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グラウカ  作者: 日下アラタ
STORY:07
51/218

09・力の価値

 午前7時。東京都月白げっぱく区。

 インクルシオ東京本部の最上階の会議室で、臨時の幹部会議が開かれた。

 中央班に所属する水間洸一郎の拘束について、同班のチーフである津之江学と南班チーフの大貫武士が、経緯の詳細を説明した。

 ブルーのワイシャツを着た本部長の那智明が、大きなため息を吐く。

「……津之江。大貫。芥澤。望月。今回は結果が出たからよかったものの、お前たちはかなり危ない橋を渡ったんだぞ? わかっているのか?」

 東班チーフの望月剛志が、ばつが悪そうに頭を掻いた。

「いやぁ。勝手をしてすまなかった。もし、地下鉄の尾行が水間にバレて首になったら、田舎に帰って農業を継ぐつもりでいたよ」

 北班チーフの芥澤丈一が、紙コップに入ったコーヒーを啜る。

「別に、左遷や首は構わねぇけどよ。だが、組織の人間である以上、事前に何の相談もなく動いたのはマズかった。それは、悪かったよ」

 大貫が会議テーブルに目を落として言った。

「……私も、那智本部長に提出した、童子たちの処分内容が虚偽であったこと、また、彼らに秘密裏に捜査の続行を指示したことについては、弁明のしようがありません。誠に申し訳ありませんでした」

 津之江が肩を小さくして口を開く。

「……僕もです。今回の件に関しては、いかなる処分をも覚悟しています。本当に申し訳ありませんでした」

 4人のチーフの謝罪に、西班チーフの路木怜司が「みなさん、けっこう無茶しますね」と言って、指に挟んだボールペンを回した。

 那智が右手を上げてひらひらと振る。

「いや。特に処分は考えていない。お前たちがちゃんとわかっていれば、それでいい。……しかし、今回の件でつくづく理解したよ。うちのチーフたちは、肝の座った頼もしい連中だってね」

 そう言うと、那智は柔らかく笑った。

 望月が「お。褒められた」と言い、芥澤が「けなされたんだよ」と口端を上げる。

 那智は笑みを浮かべたまま、「総長」と促した。

 インクルシオ総長の阿諏訪征一郎が、「うむ」とうなずいて正面を見る。

 阿諏訪はおもむろに両手の指を組んで言った。

「……まずは、グラウカ連続殺害事件の解決、ご苦労だった。一部の対策官とチーフが行った独断の捜査ついては、事件の真相を追う一心での行動として、今回は不問とする。しかしながら、この事件の犯人がインクルシオ対策官であったという事実は、インクルシオ総長として忸怩じくじたる思いで一杯だ。昨夜報道された厚生省の水間事務次官の逮捕もあいまって、世間の厳しい目がこちらに向くことが予想される。当面は、マスコミの取材攻勢等にもさらされるだろうが、インクルシオの信用を一日も早く回復すべく、各班一丸となって任務に励んで欲しい」

 阿諏訪の言葉に、望月が「そうだよなぁ。大変なのは、これからだよな」と息をつく。

 他のチーフたちも表情を引き締め、那智が腕時計をちらりと見た。

「さて。臨時会議は、これで終了だ。この後、8時から記者会見を開く。水間の件でマスコミから激しく糾弾されるだろうが、真面目に働く対策官たちに非難の矛先ほこさきが向かないように、誠実に対応してくるよ」

 那智はストライプ柄のネクタイを締め直し、各班のチーフたちが「ああ。俺らも、しっかりと仕事しよう」と椅子から立ち上がる。

 そして、インクルシオ東京本部の幹部たちは、朝のまぶしい光が差し込む会議室を後にした。


 午前10時。東京都不言いわぬ区。

 閉園済みの児童養護施設「むささび園」の地下にある物置部屋で、反人間組織『キルクルス』のリーダーの乙黒阿鼻は、「へぇ」と声を漏らした。

 乙黒はスマホの画面をスクロールして、ニュースサイトの記事に目を通す。

 乙黒の前で夏休みの宿題の問題集に向かっていた茅入姫己が訊いた。

「阿鼻君。どうかしたの?」

「いやね。とうとう、グラウカ連続殺害事件の犯人が捕まったんだってさ。……ほら、『インクルシオ夏祭り』の夜に、僕を殺した奴」

「それ、朝からニュースになってるぞ」

 束ねた新聞紙の上に座って、漫画雑誌をめくっていた半井蛍が言う。

 茅入は布製のペンケースからハート型の消しゴムを取り出した。

「そのニュース、阿鼻君はとっくに知ってると思ってた。朝のテレビの生中継で、インクルシオの記者会見もやってたよ」

「そうなんだ。いつも起きるのが遅いから、今気付いたよ。それにしても、厚生省のお偉いさんの息子が犯人だったなんて、すごいスキャンダルだね。お父さんの方も捕まっちゃったし……。まぁ、何にしろ、匿名で情報提供した甲斐があったよ」

