02・密会
午後6時。東京都月白区。
インクルシオ東京本部の1階にある大会議室で、南班の捜査会議が開かれた。
南班チーフの大貫武士が演台に手をつき、険しい表情で言う。
「皆、午前中に送った緊急連絡はすでに確認済みだな。伽羅区の防犯カメラに乾エイジが映っていた件だ。これに関連して、先ほど、気になる事件が起きた。手元の資料を見てくれ」
大貫が促すと、大会議室に集まった対策官たちが手にしたA4用紙をめくった。
そこには、二枚の画像がプリントされていた。
「本日の午後3時頃、水縹区と乙女区の路上で、グラウカ誘拐事件が発生した。やや不鮮明だが、双方の現場近くの防犯カメラには、『ノクス』というグループの構成員が映っている。『ノクス』は伽羅区を中心に活動するグラウカの犯罪グループで、構成員はリーダーを含めて8人。そして、この『ノクス』のリーダーの遠田文貴が、昨夜遅くに乾と会っている」
大貫の言葉を受けて、前から2列目の長机に座った塩田渉が小声で言った。
「……『ノクス』ってさ、窃盗や詐欺をやってるチンピラグループだっけ?」
塩田の隣に座る最上七葉が、声を潜めて答える。
「ええ。あとは、暴行とか恐喝ね」
最上の隣の鷹村哲が、資料に目を落として呟いた。
「これ……。乾エイジはわざとかもしれないけど、『ノクス』の構成員が防犯カメラに映ったのは、ただのミスだろうな。何かの狙いや特別な意図があるような、賢い犯罪ができるグループとは思えない」
鷹村の隣の雨瀬眞白が「うん」と同意を示し、特別対策官の童子将也が黙ったままうなずいた。
大貫はまっすぐに前を見据えて言った。
「本日に起こった『ノクス』の2件のグラウカ誘拐事件と、乾の関連性については、それぞれの区を管轄する西班と東班が捜査中だ。だが、十中八九、今回の誘拐事件は乾の指示による犯行とみていいだろう。……言うまでもないが、乾は我々のキルリストの個人最上位に載る人物だ。この先、奴はどこに現れるかわからない。もし奴に遭遇したら、その場で即刻殺害しろ」
大貫の容赦のない指示が、会議室に重たく響く。
南班の対策官たちは唇を引き結ぶと、しっかりと首肯した。
午後8時。
インクルシオ東京本部の隣に建つ寮の食堂で、「童子班」の面々は夕食を済ませた。
5人の座るテーブルには、北班に所属する特別対策官の時任直輝と、同じく北班の市来匡の姿がある。
湯飲みに入った緑茶を啜って、時任が言った。
「それにしても、乾エイジが東京に戻ってきたのは久しぶりだな。2年ぶりか?」
ホットコーヒーに砂糖を入れた市来が、「ええ。それくらいですね」と返す。
鷹村がアイスコーヒーのグラスを前にして、神妙な面持ちで言った。
「乾エイジについては、訓練生時代に勉強したけど……。正直、“大物”過ぎて、いまいちピンとこないな」
「それ、わかるー! 訓練生ん時に、座学で嫌というほど出てきた名前だもんなぁ。キルリスト個人2位の獅戸安悟や、反人間組織で最上位の『イマゴ』もそうだけど、実際に会ったらネームバリューでビビりそうだよー」
鷹村の向かいに座る塩田が声をあげ、ピーチフレーバーの紅茶を飲んだ最上が「情けないわね」と息をつく。
童子が玄米茶の湯飲みをテーブルに置いて、高校生たちに訊いた。
「乾に関して、訓練施設ではどれくらい習ったんや?」
童子の質問に、アイスウーロン茶のグラスを持った雨瀬が答えた。
「ええと……。乾エイジは、グラウカの男性で現在25歳。外見の特徴は、185センチの長身で細身。短めの髪をシルバーブルーに染めている。思想は極度の『グラウカ至上主義』で、人間をこの世から排除する為に殺人を犯す。これまでに殺した人間は優に千人を超え、その中には、インクルシオ対策官も多く含まれる」
雨瀬の回答を聞きながら、塩田が「うんうん。そんな感じ」と相槌を打つ。
童子は「まぁ、そんなところやな」と言って、高校生4人を見やった。
