05・疑惑
午後8時。東京都月白区。
多くの人々が訪れ、大盛況で終了した『インクルシオ夏祭り』の翌日。
インクルシオ東京本部の南班に所属する「童子班」の5人は非番となっており、寮での夕食を終えた雨瀬眞白と鷹村哲は、近くのコンビニエンスストアにデザートを買いに出掛けた。
街灯の明かりが照らす歩道を歩きながら、半袖のコットンシャツに濃紺のジーンズを履いた鷹村が言う。
「なぁ。今朝あったグラウカ連続殺害事件のタレコミって、本当だと思うか? 匿名の情報提供は、けっこうイタズラが多いけど……」
「……イタズラにしては、具体性のある内容だと思う」
白のTシャツにジーンズ姿の雨瀬が返し、鷹村は「確かになぁ」とうなずいた。
「犯人はインクルシオ対策官っていうのと、顔を覆う大きな水中メガネ。この2点は、妙な説得力があるな」
「うん。対策官が犯人かもしれないってことは、一般の人は知らないはずだ。水中メガネは犯行時に顔を隠す為に用意したもので、情報提供にあった緑色のバッグに入れているんだと思う」
「まぁ、そうだろうな。つーか、このタレコミで、犯人は対策官だとほぼ確定したな。個人的には、何かの間違いであって欲しかったけど……」
「………………」
前を見たままぽつりと言った鷹村に、雨瀬はうつむいた。
あと数メートルで、コンビニエンスストアに到着する。
雨瀬が顔を上げて「哲。あの……」と言いかけた時、コンビニエンスストアの自動ドアが軽快な音と共に開いた。
「お! 君たち、こんばんは!」
そこから両手にビニール袋を下げて出てきたのは、中央班に所属する水間洸一郎だった。
鷹村が「こんばんは」と挨拶を返し、雨瀬が「……こんばんは」と小さく言う。
水間はポロシャツにチノパンを履き、肩に緑色のバッグを掛けていた。
「いやぁ。これから、夏祭りのパンケーキ担当で打ち上げなんだ。甘党が多いから、コンビニスイーツをたくさん買っちゃったよ。じゃあ、急ぐからまたね」
「はい」
水間は爽やかな笑顔で去り、二人はその後ろ姿を見送る。
暫くして、鷹村が雨瀬に振り向いた。
「水間さんのバッグって、緑色なんだな。わりとありがちな色だと思うけど、あのタレコミのせいで、怪しく見えちゃうな」
そう言って、鷹村は屈託なく笑った。
雨瀬は、もう一度「哲」と呼びかけた。
鷹村が「ん?」と雨瀬を見やる。
雨瀬は意を決したように、真剣な表情で言った。
「……水間さんのことで、聞いて欲しい話があるんだ」
午後9時半。
インクルシオ東京本部の隣に建つインクルシオ寮で、特別対策官の童子将也は2階にある自室を見回した。
童子の部屋の211号室には、雨瀬と鷹村を始め、「童子班」の塩田渉、最上七葉、中央班に所属する特別対策官の影下一平が集まっている。
6人分の麦茶をテーブルに置いた童子が、ラグマットに座って言った。
「……さてと。大事な話って、なんや?」
童子の問いに、鷹村が口を開く。
「……はい。話というのは、グラウカ連続殺害事件の犯人に関してです。……だけど、今の段階ではあくまで推測に過ぎないので、このメンバーだけに話します」
鷹村はそう前置きをして、話を続けた。
「率直に言います。俺と眞白は、中央班の水間洸一郎さんが犯人じゃないかと考えています」
「……えっ!?」
塩田が素っ頓狂な声をあげ、最上は麦茶に伸ばしかけた手を止める。
ゆるキャラのTシャツを着た影下が、「その根拠はぁ?」と間延びした声で訊いた。
鷹村は一つうなずいて、説明を始めた。
「さっき、俺と眞白がコンビニに行った時、たまたま店先で水間さんと会ったんです。水間さんは肩紐の付いた緑色のバッグを持っていました。匿名で入った情報提供の内容と一致しますが、正直、俺はそこまで気に留めませんでした。……ですが、その時、眞白が俺に言ったんです。「水間さんと会うと、何故か体に不調を感じる」って。俺はその言葉に引っかかって、オフィスのパソコンで水間さんの経歴等を調べました。そしたら、気になるデータが出てきて……」
そこまで言って、鷹村は言葉を止め、ガラスコップに入った麦茶を飲んだ。
童子の部屋に集まった対策官たちは、黙って話の続きを待つ。
鷹村は、空になったコップをテーブルに置いて言った。
