏は黙ったまま前を見つめた。

 そして、腰に提げたブレードを、指先でひと撫でした。


 午後10時50分。東京都月白げっぱく区。

 インクルシオ東京本部の3階にあるオフィスで、南班に所属する特別対策官の童子将也は、ノートパソコンに向かっていた。

 反人間組織に関する最新情報と、各班の捜査状況等を確認し、次いで高校生の新人対策官4人の日報に目を通す。

 塩田渉の日報の『その他』欄に書かれたなぞなぞに回答したところで、童子はノートパソコンから顔を上げて一息ついた。

 デスクに置いた缶コーヒーを手に取り、壁に掛かった時計を見上げる。

「……童子さーん」

 すると、オフィスのドアから、ひょっこりと塩田が顔を出した。

 塩田の後ろには、鷹村哲、雨瀬眞白、最上七葉がいる。

 ラフな私服姿の高校生たちに、童子は「どないした?」と椅子を回して訊いた。

「いやぁー。西班の突入がもうすぐだと思うと、ドキドキしてきちゃって……」

「童子さんはまだ仕事中なのに、邪魔してごめんなさい」

 童子の側にやってきた塩田が頭を掻き、最上が肩を小さくして謝る。

 童子は「かまへんで」と優しく言うと、手にした缶コーヒーを一口飲んだ。

「突入は、もうまもなくやな」

「ええ。無事に終わることを祈ってますけど、やっぱり心配だな……」

 鷹村が呟くように言い、雨瀬がやや不安げな表情でうなずいた。

 童子は穏やかな声で、高校生たちに言った。

「今回の突入は、乾エイジを捕らえる千載一遇のチャンスや。これを真伏さんが逃すはずがあらへん。きっと、大丈夫やで」


 午後11時。東京都伽羅きゃら区。

 冷凍食品会社「クール石井」の敷地内の倉庫に、グラウカの犯罪グループ『ノクス』のリーダーの遠田文貴と、6人の構成員が足を踏み入れた。

 窓から差し込む月明かりがぼんやりと照らす倉庫は、発泡スチロールや段ボール等の資材が雑然と積まれている。

「文貴。陽介の奴、腹痛で少し遅れるってよ」

 構成員の一人が、スマホに着信した伊井田陽介のメッセージを遠田に伝えた。

 遠田は「そうか」と短く返事をすると、倉庫の奥の暗がりに視線を向ける。

 そこには、短髪をくすんだシルバーブルーに染め、裾の長い上着を羽織った長身の男──乾エイジが立っていた。

 遠田は両手をカーゴパンツのポケットに入れたままで言った。

「乾さん。依頼通りに、何人かのグラウカを誘拐してあんたに渡した。礼金の残りをもらいたい」

「ああ。とても、いい仕事をしてくれたよ。ありがとう」

 乾は切れ長の目を細め、黒のパンツのポケットに右手を入れた。

 その中から、薄茶色の封筒ではなく、鋭利に光る物体がちらりとのぞいた──その時。

 耳をつんざく音を立てて倉庫の窓が割れ、入り口の扉が勢いよく開いた。

「インクルシオだ!!! そこを動くな!!!」

「──っ!?」

 割れた窓と開いた扉から、インクルシオ対策官たちが飛び込んでくる。

 乾が周囲に顔を巡らし、『ノクス』の構成員が驚いて体を硬直させた。

 対策官の一人が黒革製の鞘からブレードを引き抜いて叫ぶ。

「大人しくしろ! 少しでも抵抗すれば、お前たちを殺す!」

「……ク、クソっ! お前ら、ボーッとすんな! こいつらを殺せ!」

 遠田が大声で怒鳴り、『ノクス』の構成員たちが慌ててナイフを取り出す。

 それまで静かだった倉庫内は、一気に騒然となった。

 様々な資材や物が床に散乱し、辺りに大量のほこりが舞い上がる。

「うわっ……!!」

 双方入り乱れての交戦の最中さなか、突入チームの一員である佐々木は、床に落ちた段ボールを踏んで足を滑らせた。

 そのまま数歩後退し、発泡スチロールの山に背中から突っ込む。

「やべっ……!」

 佐々木はすぐさま起き上がり、ブレードを持ち直して体勢を整えた。

 ──次の瞬間。

 佐々木の両目が大きく見開いた。

 倉庫の中央付近には真伏がおり、『ノクス』の構成員を次々と斬り倒している。

 その黒の刀身のブレードは縦横無尽に宙を舞い、目にも留まらぬ速さで相手の急所を仕留めていく。

 いつもなら、「さすが真伏さん!」と称賛を送っているところだが、佐々木の顔は強烈な違和感に強張こわばった。

 喉奥からせり上がるような疑問が、口をついて出る。

「……ま、真伏さん……? 乾エイジは……?」

 つい5分前、びた鉄製の扉から突入した真伏は、脇目も振らずに倉庫の奥に向かった。

 『ノクス』の7人の“露払い”は他の対策官たちの役割で、真伏はキルリストの個人最上位に載る強敵の相手をしているはず──だった。

 佐々木は、眼球をゆっくりと動かした。

 真伏のわずか1メートル後方の位置で、乾が鷹揚な動作でナイフについた血を払っている。

 乾の足元には、突入チームの対策官5人が、すでに生気を失った顔で倒れていた。

 乾は血溜まりの中の亡骸を見下ろして言った。

「……なんだ。思ったより、手応えがなくてつまらないな」

「馬鹿を言うな。俺が阻止しなかったら、危うく童子がここに来るところだった」

「え? そうなの? それはヤバいな。助かったよ」

 そう言って、大仰に肩をすくめた乾に、真伏は荒くため息を吐く。

 佐々木は目の前で何が起こっているのか、全く理解できずにいた。

 まるで深い泥濘ぬかるみにはまったように全身が硬くなり、ブレードを持つ手が無意識に震える。

 その様子に乾が気付き、薄い笑みを浮かべた。

「……さてと。君が最後だな」

「……!」

 上着の長い裾をひるがえして、長身の男がゆらりと近付いてくる。

 佐々木は咄嗟とっさに真伏を見た。

 それは、助けを懇願する眼差しだった。

 真伏は佐々木を見返したが、同じワークブーツを履いた足は、薄暗い闇の中から動くことはなかった。


 午後11時30分。東京都月白げっぱく区。

 インクルシオ東京本部に凶報が入った。

 伽羅きゃら区の冷凍食品会社「クール石井」に突入した西班の対策官6人が殉職し、真伏は怪我こそなかったものの、すんでのところで乾を取り逃がした。

 また、『ノクス』はリーダーの遠田を含めた構成員全員が死亡した。

 これにより、誘拐されたグラウカの行方と乾の目的は、依然不明のままとなった。

「………………」

 3階にあるオフィスで、緊急連絡を受け取った童子が沈黙する。

 童子の周りに集まって結果を待っていた「童子班」の高校生たちは、一様に言葉を失った。

 窓の外には、夜空が広がっている。

 先ほどまで煌々(こうこう)と光っていた月は、いつのまにか、濃い暗雲に覆い隠されていた。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