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グラウカ  作者: 日下アラタ
STORY:08
52/231

01・脅威の影

 午前1時。東京都伽羅きゃら区。

 きらびやかなネオンに彩られた風俗店が軒を連ねる通りで、男は上着の内ポケットから封筒を取り出した。

「これ、前金ね。残りは後日」

 伽羅きゃら区を中心に活動するグラウカの犯罪グループ『ノクス』のリーダーの遠田文貴とおだふみきは、手を伸ばして薄茶色のそれを受け取る。

 遠田は眼前に立つ男の顔を、視線を上げてちらりと盗み見た。

 男は細身で背が高く、短髪をくすんだシルバーブルーに染めている。

 黒革のパンツに裾の長い上着を羽織った姿は、どこかロックミュージシャンのような印象を受けた。

「ん? 何?」

「……あ。いや。“本物だな”って思って」

「はは。俺って、けっこう有名なのかな?」

「そうだよ。俺らの界隈かいわいじゃ、特に。さっき、あんたに声をかけられた時は、本当に驚いた」

 遠田の言葉に、男は短髪を指で掻いて「なんか照れるな」と笑った。

 そして、切れ長の目をすっと細めると、密やかに囁いた。

「まぁ、とにかく宜しく頼むよ。適当に何人か、グラウカをさらってきてくれ」

 そう言って、男──いぬいエイジは、上着の裾をひらりとひるがえし、せわしく明滅するネオンの向こうに消えていった。

「………………」

 アスファルトにぽつりと佇んだ遠田は、封筒を握ったままの右手を上げる。

 ゆっくりと開いた手のひらは、緊張で汗がじっとりと滲んでいた。




 8月上旬。東京都月白げっぱく区。

 『厚生省特殊外郭機関インクルシオ』東京本部の敷地内に建つトレーニング棟で、南班に所属する「童子班」の5人は、鍛練に精を出していた。

 トレーニング棟は2階建てで、1階には広々とした多目的室が2室あり、2階には様々なトレーニングマシンが並んだ大部屋がある。

 ほんの数日前に、『グラウカ連続殺害事件』の犯人である中央班の水間洸一郎みずまこういちろうの拘束に関わった高校生の新人対策官たちは、一日も早く世間の信頼を取り戻すべく、任務に励む日々を送っていた。

「雨瀬ぇー! そのまま、壁際に追い詰めろー!」

「眞白! 童子さんは丸腰だぞ! タックルして体を押さえ込め!」

 大きなガラス窓から日の差し込む多目的室で、塩田渉しおたわたる鷹村哲たかむらてつが声をあげる。

 最上七葉もがみななはは、板張りの床に座って上がった息を整えていた。

 動きやすいジャージを着た3人の前には、雨瀬眞白あませましろと特別対策官の童子将也どうじしょうやが、2メートルの間隔をあけてじりじりと対峙している。

 「童子班」の面々は非番のこの日、基礎的な体力トレーニングの後で、実戦を想定した戦闘訓練を行っていた。

 戦闘訓練のルールは、反人間組織のグラウカ役の童子を特殊繊維のロープで拘束するか、武器で頭部をとらえれば合格で、童子は相手の急所を手で触れば勝ちであった。

 訓練開始直後、模擬のブレードとサバイバルナイフを装備した高校生たちは、武器なしでのぞんだ童子に四方から飛びかかったが、あっという間に鷹村、塩田、最上の3人が急所を触られて場外に下がった。

