07・感覚と信頼
午後2時。東京都月白区。
インクルシオ東京本部の5階の執務室で、黒のジャンパーを着た南班チーフの大貫武士は、眉間に深い皺を刻んだ。
執務机につく大貫の隣には、中央班チーフの津之江学が立っている。
二人のチーフは、両手を後ろで組んで一列に並んだ6人の対策官を見やった。
「……つまり、君たちは、根拠が薄いとわかっていながら、水間を尾行したんだね?」
「はいぃ」
津之江の質問に、中央班に所属する特別対策官の影下一平が返事をする。
大貫が険しい表情で訊いた。
「こちらに内密にしてまで動いた、一番の理由は何だ?」
「自分たちの“感覚”です」
南班に所属する特別対策官の童子将也が即答し、大貫は唇を結んで、「うーん……」と低い呻り声を漏らす。
その時、執務机の上の電話機が鳴った。
内線を示すランプを見た大貫は、「ちょっと待ってくれ」と受話器を取る。
内線の相手は本部長の那智明で、大貫は「……はい。……はい。……承知しました」と相槌を打ち、重々しい動作で受話器を置いた。
津之江が大貫に顔を向けて訊ねる。
「大貫チーフ。もしかして、水間事務次官が圧力をかけてきましたか?」
「……ああ。今しがた、水間事務次官から那智本部長に連絡が入った。今回の件に関わった対策官全員に、厳重な処分を科すようにとのことだ」
「そうですか。それに従わなければ、僕たちがどこかに飛ばされるんでしょうね」
津之江が冗談めかして言い、大貫は「だろうな」と弱々しく笑った。
私服姿で立つ塩田渉が、「あのぅ……」と恐る恐る発言する。
「僕らの処分は、どうなるんでしょうか……?」
「………………」
大貫と津之江は、互いの目を合わせた。
二人は無言で一つうなずき、まっすぐな視線を前に向ける。
津之江がすっと背筋を伸ばし、通った声で6人の対策官に告げた。
「──君たち6人は、3ヶ月間の3割の減給と、20日間の謹慎処分とする。書類上はそのように記載し、那智本部長を通じて、水間事務次官にもそう伝えておく」
津之江の言葉に、影下と童子が僅かに目を見開く。
高校生たちが顔を上げ、塩田が「書類上って……」と戸惑ったように言った。
大貫は鋭い眼光で指示を出した。
「インクルシオ東京本部のチーフとして、お前たちに任務を言い渡す。引き続き、全員で水間洸一郎の調査にあたれ」
「で、でも……! もし、またバレたら、今度は、チ、チーフたちの首が……!」
塩田がしどろもどろで言い、鷹村哲が手を上げる。
「大貫チーフ。津之江チーフ。何故、僕らの後押しをしてくれるんですか?」
鷹村の問いに、大貫はふと柔和な表情を浮かべた。
「……対策官の“感覚”を信じないチーフがどこにいる。俺たちの仕事は、首や左遷を気にすることじゃない。一日も早くグラウカ連続殺害事件を解決し、その真相を明らかにすることだ」
津之江が「ええ。その通りですよ」と微笑んで言う。
二人のチーフの揺るぎない信念に、対策官たちは表情を引き締めた。
「後のことは、何も考えなくていい。お前たちは、徹底的に水間を調べ上げろ」
「但し、水間の目をごまかす為にも、今日から二日間くらいは大人しく謹慎するようにね」
大貫と津之江がそれぞれに言う。
午後の眩い光が窓から差し込む執務室で、6人の対策官は「──はい!」としっかりと返事をした。
「へぇ〜。あいつらを、減給と謹慎処分にしたのかよ」
インクルシオ東京本部の1階にあるカフェスペースで、北班チーフの芥澤丈一は、驚いたように両眉を上げた。
時刻はまもなく午後3時になるところだった。
窓際のテーブルについた東班チーフの望月剛志が、腕を組んで言う。
「新人4人はともかく、童子と影下が20日間も捜査に出られないのは、かなり痛いな。その間に、厄介な反人間組織が暴れなければいいが……」
「──………………」
芥澤と望月の向かいでは、大貫と津之江が黙ってコーヒーを啜っていた。
20分ほど前、顔色を悪くした那智から話を聞いた芥澤と望月は、大貫と津之江を誘ってカフェスペースに入った。
望月が「いやぁ。大変なことになったなぁ」とわざとらしく言い、芥澤が「ほんとにな」とニヤニヤと笑う。