 乙黒はのんびりと言うと、腰掛けていた冷蔵庫にごろりと寝転がった。

 腕を伸ばして欠伸あくびをした乙黒を、半井が横目でじろりと睨む。

「乙黒。寝るなよ。プールに行きたいって言ったのは、お前だぞ」

「……だ、大丈夫だよ! 寝ないって! 茅入ちゃん、もう宿題は終わった?」

「あと一問だけだから待ってー。これが終わったら、みんなでウォータースライダーを楽しもうね」

 茅入がベビーピンクのシャープペンシルを揺らして笑う。

 乙黒は数日前から水泳用のパンツとスポーツタオルを入れておいたデイパックを床から拾い上げて、「うん!」と元気よく返事をした。

「……今日も、気温が上がりそうだな」

 半井がスマホの天気予報を見て呟く。

 ほどなくして、地下の物置部屋から出た3人は、快晴の空の下に出掛けていった。


 午後1時。東京都月白げっぱく区。

 インクルシオ東京本部のほど近くにあるファミリーレストランで、中央班に所属する特別対策官の影下一平は、食後の梅昆布茶を一口啜った。

「はぁ〜。水間親子の逮捕で世間は大騒ぎだけど、やっと解決したねぇ」

 明るい太陽光が照らす窓際のボックス席で、南班に所属する「童子班」の5人がうなずく。

 塩田渉がデザートのチョコレートサンデーを頬張って言った。

「いやー。蘇芳すおう区の尾行がバレた時はどうなることかと思いましたけど、何とか一件落着してよかったっスよー」

 アイスコーヒーのグラスを手にした鷹村哲が、神妙な面持ちを浮かべる。

「……でもさ。あの時、水間さんはすでにこっちの尾行に気付いてたんだよな? もしかしたら、俺の担当の時にバレたのかも……。これは、尾行のノウハウを一から勉強し直さないと……」

 鷹村の呟きに、最上七葉が「……私かも」と杏仁豆腐を掬ったスプーンを止め、雨瀬眞白が「……僕かも」と目の前のメロンソーダを見つめた。

「いやいやぁ〜。案外、俺か童子だったりしてぇ〜」

 影下が目の下のくまを擦って笑い、ホットコーヒーのカップを持った特別対策官の童子将也が、「かも知れません」と返す。

 その時、塩田が唐突に「あっ!」と声をあげた。

 テーブルにつく対策官たちが顔を向け、塩田は身を乗り出して言う。

「……雨瀬! さっき、昨日の報告書を読んだけどさ、あんなの気にすんなよ!」

「……?」

 雨瀬が首をかしげると、塩田は声高こわだかに言いつのった。

「お前が報告書に書いた、水間さんとのやりとりだよ! あいつ、グラウカが害虫だのおぞましいだのって、ひでーこと言いやがって!」

 塩田が鼻息を荒く吐いて憤慨し、それに最上が同調する。

「ええ。私も雨瀬の報告書を読んで、強いいきどおりを感じたわ。水間さんこそ、何の罪もない多くのグラウカを殺害したおぞましい人間じゃない。よくも、あんなことが言えたものだわ」

 怒り心頭の二人の様子に、雨瀬がわずかに戸惑った。

 すると、影下が目にも留まらぬ速さで手を伸ばしてメニュー表を取った。

「雨瀬ぇ。パスタだけで足りたぁ? もっと、何か食べないぃ?」

 童子が鋭い眼光で素早く店内を見回し、壁に貼られたポスターを指差す。

「雨瀬。あの夏季限定のマンゴーかき氷はどうや? 他にも、抹茶白玉とかキャラメルミルクもあるで。奢ったるから、何でも好きなもん言いや」

「……あ、あの……、えっと……」

 仲間たちの気遣いに、雨瀬はどう反応すればいいのかわからずに口ごもった。

 すがるように隣に座る鷹村を見やると、穏やかな表情でアイスコーヒーを飲んでいる。

 雨瀬は癖のついた白髪を揺らして、思わずうつむいた。

 ──かつては、自分で自分をおぞましいと思っていた。

 人間を遥かに超える能力を持っていることが、とてつもなく恐ろしかった。

 しかし、中学1年生の時に、鷹村と共に“人喰い”鏑木良悟かぶらぎりょうごから人を助け、大貫に声をかけられてインクルシオ訓練施設に入り、正式な対策官になって様々な任務に携わっていく中で、雨瀬の意識は少しずつ変わっていった。

(……正しく使う力には、価値がある。僕は、阿鼻とは違う。この”グラウカの力”は、破壊ではなく守る為に使う)

 やがて、雨瀬はすっと視線を上げて、まっすぐに前を向いて言った。

「……あの……。みなさん、ありがとうございます。水間さんの言ったことは、気にしていません。上手く言えませんが、僕は、グラウカでよかったと思っています」

 雨瀬の言葉に、その場の全員が笑顔になる。

「よーしぃ! じゃあ、みんなでかき氷食べよっかぁ! 店員さん呼ぼうー!」

 影下がテーブルの呼び出しボタンを押し、塩田が「俺、マンゴー!」と勢いよく両手を上げる。

 雨瀬は目を細めると、小さな花が綻ぶように笑った。




<STORY:07 END>

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