06・合流
午後8時半。東京都西多摩郡奥多摩町。
反人間組織『トレデキム』が襲撃したキャンプ場に、インクルシオ立川支部に所属する5人の対策官が駆け付けた。
それまで孤立無援で『トレデキム』と交戦していた「童子班」の高校生4人は、味方の出現に大きく安堵の息をついた。
黒革製の鞘からブレードを引き抜いた対策官が鋭く言う。
「お前たちは、後ろに下がってろ!」
「は、はい!」
高校生たちは返事をすると、互いに睨み合う二つの集団から距離をとった。
雨瀬眞白の隣に並んだ鷹村哲が、Tシャツの脇腹に滲んだ血痕を見て「大丈夫か?」と訊く。
雨瀬は「うん。もう平気」と答えて、左脇腹を手で摩った。
リーダーの卯田恭介を含めて13人で構成された『トレデキム』は、高校生の新人対策官たちとの戦いですでに5人を失っていた。
卯田の背後から、残りの7人の構成員が前に出る。
その中のひときわ巨体の構成員が、「うおおおぉぉ!!!!」と地鳴りのような雄叫びをあげた。
「……あ、あいつ! さっきまで俺が戦ってたんだ! 体が大きくて急所が狙い辛いし、すげぇパワーで近付くことすら容易じゃなかった……!」
身長2メートル、体重150キロはあろうかという大男を指差して塩田渉が言う。
鷹村がタンクトップを着た痩身の構成員に目をやった。
「あの痩せた奴もかなり強い。動きが速くて、俺はあいつの攻撃を躱すので精一杯だった」
「……残った構成員は、戦い慣れした猛者ばかりよ。応援が来たからといって、決して油断してはならないわ」
最上七葉がサバイバルナイフのグリップを握り直して低く言う。
雨瀬、鷹村、塩田がうなずき、眼前に立つ5人の対策官の背中を固唾を飲んで見守った。
「……うぐぁっ!!!」
「兼田さんっ!」
キャンプ場に吹き抜けた一陣の風を合図に、立川支部の対策官たちは『トレデキム』に飛びかかった。
巨体の構成員が「フンッ!」と蝿を払うように手を振り、一人の対策官が振り下ろしたブレードを弾き飛ばした。
その際にボキリと鈍い音が鳴り、兼田と呼ばれた対策官は片膝をついて右手首を押さえた。
「まずは一匹目」
山のような巨躯の構成員が、ぬっと手を伸ばして兼田の首を鷲掴む。
「……ぐ、ううぅ……っ!!!」
兼田の体が地面から浮き、ワークブーツを履いた足がばたばたと宙を蹴った。
太く筋肉質な五指がギリギリと喉元を締め上げ、兼田の顔色が瞬く間に青色に変わる。
「……か、兼田さんっ!!!」
別の対策官が思わず振り返り、相対していた痩身の構成員がその隙をついて右足の蹴りを繰り出した。
構成員の動きに気付いた対策官は咄嗟に体を引こうとしたが、素早く強烈な蹴りが鳩尾に深く沈んだ。
「……か……はっ……!!!!」
「上尾っ!!!」
上尾という対策官が、口から泡を吹いて仰向けに倒れる。
痩身の構成員は、ニヤリと口角を上げて手にしたナイフを上尾に向けた。
巨体の構成員に首を吊り上げられた兼田は、白目を剥いて体を痙攣させている。
「……兼田っ!!! 上尾っ!!!」
他の構成員と交戦中の対策官が二人の名前を叫ぶが、助けに行く余裕はない。
──その時。
私服姿の高校生4人が、地面を蹴って猛然と走り出した。
鷹村はタンクトップを着た痩身の構成員に、雨瀬、塩田、最上は筋骨隆々の巨体の構成員に、それぞれ渾身の力で体当たりを仕掛ける。
「……ぐあぁっ!!!」
「……うごおぉぉっ!!!」
痩身と巨体の構成員が派手に転倒し、兼田と上尾は絶体絶命の窮地を免れた。
しかし、二人の構成員と共に地面に勢いよく転がった高校生たちは、すぐには起き上がれない。
「……この、クソガキがぁっ!!!」
「今すぐ、殺してやるっ!!!」
激昂して立ち上がった二人の構成員が、土に伏したままの高校生たちに襲いかかろうとした──その瞬間。
ゴッという重たい音が響き、巨体の構成員の側頭部に黒の刃が埋まった。
「──…………!!!!!」
脳下垂体を破壊された巨躯の男は、声もなく前のめりに倒れる。
