05・交戦と焦燥
東京都西多摩郡奥多摩町。
豊かな自然に囲まれた奥多摩のキャンプ場で、インクルシオ東京本部の南班に所属する「童子班」の高校生4人は、反人間組織『トレデキム』と対峙した。
時刻は午後8時10分を少し回ったところだった。
『トレデキム』のリーダーである卯田恭介が、愉快そうに笑った。
「いやぁ。まさか、インクルシオ対策官がこのキャンプ場にいたとはねぇ。見た感じ、お前らは高校生だよな? まだ新人か、いいとこ2年目ってところか?」
「………………」
インクルシオの刻印の入った武器をそれぞれに携えた高校生たちが、無言で卯田を睨む。
卯田は顎を上げ、私服姿の4人を見下ろすように叫んだ。
「ハッ! てめぇらみたいなガキなんざ、とても『トレデキム』の相手にはならねぇ! お前ら、まずはこいつらを血祭りにあげてやれ!」
卯田の咆哮に、後ろに控えていた構成員たちが臨戦態勢に入る。
スキンヘッドの構成員が前に突進し、「攻撃する間すら与えずに、瞬殺してやるよ!」と鉄の棒を大きく振り上げた──その瞬間。
「それは、どうッスかね!?」
塩田渉が身を屈めて懐に潜り込み、スキンヘッドの構成員の顎下をサバイバルナイフで一気に突き上げた。
「……がっ……ああああっ……!!!!!」
黒の刃が下からグラウカの弱点である脳下垂体に到達し、スキンヘッドの構成員が白目を剥いて仰向けに倒れる。
閃光のような一瞬の出来事に、他の構成員たちが動きを止めて目を瞬かせた。
その隙をついた最上七葉が、迷彩柄のシャツを着た構成員の背後に回り込み、五分刈りの後頭部にサバイバルナイフを突き刺す。
渾身の力で押し込んだ黒の刃の切っ先は、血飛沫と共に構成員の額から飛び出した。
「ぐ、うぅ……っ!!!!」
迷彩柄のシャツの構成員が、低く呻いて膝から崩れ落ちる。
塩田と最上は素早く背中を合わせて、荒く息を吐いた。
「……正直、童子さんがいないとすげぇ怖ぇ! でも、ここで戦えなきゃ対策官じゃねぇ! 絶対に、一歩も退かずにみんなを守りきるぞ!」
「ええ! やるわよ、塩田!」
『トレデキム』の構成員たちが、「……こ、殺してやる!!!」と顔色を変えて襲い掛かってくる。
塩田と最上は視線を上げ、迷うことなく地面を蹴った。
鷹村哲は『トレデキム』を分散させる為に、元いた場所から走り出した。
鷹村の思惑通りに、長髪をブルーに染めた構成員が「待てぇ!」と後を追ってくる。
キャンプ場のあちこちに張られたテントの合間を縫った鷹村は、一本の木の前で立ち止まった。
「……ちょろちょろと逃げやがって、このクソガキがぁ!!!」
青髪を振り乱した構成員が、振り返った鷹村にパンチを繰り出す。
鷹村は大振りのパンチを体を捻って躱すと、手にしたサバイバルナイフを横に振り抜いて構成員の眼球を斬った。
「ぎゃああぁぁっ!!!!」
視界を遮られた青髪の構成員は、両目を手で押さえて後ずさる。
鷹村はすぐに足を踏み出し、構成員のこめかみに黒の刃を突き刺して脳下垂体を破壊した。
「……いたぞ! あそこだ!」
オレンジ色のテントの影から、3人の構成員が走ってくる。
(……クソッ! 敵の数が多いな! だけど、立川支部の応援が来るまでは、何とか持ちこたえなければ!)
