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グラウカ  作者: 日下アラタ
STORY:07
45/231

03・肯定と否定

 ──あれは、4歳の時だった。


 僕、雨瀬眞白は、保健所が行う『4歳時検診』でグラウカだと判明した。

 僕の育った不言いわぬ区の児童養護施設「むささび園」では、グラウカは僕と乙黒阿鼻おとぐろあびの二人であった。

 元々、人とのコミュニケーションが苦手だった僕は、『4歳児検診』の結果を受けて“普通の人間”や“大多数”といった枠から外れることになり、ますます内にこもる性格になった。

 同じ施設で育った幼馴染の鷹村哲は、「グラウカはちょっと力が強くて傷の治りが早いだけ。人間と何も変わらないって」と僕に言ったが、それは当時4歳の僕の幼心でも──おそらく哲自身も──無理のある慰めだとわかっていた。

 その後、保健所を通して厚生省から『グラウカ登録証』が発行され、僕は生物的にも社会的にも人間とは区別された。


 それから一年が経った、ある晴れた日。

 5歳になった僕は、「むささび園」の庭先でカブトムシを見つけた。

 カブトムシは僕の目線と同じ高さにある、木の窪みの中に入っていた。

 僕は長い時間、一人きりでカブトムシを見続けた。

 時折、ほんのわずかに前脚が動くだけだったが、見ているだけで楽しかった。

 すると、僕の隣に阿鼻がやってきた。

 上機嫌そうな笑みを浮かべた阿鼻は、唐突に眼前の木の幹を手で鷲掴むと、そのまま力を込めて握り潰した。

 阿鼻がすさまじい握力で破壊した場所には、先ほどのカブトムシがいた。

 僕は目を見開いて愕然がくぜんとし、阿鼻は頬を紅潮させて言った。

「グラウカってさ、こんなことも出来るんだ! すごいね!」

「………………」

「僕と眞白は、トクベツなんだ! グラウカでよかったね!」

「………………」

 僕は無言で、阿鼻の手に目をやった。

 丸みのある幼い手には、細かく砕けた木片と、どろりとした液体が付いていた。

 ──次の瞬間。僕は、地面にうずくまって激しく嘔吐した。


 さらに、一年後。

 僕が6歳の時に、筒井美鈴つついみすずという女性の先生が「むささび園」にやってきた。

 筒井先生は優しく面倒見のいい性格で、すぐに園のみんながなついた。

 僕も、徐々にではあったが、筒井先生に心を開いていった。

 しかし、まもなく筒井先生は、右腕を粉砕骨折するという大怪我を負った。

 その原因は、グラウカである阿鼻が、筒井先生の右腕にじゃれついた際に力加減を誤ったからであった。

 結局、筒井先生は入ったばかりの園を去った。

 園長先生からの悲しい報告に、哲は険しい表情で黙り込み、僕はただうつむくだけだった。

 

