04・拒絶と事実
東京都月白区。
午後3時半を回った時刻、インクルシオ東京本部の5階にある執務室のドアが、乾いた音を立ててノックされた。
執務机の椅子に座った西班チーフの路木怜司が、「入れ」と平坦な声で言う。
「失礼します」
許可を得てドアを開けたのは、西班に所属する特別対策官の真伏隼人だった。
室内にはすでに、南班チーフの大貫武士と、南班に所属する特別対策官の童子将也の姿があり、真伏は二人を一瞥して入室した。
執務机の前に立った大貫が、「それでは、早速だが」と話を始める。
「本日、空五倍子区で拘束した伊井田陽介の供述によると、『ノクス』は明日の午後11時に、伽羅区にある冷凍食品会社「クール石井」の倉庫で乾エイジと会う予定とのことだ。また、『ノクス』が誘拐したグラウカは、手足を縛って口を塞いだ上で公園のトイレの個室に入れ、その後に乾が引き取りに来るという段取りだったらしい」
大貫は「それと」と言葉を続けた。
「これは念の為だが、先ほど伊井田のスマホから、「今夜は女と過ごすから無粋な連絡はよしてくれ」と、仲間の構成員たちに送っておいた」
大貫の説明を受けて、路木が両手の指を組み合わせた。
「それでいいでしょう。補足ですが、冷凍食品会社「クール石井」は今年の4月に倒産しています。現在は、昼も夜も会社の敷地内に人影はありません。乾と『ノクス』が金の受け渡しで会うには、うってつけの場所と言えますね」
大貫は「そうだな」とうなずき、路木を見やって言った。
「路木。突入チームが決まったら教えてくれ。打ち合わせに、童子を行かせる」
「インクルシオNo.1の戦力を貸していただけますか。それはありがたい」
そう言うと、路木は怜悧な眼差しを童子に向けた。
童子は両腿に2本のサバイバルナイフを装備し、手を後ろに組んで立っている。
その時、「ちょっと待って下さい」と真伏が一歩前に出た。
「路木チーフ。明日の突入は、西班の対策官だけで十分です。童子は必要ありません」
はっきりとした口調で言った真伏を、隣に立つ童子が見る。
大貫が「いや」と思わず口を挟んだ。
「真伏。今回の突入は特別だ。『ノクス』だけならまだしも、あの乾がいるんだぞ? 過去に122人もの対策官を殺害した男を確保するには、童子の力が必要だ」
「いいえ。俺一人で事足ります」
真伏の頑なな態度に、大貫は困惑したように眉根を寄せる。
それまで黙っていた童子が口を開いた。
「乾エイジは、俺が相手をします。真伏さんは突入チームを指揮して、『ノクス』のリーダーと構成員を確保して下さい」
「……何を勝手なことを言っている?」
「俺が、確実に乾を捕まえるて言うてるんです。任せてもらえませんか?」
「生意気なことを言うな! これは、西班の仕事だ!」
真伏は目を吊り上げて激昂すると、路木に顔を向けた。
「路木チーフ。『ノクス』はただのチンピラグループです。奴ら程度の確保は、うちの対策官たちで問題ありません。乾については、わざわざ童子の力など借りずとも、必ず俺が拘束してみせます」
一瞬、室内がしんと静まり返った。
大貫と童子が、執務机につく路木に目をやる。
路木は浅く息をついて、無機質な表情で「大貫チーフ」と呼びかけた。
「真伏はこう言っています。仕方ないですね」
午後4時。
インクルシオ東京本部の1階のエントランスで、南班に所属する「童子班」の高校生たちは、驚愕の声をあげた。
「ええっ!? 何だよ、それ!? 童子さんが行かないで、どーすんだよ!?」
「相手はあの乾エイジだぞ? 精鋭は多い方がいいに決まってるのに……」
エントランスで合流した童子の話を聞いた塩田渉が憤り、鷹村哲が眉間に深く皺を寄せる。
その横には、任務帰りにたまたま通りかかった、北班に所属する特別対策官の時任直輝がいた。
黒のツナギ服を着た最上七葉が、疑問を口にする。
「何故、真伏さんは、童子さんの協力を拒絶するのかしら?」
「そんなの、童子さんに対抗心があるからに決まってるよ! あとは、手柄を独り占めしたいとかさー!」