「一つ補足すると、乾がキルリストの個人最上位になっとるんは、対策官の殺害数がずば抜けて多いからや。奴が過去に殺した対策官は122人。武闘派で知られた反人間組織『アダマス』の剛木三兄弟でも、3人合わせて44人やった。……つまり、乾は桁違いに強いということや」
童子の説明に、高校生たちがごくりと唾を飲み込む。
市来が「決して油断はできない人物ですね」と低く言い、時任は緑茶を一気に飲み干した。
「……しかし、乾は何が目的で『ノクス』を使ってグラウカを誘拐してんだ? 水縹区と乙女区の被害者は、特に反人間組織の構成員というわけでもない、一般のグラウカなんだろう?」
「それって気になりますよね。今のところ、身代金の要求とかもないようですし。もしかして、『コルニクス』みたいに、人身売買が目的なのかな……」
鷹村が顎に手を当てて言い、塩田が「わかんねぇよなぁー」と腕を組む。
童子が静かな口調で言った。
「何が目的なんかは、乾か『ノクス』の連中を捕まえて吐かせるしかあらへん。まずはこれ以上の被害者が出んように、俺らも管轄エリアの巡回や捜査に注力していくで」
「──はい!」
童子の前に座る高校生たちが揃って返事をする。
対策官たちはテーブルから立ち上がると、明るく賑わう食堂を後にした。
午後9時半。
風呂から上がった雨瀬と鷹村は、寮のエントランスを出た。
近くのコンビニエンスストアでアイスクリームを購入しようと、見馴れた夜道を歩く。
すると、大通りの反対側から、「こんばんはー!」と元気な声がかかった。
点滅する歩行者用信号に追われるように走ってきたのは、インクルシオ東京本部の1階にある『カフェスペース・憩』の穂刈潤だった。
赤信号になった横断歩道の前で立ち止まって、鷹村が挨拶を返す。
「こんばんは。穂刈さん。それ、随分と大きな荷物ですね」
穂刈は膨らんだビニール袋を持ち上げて、「そうなんだよー」と笑った。
「うちの店長が、新作のスイーツを考案しないかって言ってくれてさ。初めてのことだから張り切って、スーパーでフルーツとか色々買ってきちゃったよ」
「へぇ。それは楽しみだな」
「へへ。これから厨房を借りて、いくつか試作品を作るんだ。もし新メニューに採用されたら、みんなで食べに来てね」
「ええ。「童子班」の全員で食べに行きますよ。是非、頑張って下さい」
「うん、ありがとう! じゃあ、行くね!」
穂刈は満面の笑みを浮かべて手を振ると、東京本部の正門に走っていった。
その後ろ姿を見送った鷹村が、穏やかに微笑む。
「穂刈さんて、いつもにこやかで感じのいい人だな」
「うん」
「ああいう人を守る為にも、乾エイジと『ノクス』の捜査は、気合いを入れなきゃな」
「……うん」
鷹村がふと眼差しを鋭く細め、雨瀬は白髪を揺らしてうなずいた。
やがて、信号は赤から青に変わり、二人は並んで横断歩道を歩き出した。
午前1時。
インクルシオ東京本部を出た穂刈は、愛用のミニサイクルで帰路についた。
夜中の道を軽快に走り、自宅アパートに向かう途中、古い銭湯の裏手にミニサイクルを滑り込ませてブレーキをかける。
「ここのジュースは、100円なんだよね」
穂刈は一台の自動販売機の前に立つと、投入口に硬貨を入れて、目当てのドリンクのボタンを押した。
自動販売機の横に置かれたベンチに座り、アルミ缶のプルトップを開ける。
ぶどう味の炭酸ジュースが、穂刈の乾いた喉を潤した。
「……そろそろかな」
穂刈はスマホの時計をちらりと見て独りごちる。
その時、ひと気のない路地裏に、アスファルトを踏む微かな足音がした。
暗がりからのそりと姿を現したのは、長身で細身の、短髪を燻んだシルバーブルーに染めた男だった。
穂刈は男を見やると、丸メガネの奥の双眸を細めて言った。
「やぁ。久しぶりだね、エイジ」
「ああ。変わりないか、潤」
穂刈の前に立った男──乾エイジは、上着の長い裾を靡かせて、ゆったりと口角を上げた。