「さぁ、来いや」

 残った雨瀬を、童子が手招いて挑発する。

 雨瀬は鷹村のアドバイスを取り入れて腰を低くかがめると、キャメル色の化粧板が貼られた壁を背にした童子に、猛然とタックルを仕掛けた。

 すると、童子はくるりときびすを返し、目の前の壁に右脚をかけて、空中を一回転した。

「──!」

 虚を突かれた雨瀬が動きを止め、その頭上を飛び越えた童子が床に着地する。

 雨瀬が勢いよく振り返った瞬間、童子の指先が眉間を軽くタッチした。

 二人の動きを息を飲んで見ていた塩田が、一気に脱力する。

「……ず、ずりぃよー! 飛ぶなんて、アリっすかぁー!?」

 塩田の隣の鷹村がすかさずに言った。

「いや。実戦であれをやるグラウカがいるかもしれない。背中を取られたらアウトだ。やっぱり、安易に距離を詰めるのは危険だな」

 体育座りをした最上が、「ええ。いい勉強になったわ」とうなずく。

 肩で息をついた雨瀬が、悔しそうに呟いた。

「……反応が遅れました。もっと、相手の動きを読まないとダメだ」

 高校生たちの感想を聞いた童子が、壁に掛かった時計に目をやった。

 時刻は午前11時半を少し回ったところだった。

「もうすぐ昼やな。そろそろ、上がろか」

「はーい! 俺、食堂に行く前にジュースが飲みたい! ロッカーで着替えたら、カフェスペースに寄りましょうよ!」

 塩田が両手を上げて言い、童子が「ええで」と快く了承する。

 その時、多目的室の引き戸がガラリと開いた。

「……うるさいと思ったら、お前たちか」

 そこに現れたのは、西班に所属する特別対策官の真伏隼人まぶせはやとだった。

「真伏さん。お疲れ様です」

 童子が顔を向けて挨拶し、高校生たちが「お、お疲れ様です!」と姿勢を正す。

 一本のブレードを手にした真伏は、「フン」と関心なさげに鼻息を吐いた。

「ほな、俺らはお先に失礼します。お前ら、行くで」

 童子は高校生たちを促すと、真伏の横を通って多目的室を出た。

 真伏は5人の後ろ姿を一瞥して、もう一度、鼻息を荒く吐いた。


 インクルシオ東京本部の建物に戻り、2階のロッカールームで着替えを済ませた「童子班」の面々は、1階に降りてカフェスペースに立ち寄った。

 このカフェスペースは店舗名を『カフェスペース・いこい』と言い、インクルシオ東京本部から業務委託を受けた一般企業が運営している。

 店舗には対策官や職員だけではなく外部の来客も多く訪れる為、ドリンクや軽食の種類を豊富に取り揃えており、味も評判であった。

「すみませーん! ハニーレモンソーダを3つと、アイスコーヒーを2つ下さい!」

「いらっしゃいませー。……あ、塩田君。トレーニングの帰りかい?」

 Tシャツにジャージ姿の塩田がカウンターで注文すると、店のエプロンを腰に巻いた男性が笑顔で対応した。

 緩やかなウェーブのかかった黒髪に丸メガネをかけた男性──穂刈潤ほかりじゅんは、『カフェスペース・憩』のアルバイト従業員で、25歳のグラウカである。

「そうッスー! 穂刈さん、相変わらず若々しいっスねー!」

「いやいやー。童顔なだけだよー」

 塩田が言い、穂刈がはにかんで笑う。

 穂刈は注文のドリンクを用意しながら、塩田の隣にいる雨瀬に声をかけた。

「こんにちは。雨瀬君。元気かい?」

「こんにちは。穂刈さん。僕は、元気です」

「ふふ。それはよかった。同じグラウカとして、雨瀬君のことは特に応援してるんだ。任務やトレーニングで毎日忙しいだろうけど、頑張ってね」

 穂刈の言葉に、雨瀬は「はい。ありがとうございます」と頭をぺこりと下げる。

 穂刈は笑みを深くして、「お待たせしました」とドリンクを乗せたトレーをカウンターに出した。

「あざっすー! じゃあ、穂刈さんまたー!」

「うん。またね」

 トレーを受け取った塩田と雨瀬が、テーブル席で待つ仲間の元に戻っていく。

 その様子を見送った穂刈は、丸メガネの奥の双眸を柔らかく細めた。


 午後1時半。

 インクルシオ東京本部の最上階の会議室で、臨時の幹部会議が開かれた。

 重厚な音を立てて会議室の扉が開き、インクルシオ総長の阿諏訪征一郎あすわせいいちろう、本部長の那智明なちあきら、東班チーフの望月剛志もちづきつよし、北班チーフの芥澤丈一あくたざわじょういち、南班チーフの大貫武士おおぬきたけし、西班チーフの路木怜司ろきれいじ、中央班チーフの津之江学つのえまなぶが慌ただしく着席する。 

 那智は楕円形の会議テーブルに資料の束を置いて、「早速だが」と口を開いた。

「昨夜、伽羅きゃら区にあるピンク街の防犯カメラに、“奴”が映った。伽羅きゃら区は西班の管轄エリアだ。路木、詳細を説明してくれ」

 那智から指名を受けた路木が、「はい」と返事をする。

 路木はボールペンを指に挟み、手元の資料に目を落として言った。

伽羅きゃら区の複数台の防犯カメラに映っていたのは、乾エイジです。乾はグラウカの犯罪グループ『ノクス』のリーダーの遠田文貴と会っていました。映像では遠田に何かを渡している様子でしたが、角度の関係で物は確認できません。現在、真伏を含めた対策官5人が、現場で捜査をしています」

 路木の報告を聞いた芥澤が、顔をしかめて吐き捨てる。

「防犯カメラに映ったのは、クソ野郎が全く気にしてないからだ」

「まぁ、そうだろうな。乾は、しばらく関東から離れてあちこちで殺人事件を起こしていたが、久しぶりにこっちに戻って来たか。……厄介な奴が現れたな」

 望月が腕を組み、大貫と津之江が険しい表情でうなずいた。

 那智は前をきつく見据えて言った。

「乾エイジは、インクルシオのキルリストの“個人最上位”に載る男だ。各班、ただちに対策官全員に捜査に注力するように通達しろ。……そして、奴を見つけ次第、必ず殺せ」

 那智の鋭い声音が会議室に響く。

 チーフたちは一つ首肯すると、一斉に席を立った。




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