塩田が鼻息を荒げて言い、隣に立つ雨瀬眞白が小さくため息を吐いた。
背中と腰に4本のブレードを装備した時任が、顎を手で撫でて言う。
「……あれかな。やっぱり、真伏さんは路木チーフに認められたいという思いが、人一倍強いのかもな」
時任の言葉に、高校生たちが「……?」と首を傾げる。
童子が高校生たちに言った。
「あの二人は、親子やねん」
「え、えええええぇぇぇーーーーーっ!!??」
予想外の事実に、高校生4人の大声がエントランスに響く。
インクルシオの職員や外部からの来客が振り向き、童子は「しぃ。静かに」と口元に人差し指を立てて、高校生たちと共にエントランスの隅に寄った。
「……そ、その話、マジっすか!? でも、路木チーフと真伏さんは、苗字が違いますよね?」
塩田が目を丸くして訊ね、時任が小声で答える。
「実は、路木チーフは離婚しててな。真伏さんは、幼い頃に母親側に引き取られたそうなんだ。それで、真伏さんは父親である路木チーフの下で働きたいとインクルシオ対策官を志してな。訓練施設で優秀な成績を収めて東京本部への採用が決まると、西班への配属を強く希望した。その後は、西班で数々の輝かしい功績をあげ、ついには特別対策官にまで上り詰めたんだ」
高校生たちは、「……そうだったんだ……」と毒気を抜かれたように呟いた。
時任は頭をぽりぽりと掻いて言った。
「これは、インクルシオ対策官ならわりと知ってる話だよ。だけど、敢えて吹聴する必要はないから、お前たちが初めて聞いたってのも無理はない」
「……そういう話を聞くと、真伏さんを見る目が変わってくるよなぁ〜」
塩田が下唇を突き出して言い、鷹村が「でも」と険しい表情を浮かべた。
「真伏さんの境遇と突入の件は、別じゃないか? 真伏さんが路木チーフにいいところを見せたい気持ちはわかるけど、だからと言って、最善策の提案を受け入れないのは駄目だろう。どう考えても、今回は童子さんが行くべきケースだ」
最上が「その通りね」と相槌を打ち、雨瀬が「僕も、哲と同じ意見だ」とうなずく。
童子は目の前の高校生たちを見やって言った。
「今回の任務の決定権は、伽羅区を管轄する西班にある。あとは、黙って真伏さんに任せるしかあらへん。……まぁ、そうは言うても、真伏さんならきっと大丈夫やろう」
「そうだな。真伏さんの実力は、折り紙つきだからな」
そう言って、時任は大きく伸びをした。
「さてと。そろそろ、仕事に戻るか。デスクワークが溜まりに溜まってんだ」
塩田が「ヤベ。俺も、今日の報告書を書かなきゃ」と反応する。
対策官たちはそれぞれに足を踏み出すと、淡いオレンジ色の陽光が照らすエントランスを後にした。
午後9時。
インクルシオ東京本部の敷地内に建つトレーニング棟の2階で、真伏は汗を流していた。
ガラス張りの壁から外の景色を臨み、ランニングマシンで黙々と走る。
室内に冷房が効いている分、この時期は外よりも長い距離を走ることができた。
「真伏さん。少し、休憩しませんか?」
真伏の隣で走っていた佐々木悟が、息を上げて言った。
佐々木は西班に所属する23歳の対策官で、真伏の1年後輩である。
「休憩なら、一人で勝手にしろ。俺はまだ走る」
「えー。そんな冷たいこと言わないで下さいよー」
ランニングマシンを降りた佐々木は、ベンチに置いたスポーツドリンクに手を伸ばした。
佐々木は冷たいドリンクを飲んで一息つくと、汗を滲ませた真伏の背中に言った。
「明日の突入、真伏さんが乾を確保したら、すごい功績になりますね」
「……フン。そんな瑣末な功績など、どうでもいい」
「いやいやー。相手はキルリストの個人最上位ですよ? 路木チーフだって、きっと誇らしく思って……」
「うるさい。もう黙れ」
真伏がガラス越しに佐々木を睨み、その鋭い眼光に佐々木は口を噤む。
真伏は視線を外すと、再び走ることに集中した。
(……俺が欲しいものは、安い功績なんかじゃない。父さんに、もっと大きな……)
壁一面のガラスの向こうには、夜の街が広がっている。
真伏は光と闇の入り混じる景色を、じっと見下ろした。