「……水間さんは、20歳でインクルシオ対策官になった後、福岡、広島、神戸、仙台、名古屋の5ヶ所の支部に所属しました。どの支部も1年ちょっとで異動しています。そして、これらの支部の管轄エリアでは、水間さんの在籍期間中に、未解決のグラウカ連続殺害事件が起こっているんです」
塩田が「……マジかよ」と大きく目を見開く。
童子が「件数は?」と質問した。
「はい。在籍順に言うと、福岡で1件、広島で2件、神戸で9件、仙台で15件、名古屋で39件です。神戸、仙台、名古屋は、それぞれの地元の警察が同一犯による連続殺害事件として扱っています」
「殺しにハマったんか。殺害件数が、あからさまにエスカレートしとるな」
童子が低く呟き、最上が「でも……」と戸惑ったように言った。
「水間さんの在籍期間と、それらの殺害事件は無関係かもしれないわ。相手は厚生省の事務次官のご子息よ。犯人だと疑うなら、もっと確実な証拠や裏付けがないと……」
影下が「その通りだねぇ」と口を挟んだ。
「対策官。緑色のバッグ。未解決のグラウカ連続殺害事件。……一見、符号が合致してるように思えるけど、やっぱり水間さんを犯人とする決定打には欠けてるねぇ。それに、この話は、かなり慎重にならないとマズいよぉ。今の“曖昧な疑惑”では、仮に津之江チーフや大貫チーフに話したとしても、捜査の許可は下りないと思うよぉ」
「……そ、そうですよね……」
鷹村が声のトーンを落とし、雨瀬が白髪を揺らして下を向く。
童子がテーブルの向かいに座る雨瀬に訊ねた。
「雨瀬。体の不調て、どんなんや?」
「は、はい。あの……、水間さんが側にいると、悪寒がしたり鳥肌が立ったりするんです。こんなこと、何の根拠にもならないでしょうけど……」
「……そうか」
雨瀬の返答を聞いた童子は、何かを考え込むように視線を下げた。
短い沈黙の後で、童子は「影下さん」と顔を上げる。
「鷹村と雨瀬の話は、証拠や裏付けという点では不十分ですけど、このまま見過ごせへんものがあると思います。せやけど、水間さんが“シロ”やった場合、捜査をしたことがバレたら上司の首が飛びます。……せやから、上には内密で、俺が個人的に水間さんを調査します」
「──ぶっ!!!」
童子の言葉に、塩田が飲みかけの麦茶を吹き出した。
最上が「汚いわね」と窘め、塩田は慌てて手の甲で口元を拭う。
「……ちょ、調査って、何をするんスか!?」
「具体的に言うと、尾行やな。その日の任務が終わったら、水間さんをつける。特に注力するんは、夜から明け方にかけての時間帯や。水間さんと非番が重なった日は、日中もつける」
塩田が「それって、休むヒマがないんじゃ……」と青ざめ、鷹村が勢いよくテーブルに身を乗り出した。
「童子さん! 俺もやります! やらせて下さい!」
「童子さん。僕もやりたいです」
雨瀬が即座に続き、最上が「私もやるわ」と手を上げた。
塩田が「そりゃあ、もちろん、俺もやるけどさぁー」と麦茶の残りを飲み干す。
影下は目の下の隈を擦って言った。
「うん。たとえどんな相手であろうと、僅かでも疑惑が浮かんだのなら、真実を確かめたいからねぇ。……だから、俺もやるぅ」
そう賛同すると、影下は高校生の新人対策官たちに目を向けた。
「みんな、いいかい? 尾行は、絶対にバレてはならないよぉ。それだけは肝に命じておいてねぇ」
「──はい!!!」
鷹村、雨瀬、塩田、最上が、表情を引き締めて返事をする。
童子は床に敷いたラグマットから立ち上がり、ベッドの上に置いたタブレットPCを手に取って、中央班の勤務シフトを調べ始めた。
午前0時。
地下鉄『月白中央駅』のコンコースに設置されているコインロッカーの前に、水間は立った。
肩に掛けた緑色のバッグから鍵を取り出し、ロッカーの扉を開ける。
その中には、大きな水中メガネと、1本のサバイバルナイフが入っていた。
水中メガネは通販サイトで購入したものだが、サバイバルナイフはインクルシオ福岡支部時代に、殉職した対策官のホルダーからこっそりと盗んだ。
インクルシオのサバイバルナイフは、他のナイフとは比べものにならない切れ味のよさが気に入っている。
「……よし。確認、オッケー」
水間は目を細めて満足げに言うと、扉を閉めて再び鍵をかけた。
その時、ふとコンビニエンスストアの店先で会った雨瀬を思い出した。
途端にむくむくと沸き上がる衝動が、水間の口をついて出る。
「あー……。殺っちゃいたいなぁ。雨瀬君」
水間は熱い吐息を小さく漏らして、夜中のコンコースを後にした。