大貫はコーヒーカップを置いて、小さく咳払いをした。
「……二人共。本当は、わかっているんだろう?」
「しぃ。みなまで言うなよ。俺らの“表向き”の反応が、クソ無駄になっちまう」
「そうそう。チーフの立場につく者なら、考えることは一緒だ。俺たちは、支持するよ」
芥澤が人差し指を立てて言い、望月がぱちりと片目を瞑る。
そこに、西班チーフの路木怜司が、テイクアウト用のアイスコーヒーを持ってやってきた。
「お二人共。那智本部長から聞きましたよ。左遷ギリギリの状況ですね」
「う、うん。まぁね……」
津之江が眉尻を下げて笑い、路木は「そういえば」と口を開いた。
「水間洸一郎に関してですが、つい先日、夜遅くに地下鉄の階段を降りていくところを執務室の窓から見ました。どこかに出掛けるのかと思いましたが、彼はほんの5分ほどで戻ってきました。その時はさして気に留めませんでしたが、今回の一件を聞くと、少し引っかかる行動ですね」
「……そうなのか。そんな短時間で、地下鉄の構内で何をしてたんだ?」
望月が口にした疑問に、路木は「さぁ。僕には、全くわかりません」と無表情で答えると、「では」と踵を返してカフェスペースを出ていった。
「………………」
その背中を見送った4人のチーフは、暫くの間、じっと黙り込んだ。
午後11時。
インクルシオ東京本部の中央班に所属する水間洸一郎は、地下鉄『月白中央駅』のコンコースにあるコインロッカーを覗き込んでいた。
水間は満足げな表情でロッカーを閉めると、再び鍵を掛けてコンコースから立ち去る。
それからおよそ5分後、通路の角から望月が顔を出した。
反対側の通路からは、スラックスのポケットに両手を入れた芥澤が歩いてくる。
地下鉄の乗降客が行き交うコンコースで、二人はばったりと会った。
「……なんだ。芥澤もここに来ていたのか?」
「望月さんも。やっぱり、昼間の路木の言葉が気になったか」
「ああ。俺に出来ることは、これくらいだしな。……しかし、路木の話を聞いた時、“水間は何らかの目的で、地下鉄の構内に出入りする行動を繰り返しているのでは?”と思って張っていたが……。まさか、本当に来るとはな」
望月が大きく息を吐いて言い、芥澤が「俺も、“読み”が当たったぜ」と口端を上げる。
すると、望月と芥澤の前に、大貫と津之江が連れ立って現れた。
「……おいおい。お前らまで来たのかよ? 素人同然の下手糞な尾行で、水間にバレたらどうすんだ?」
「ふふ。芥澤チーフ。その言葉、そのままお返ししますよ」
芥澤が呆れた声を出し、津之江がにこやかに返す。
大貫がくすりと笑い、芥澤は「るせぇよ」と大仰に顔を顰めた。
「……それより。問題は、水間がごそごそやっていたこのロッカーだ」
芥澤がコンコースに設置されたコインロッカーに目を向け、他のチーフたちがそれに倣う。
変装の為のハンチング帽を被った望月が、周囲に顔を巡らして言った。
「すぐに、ここの管理者を呼ぼう。捜査協力を依頼するぞ」
──そして、コインロッカーの扉が開き、中からダイビング用の大きな水中メガネが見つかった。
午後11時半。
インクルシオ東京本部の隣に建つ寮の自室から出た雨瀬眞白は、1階の休憩スペースに向かった。
雨瀬たち6人が受けた謹慎処分は『寮内謹慎』で、任務の禁止と外出の制限はあるものの、寮内では自由に動くことができた。
雨瀬は多くの対策官が寛ぐ休憩スペースに入り、壁際に数台並んだ自動販売機を見やる。
何を購入しようかと迷っていると、雨瀬の隣に誰かが立った。
横目でちらりと見た雨瀬は、思わず息を飲む。
「こんばんは。雨瀬君。ちょっと、外で話さないかい?」
自動販売機の商品を見ながら軽い調子で言ったのは、私服姿の水間だった。
雨瀬は不快な感覚に眉根を寄せて、小さく答える。
「……すみません。今は、謹慎中なので……」
「……上司や仲間を首にしたくなければ、俺の言うことに従った方がいいよ」
水間は声のトーンを落として囁き、自動販売機から離れて休憩スペースを出ていった。
「………………」
対策官たちの明るい賑わいが、白髪のかかる耳をすり抜ける。
雨瀬は唇をきつく噛むと、意を決したように足を踏み出した。