その背後から姿を現したのは、インクルシオ東京本部の南班に所属する特別対策官の童子将也だった。
「──童子さんっ!!!!!」
土で顔を汚した高校生たちが、目を見開いて絶叫する。
「俺もいるぜぇっ!!!」
すると、童子の影から北班に所属する特別対策官の時任直輝が躍り出て、背中のブレードをすらりと抜き、目にも留まらぬ速さで痩身の構成員の眉間を貫いた。
頰のこけた瘦せぎすの男は、ナイフを落として地面に崩折れる。
時任の後ろには、中央班に所属する特別対策官の影下一平の姿が見えた。
「時任さん!! 影下さん!! なんで、ここに……!?」
「お前らが送ってきたキャンプ場の画像に卯田が写ってたんだ! それを見て車をブッ飛ばしてきた! よくここまでもたせたな!」
「俺は、津之江チーフから緊急連絡が来てぇ。バイト先の八王子のファミレスから、タクシーを飛ばしてきたんだよぉ。どうにか、間に合ってよかったよぉ」
高校生たちが口にした疑問に、時任と影下が答える。
3人の特別対策官の予期せぬ加勢に、劣勢に傾いていた立川支部の対策官たちが「みなさん!」と歓喜の声をあげた。
童子は次々と構成員をなぎ倒しながら、薄暗いキャンプ場を見回して言った。
「リーダーの卯田はどこや! 奴の身柄は、確保せなあかんぞ!」
童子の言葉を聞いた対策官たちが周囲を見やる。
だが、広大なキャンプ場を隅々まで探して確認できたのは事切れた12人の構成員だけで、卯田の姿はどこにも見当たらなかった。
「……逃げられてしもたか」
童子はサバイバルナイフを右脚のホルダーに戻すと、小さく息を吐いた。
兼田は右手首を骨折したが、窒息で失った意識はまもなく戻った。
時任が「肩を貸します。掴まって下さい」と、兼田の体を支えて起こす。
上尾は腹部を押さえながら、「何とか、大丈夫です」と自力で立ち上がった。
立川支部の対策官たちと捜査応援等で顔見知りだった影下は、「兼田さんも、上尾君も、大事に至らなくてよかったよぉ」と胸を撫で下ろした。
兼田は高校生の新人対策官たちを見て、感心したように言った。
「……あの新人たちは、俺たちが来るまで一歩も退かずに『トレデキム』と戦い、一般の人々の命を守りきった。おまけに、俺たちも助けた。大した奴らだ」
「ええ。あいつらは、勇敢で優秀な新人なんです」
兼田の言葉に、時任が笑みを浮かべて返す。
そして、時任は「でも、まだまだ甘えん坊の可愛い連中ですけどね」と付け加えて朗らかに笑った。
童子と高校生4人は、向かい合って立っていた。
周囲には混乱の跡を示すように、壊れたテントやキャンプ用具が散乱している。
「童子さん! 俺、すっげぇすっげぇ、怖かったです!」
「キャンプ場に『トレデキム』が現れたと知った時は、生きた心地がしなかった。……はは。背中に汗がびっしょりだ」
「とにかく、学校のみんなと一般の人たちを守らなきゃって、それだけを考えていたわ。人数的に不利だったけど、絶対に退くわけにはいかなかった。……やだ。今頃になって、手が震えてきたわ」
「……リーダーの卯田を確保しようと思いました。でも、一瞬目を離した隙に脇腹を刺されて、押さえきれませんでした。僕の詰めが甘かった。すみません」
童子は手を伸ばして、「ようやった」と雨瀬の頭をぽんと叩いた。
目の前に佇む高校生たちを見やって、静かに言葉を紡ぐ。
「お前ら全員、ほんまによう頑張った。対策官として正しい判断と行動ができたんはもちろんのこと、何よりお前らが無事でよかった。俺は、あの画像を見てからここに到着するまで、ずっと気が気やなかったわ」
童子の実感のこもった声に、高校生たちは面映くなって下を向いた。
すると、暗闇の向こうから、数台の車両のエンジン音が聞こえてきた。
童子は「……立川支部の車やな」と言って、駐車場を見やる。
「ほな、これから事件の事後処理や。俺らも行こか」
「──はい!」
高校生たちは顔を上げて、元気よく返事をした。
いつのまにか風が止んだキャンプ場で、「童子班」の5人は並んで足を踏み出した。