 それ以降、僕は精神的にも肉体的にも、人と接することを拒絶した。

 何年もの間、かたくなに“人間”の輪に加わろうとはしなかった。

 そんな僕に、哲は怒ったり困ったりしていたが、一つの思いが心を雁字搦がんじがらめに縛った。


 阿鼻は肯定し、僕は否定した“事実”。


 ──グラウカは、大切なものを一瞬で壊す力を持っている。




 午後6時。東京都月白げっぱく区。

 インクルシオ東京本部から300メートルほど離れた場所にある『月白げっぱく噴水公園』で、『インクルシオ夏祭り』の設営が行われた。

 公園の中央広場には、総務部の職員やイベント業者だけではなく、任務後に準備にやってきた対策官の姿が多くあった。

「よっ! いよいよ、祭りは明日だな! 準備は進んでるか?」

 北班に所属する特別対策官の時任直輝ときとうなおきが、屋台の前で作業をする「童子班」の高校生たちに声をかけた。

 黒のツナギ服を着た時任の隣には、同じく北班の市来匡いちきたすくがいる。

 ダンボール箱の中からヨーヨーを取り出していた塩田渉が、「はーい! 順調っスよー!」と笑顔で親指を立てた。

 わたあめの屋台の幟旗のぼりばたを持った鷹村哲が言う。

「時任さんたちは、射的の屋台ですよね。俺、明日の休憩時間に行きますよ」

「おー、来い来い! 目玉の景品は最新ゲーム機だぞ!」

 時任が快活に言い、塩田が「マジっすか! 俺も行くー!」と目を輝かせる。

 市来がたこ焼きの暖簾のれんを掛けた屋台に顔を向けた。

「童子さーん! 明日はたこ焼き買いますよ! 童子さんの作る本場の味が、今から楽しみです!」

 提灯を手にした最上七葉が、「私も、絶対に行くわ」とうきうきと言う。

 屋台の中で業務用の器具を確認していた特別対策官の童子将也が、「一個オマケしたるわ」と顔を出して笑った。

「──…………」

 雨瀬眞白は、ヨーヨー釣りのポスターを屋台の表面に貼っていた。

 地面にしゃがんで、紙が曲がらないように慎重に位置を調整する。

 雨瀬は過去に一度だけ、近所の神社で開催された夏祭りに行ったことがある。

 それはインクルシオの訓練生時代で、人混みは苦手であったが、祭り独特の華やかな喧騒やきらびやかな風景は嫌ではなかった。

「明日が、楽しみだな」

 雨瀬の側に立った鷹村が言う。

 公園の正面入り口から中央広場まで、歩道の両脇にずらりと並んだ屋台を見て、雨瀬は「うん」とうなずいた。

 すると、数メートル離れた場所から「お疲れ様です!」と元気な声が聞こえた。

 高校生たちが目をやると、中央班に所属する水間洸一郎が、東班に所属する特別対策官の芦花詩織あしはなしおりに駆け寄っていた。

「芦花特別対策官! お荷物をお持ちします!」

「いえ、軽いから大丈夫ですよ。ありがとうございます」

 右手に“東班・りんご飴”と書かれた紙袋を持って、芦花が優しく微笑む。

 水間は芦花の横に並んで一緒に歩きながら、「僕の班は準備が終わったので、そちらを手伝いますよ」と爽やかに笑った。

 その様子を見ていた塩田が言った。

「……水間さんてさぁ。お偉いさんのおぼっちゃんなのに、意外と腰が低いよなぁ」

「そうだね。僕らは忖度そんたくだなんだって、彼をつい色メガネで見がちだけど、本人は謙虚で真面目なタイプなのかもね」

 市来が言い、塩田は「そうかもですねー」と相槌を打った。

「………………」

 雨瀬は、背中を向けて歩いていく水間をじっと見た。

 先日から続く悪寒おかんのような異様な感覚に、内心で強く戸惑う。

 ふと、ツナギ服の袖から出た腕に目を落とすと、そこには無数の鳥肌が立っていた。


 午後11時。東京都不言いわぬ区。

 閉園済みの児童養護施設「むささび園」の地下の物置部屋で、反人間組織『キルクルス』のリーダーの乙黒阿鼻は、ベッド代わりの冷蔵庫の上に寝転がった。

 手にしたスマホに、つい数分前に一枚の画像を送ったメンバーから次々とメッセージが着信する。

『おいおーい! 画像見たぞ! なんで女装!?』

『ふふ。驚いた? 明日のインクルシオ夏祭りに行く為だよ』

『あー、なるほど。変装なわけね。マジでびっくりしたぜ』

 獅戸安悟しどあんごが予想通りの反応を返し、乙黒は満足げに微笑んだ。

『明日は、半井と茅入と3人で行くんだっけか。つか、正直、可愛くないな。俺ならナンパしないわ』

 獅戸の遠慮のない感想に、乙黒は「ひどいー」と声に出して笑う。

 鳴神冬真なるかみとうまは『俺はいいと思うよ』と紳士的なメッセージを寄越し、遊ノ木(ゆのき)秀臣ひでおみは『変装としてはよく出来てる』と無難にコメントした。

『それにしてもさー。半井は、よく行く気になったなー』

『僕が敵情視察のつもりでってしつこく誘ったから。やっぱり、悪かったかな』

 画面に表示された獅戸の言葉に、乙黒が表情を曇らせる。

 少し間を置いて、半井蛍なからいけいから『別に』という短いメッセージが返され、乙黒はほっと安堵の息をついた。

『阿鼻君、蛍君! 明日は5時に現地集合ね! じゃあ、みんなおやすみ〜!』

 茅入姫己かやいりひめきが元気に締めくくる。

 乙黒は全員に向けて『おやすみ』とメッセージを打つと、スマホを脇に置いた。

 途端に、うとうとと瞼が重くなる。

「楽しみだなぁ」

 乙黒は天井を見上げて小さく呟き、ゆっくりと目を閉じた。




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