鷹村は一つ舌打ちをすると、血のついたサバイバルナイフを構えて前を睨んだ。
「お前、グラウカだろ?」
雨瀬眞白が跳躍して刃を交えたのは、『トレデキム』のリーダーの卯田だった。
雨瀬のバタフライナイフと、卯田の折畳みナイフが交差してギリギリと擦れる。
互いの視線が絡む至近距離で、卯田は尖った犬歯を見せて言った。
「どっかから流れてきた噂で、“グラウカ初の対策官”がインクルシオ東京本部に入ったって聞いたことがある。そいつは白髪の高校生だって話だが、お前だな?」
「………………」
「お前、あの『アダマス』の剛木三兄弟とやりあったらしいじゃねぇか? 他にも、いくつかの反人間組織の壊滅に関わったんだってな?」
「………………」
雨瀬は黙ったまま、バタフライナイフを握る手に力を込める。
刃の押し合いが均衡する中で、ふと卯田は妙案を思い付いた。
──“グラウカ初の対策官”である雨瀬を殺してその首を差し出せば、『イマゴ』の一員になれるかもしれない。
卯田は「……いいアイデアだ」と低く独りごちると、雨瀬のバタフライナイフを勢いをつけて跳ねのけた。
雨瀬がバランスを崩して一歩下がると同時に、卯田の折畳みナイフが細い左腕に深々と突き刺さる。
「……く、あああぁぁっ!!!!」
雨瀬は灼けつくような痛みに顔を歪めたが、すぐさま右手を伸ばして卯田のTシャツの首元を掴み、そのまま力任せに地面になぎ倒した。
「うぐぅっ!!!」
卯田は固い土に背中を強かに打ち、息を詰まらせる。
雨瀬はすかさず卯田に馬乗りになり、バタフライナイフを眉間に突き立てた。
血が流れて白煙が上がる左手で、卯田の首根を押さえて告げる。
「……死にたくなければ、大人しく捕まって下さい」
『トレデキム』の他の構成員とは違い、反人間組織『イマゴ』との繋がりを疑われる卯田は、インクルシオに連れて行かなければならない。
雨瀬は顔を上げると、応援の到着はまだかと薄暗いキャンプ場を見回した。
すると、卯田が「誰が大人しく捕まるかよ!」と叫び、雨瀬の脇腹を折畳みナイフで抉った。
「ああああぁぁぁっ!!!!」
背中を曲げて苦悶の声をあげた雨瀬から、卯田が逃れて立ち上がる。
折畳みナイフを持ち直した卯田が、「てめぇを、殺してやる!!!」と雨瀬に飛びかかろうとした──その時。
「動くな!!! インクルシオ立川支部だ!!!」
暗がりの向こうから大声が響き、インクルシオ立川支部に所属する5人の対策官が姿を現した。
それぞれ別の場所で『トレデキム』の構成員と交戦していた高校生たちが振り返る。
「お前たち、そこから離れろ!!! こっちに来い!!!」
一人の対策官が指示を出し、4人はそれに従って即座に場を離れた。
「や、やったぁ……! やっと、応援が来た……!」
「新人だけでよく頑張ったな。もう、安心していいぞ」
走り寄ってきた塩田が安堵の表情を浮かべて言い、黒のツナギ服を纏った対策官が前を見たまま返す。
卯田は折畳みナイフをぶら下げて、「オイオイオイ……」と低い声を発した。
「……せっかくいいところだったのに、邪魔しやがってぇぇぇ!!! てめぇら全員、ブッ殺してやる!!!」
「やれるものなら、やってみろ!!!」
卯田の激昂に、5人の対策官たちが黒革製の鞘からブレードを引き抜く。
一斉に露わになった黒の刀身が、月明かりを反射して眩しく光った。
午後8時半。東京都立川市。
インクルシオ立川支部の支部長の曽我部保は、フンと鼻息を吐いた。
数分前に奥多摩に急行した対策官から「キャンプ場に到着しました」と連絡が入り、その旨を先ほどインクルシオ東京本部に電話で伝えた。
本部長の那智明が「……後は頼んだぞ」と祈るような声で言い、曽我部は「大丈夫ですよ。うちの対策官に任せて下さい」と請け負った。
今頃、大騒ぎをしていた芥澤丈一と、新人4人の上司である大貫武士は、ほっと胸を撫で下ろしていることだろう。
曽我部は腕を組み、執務室の椅子に深く背を凭せた。
再度、鼻からフンと息を吐く。
「……うちの対策官が、か弱い新人を助けてやるんだ。せいぜい感謝しろよ」
そう言うと、曽我部は窓の外に目をやった。
同刻。
インクルシオ東京本部の南班に所属する特別対策官の童子将也は、険しい眼差しで前を見据えていた。
つい1分ほど前に、南班チーフの大貫から『立川支部の対策官が現場に到着した』というメッセージを受け取った後も、童子の表情は全く変わらない。
ハンドルを握るジープのフロントガラスに夜景が飛ぶように流れていく。
童子は唇をきつく噛むと、アクセルを限界まで踏み込んだ。